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レポートを粗方読み下したエバニッシュが顔を上げて言った。
「なるほどねぇ・・・。そんな状況なのか、地球は」
「そうなんです。南極付近の酸素濃度の上昇は、確かに森の再生が引き起こしたものでした」
火星に帰る惑星間航路の途上、レポートに何と書くべきか、タカヒサは悩み続けた。南極付近に森が再生している事を報告したら、一気に開発の手が入って、命を吹き返そうと必死に戦っている地球にとどめを刺してしまうのではないか。地球のあの儚いバランスの上に成り立つささやかな治癒力が、無思慮な人間の手によって摘み取られてしまうのではないか。そう考えると、レポートに真実を書く事が果たして人類にとって益となり得るのだろうか。
とは言うものの、ここでタカヒサが虚偽の報告書を提出したところで、地球の現状が火星に広く知られる事となるのは時間の問題であろう。むしろ今ならば、そうなる前に先手を打つことが可能かもしれない。この案件に関し、二人にも相談を持ちかけたのだが、アオタは何も答えてはくれなかった。チョッと困ったような表情を見せただけで、それきりその話題には触れようとはしなかった。オオサワは「自分で決めたらいい」と言った。タカヒサがどんな結論を出したところで、それを恨んだりすることは無いと。ちっぽけな天の川銀河の中の、さらに小さな太陽系第三惑星にたまたま発生した知的生命体が引き起こした事象など ――それがどんな愚行であれ善行であれ―― ビッグバンから始まった宇宙の歴史の中では、一瞬の瞬きにも満たないノイズだとも言っていた。確かにそうかもしれない。それを否定する科学的根拠も、信念に裏付けられた思想も持ち合わせてはいない。でも俺たちは、そのノイズの中に生きている。それもまた、揺るがしようのない事実だ。
答えは出なかった。ただ、タカヒサは信じたかった。一度、地球を壊してしまった人類が、再び同じ過ちを犯さないという事を。我が家を失い、例えようもない代償を払って新天地に移り住んだ人類が、愚かな歴史を決して繰り返さないという事を。
結局タカヒサは、在りのままの地球を報告することにした。
「でも、そのエコシステムは非常に脆いものでした。これ以上、あの地に足を踏み入れる事は、その存在自体を危うくします。私としては・・・」
一調査員の意見が通るはずはないのだが、タカヒサは言わずにはいられなかった。
「私としては、南極の商業的利用を模索するのではなく、かつての地球に存在した国立公園の様な、保護の対象とするべきだと考えます」
エバニッシュは目をパチクリさせながら言った。
「どうしたんだい? シズクイシ君。地球に行って人格が変わっちまったみたいだぞ」
「いえ・・・そういう訳ではありませんが、あそこには人類が永遠に失った物が・・・いや、失ってしまったと思っていたものが、少しずつですが、着実に再生を始めているんです」
それを聞いたエバニッシュは、少し意地悪そうに唇の右端を持ち上げて言った。
「どうやら、アオタに洗脳されちまったようだな?」
タカヒサは返す言葉が見つからず、口をつぐんでしまった。返答に困るタカヒサを見て、エバニッシュは笑いながら言った。
「いやいや、すまん、すまん。からかうつもりは無かったんだ」
ひとしきり笑った後、エバニッシュは続けた。
「君が地球に向けて発った後、わが社では専門家や有識者を交えて、緊急会議が行われたんだ・・・」
まず第一に、南極の酸素濃度上昇/二酸化炭素濃度減少は、調査員の報告を待つまでもなく、森林の再生以外にその原因と考えられるものは見つからないこと。
第二に、その森林がかつての地球の様な健全な姿を取り戻すには、少なくともあと80年くらいの歳月が必要であろうこと。
次に、観光資源としての商業利用では、ある程度の利潤を見込めるが、B&F社の独占事業とすることはおそらく無理であろうこと。更に、商業利用に関しては、連邦政府による規制と市民からの反発が予想され、会社のイメージダウンに繋がりかねないリスクを伴うこと。
最後に、どうせ独占できない商業資源ならば、他社に使わせないような施策が必要であること。
エバニッシュの口からは、その緊急会議とやらでの結論が、かいつまんで説明された。
「君の言うように、他社に先んじてその存在を公にし、併せて環境保護を訴えれば会社のイメージアップにもつながるな。よし! いっちょ上層部に掛け合ってみるか!! 君の国立公園構想、使わせてもらうよ。いいかな?」
「もちろんです。是非とも実現させて下さい!」
エバニッシュの的外れな合意と勘違いの賛同にドギマギしながらも、これまでの心配が杞憂に終わりそうな流れで、ほっと胸をなでおろすタカヒサであった。
「で、川は見つかったのかい?」
タカヒサをオフィス出口まで見送りに来たエバニッシュは聞いた。
「はい、見つかりました」
「そうか、そいつは良かった」
そう言いながらもエバニッシュは、さして興味は無いようであった。その心は既に、国立公園構想をどうやって上層部にブチ上げるかという、社内戦略的な難題によって占められているのだ。
別れ際、右手を挙げて背中を向けたエバニッシュにタカヒサは声をかけた。
「イイもんですよ、川は」
でもその声は、エバニッシュには届いていない事をタカヒサは知っていた。
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