第十章 ローズ 再び
1
B&F社を後にしたタカヒサは、その足でバスターミナルへと向かった。ローズに会う為にである。国立公園のアイデア提供の一件でエバニッシュは上機嫌であった。ローズの所在を調べたいと頼むと、二つ返事で快諾してくれた。社内ナットワークの回線を開放してもらったタカヒサは、自分のモバイルを接続した。それには当然、PUZがインストールされている。 ――ローズ 軍医 MSSボーズマン―― PUZが、B&F社の不動産部門データベースから彼女の所在を見つけ出すには、それだけの検索条件で十分であった。
バスを乗り継ぎたどり着いたのは、マーズ・エンジェル・シティーの南の外れに位置する、PG棟の4074区画。それほど裕福な人々が住んでいる地区ではない。PUZがディスプレイで示す道程は、公園と思しき一角の奥へと続いている。実際に行ってみると、それは「忘れ去られた」という形容詞がぴったりと当てはまる児童公園であった。もちろん、そこで遊ぶ子供達の声も姿も無い。無意味な造形物が物思いにふけるモンスターのようにただ漫然と立ち並ぶ姿は、高名な画家の残した絵画に、いかなる解釈も出来ないモチーフが紛れ込んでいるかのような、際立って異質な存在だった。
児童公園の前を取り過ぎると、その寂れた区画が現れた。チェス盤のように並ぶドアの規則正しさも、その薄汚れた風情が台無しにしている。各ドアには大きな数字が書き込まれているが、どのドアの数字もかすれて今にも消えそうだった。
ここに住む住民達はドアの前の共用通路を物置として認識しているようだ。そのガラクタを蹴飛ばさない様、タカヒサは注意しながら歩く必要が有った。しかし、ドアの番号を見つつ足元を見ながら歩くのには限界がある。遂にタカヒサは、足元の黒いビニール袋に躓いてしまった。その途端、ビニール袋が叫んだ。
「痛ぇっ!」
タカヒサは驚いてとび跳ねた。
「うわっ!」
その拍子に、後ろに積んであったコンテナボックスに体をしこたま打ち付けた。タカヒサが痛みに耐えながら悶絶していると、バランスを失ったコンテナが大きな音を立てて崩れ落ちた。タカヒサの姿はコンテナの下に埋もれてしまった。
その様子を見ていた黒ビニールはのそのそと起き上がると、ゆっくりとタカヒサに近づいた。
「ったく、おちおち昼寝も出来やしねぇ・・・」
そう言いながらも、タカヒサを覆い尽くすコンテナを一つ一つどけ始めた。幾つかのコンテナをどけると、その下からタカヒサの顔が覗いた。
「大丈夫かぃ、お前さん?」
タカヒサは何とかして、声を絞り出した。
「イテテテテ・・・大丈夫みたいです」
「こいつらが空で良かったな」
黒ビニールは続けた。
「兄ちゃん、よそ者だろ。ここにお客さんが来るなんて珍しいな。こんな所に何の用だ」
そう言って差し出した腕を、コンテナの山の中から伸びたもう一本の腕が掴んだ。
「知り合いを訪ねて来たんです」
ぐぃと引き上げられながら、タカヒサは応えた。
衣服に付いた埃を払い落しながら自分の足で立ち、改めて見直してみると、目の前にいるのは明らかに浮浪者の類であった。汗と油でゴチゴチに固まった頭髪は、胃袋をスプーンで掻き回される様な不快な匂いを放っていた。顔は埃と垢が堆積して浅黒い。そこから覗く黄色い歯には所々茶色いシミがこびり付き、欠けた歯の間から洩れる息は野良猫の肛門の匂いを思わせた。
とは言うものの、彼の昼寝を妨害したのは事実だし、コンテナに潰されそうになっているところを助けて貰ったのも事実だ。タカヒサは、体よく礼を述べると、すぐさま立ち去ろうとした。
「俺を浮浪者か何かだと思ってるな?」
それ以外の何に見えるとでも言うのだろうか。
「いえ、別にそういうわけではありませんが・・・」
「いいさ、いいさ。確かに俺は浮浪者みたいなもんさ」
黒ビニールは久し振りの話し相手を、そう易々と開放するつもりは無いようであった。
「俺だって最初から浮浪者をやってた訳じゃない。3年前まではそこの家に住んでいたんだ」
そう言って黒ビニールは、タカヒサの後ろのドアを指差した。コンテナが積んであった家だ。
「でも、国民年金の積み立てを滞らせちまってなぁ。そしたら、お国が俺の家のドアに鍵を掛けちまったってぇ訳よ。税金を払わない奴にやぁ、住まわせる家も無いんだってよ、この星は」
黒ビニールは、そこに転がるコンテナの一つを蹴飛ばした。
彼が税金滞納に至る経緯には興味が無かったが、元々ここに住んでいたのならローズの事も知っているかもしれない。そんなタカヒサの目論見を察知したわけではないだろうが、黒ビニールは聞いた。
「それで、知り合いって誰だい? 俺は随分と長くここに住んでるから、大概の連中は知ってるぞ」
待ってました。
「ローズという人です。軍医なんです。ご存知ですか?」
「ローズ、ローズ、ローズ・・・」
黒ビニールは、宙を見上げながらゆっくりと首を振った。
「ローズ、ローズ、ローズねぇ・・・」
首の動きがピタリと止まった。
「ローズ? ・・・ ローズだって?」
「そうです! ローズです。知っているんですね?」
「あぁ、思い出したぞぉ。そういやそんな名前だったなぁ。ありゃぁベッピンさんだった」
タカヒサの知るローズは、肝っ玉かぁちゃんみたいなローズだ。黒ビニールが言うところの、ベッピンさんの対極にいる。いったい、この黒ビニールは、いつの頃のローズを知っていると言うのだろう。
「で、彼女はどちらにお住まいなのですか?」
「兄ちゃん、知らないのかい? あの娘は大昔に出て行っちまったよ。ちょいと訳有りでな」
黒ビニールの思わせ振りな言い方に飛び付かない理由は無かった。
「訳有りってどういう事です?」
自分だけが知っている極上の秘密に、黒ビニールは有頂天であった。永く世捨て人として生きてきた彼にとって、誰かが自分を、あるいは自分の持っている情報を必要としているという事実が、彼を饒舌にしていた。こんな生活に身を落とす前は、家庭用ビークルのセールスマンでもやっていたのかもしれない。それも、そこそこの成績の。
「恋人が居たのさ。背の高い男だったなぁ。たしか軍に居たはずだが・・・」
そう言って黒ビニールは目を細めた。
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