「華! ちょっと来いっ!」

 源一という男が声を張り上げた。華は黙って立ち上がり、そちらに向かって歩き始めた。華の顔や腕には紫に変色した痣が、あちこちに張り付いていた。中には、煙草の火を押し付けたような火傷の痕も見受けられた。服を脱げば、背中や腹も同様な有様だ。隣にいた文は、たった今収穫した人参を握り締めながら言った。

 「華・・・ すまねぇ・・・ お前にばかり辛い思いをさせて・・・ 本当にすまねぇ・・・」

 華は立ち止まってその声を聞いていたが、その顔は文の方を向いてはいなかった。無表情のまま、ただ黙って自分の足元を見ていた。泣き崩れる文を残し、華は再び歩き始めた。文はその後姿を見送りながら、いつまでも泣いていた。

 「すまねぇだ・・・ 華・・・」


 森の奥では、源一が苛立たし気に待っていた。

 「ぶたねえでくろ・・・ 言う通りにするから、もう痛いことはしねえでくろ・・・」そう言って華は自ら帯を解き始めた。そのもたもたした仕草に源一が癇癪を起こした。

 「さっさとしろ!」

 そして乱暴に華の帯をむしり取ると、その場に押し倒した。かつての、はち切れそうに瑞々しい美しさは消え失せ、病的に痩せ衰えた華の身体が露になった。それを見た瞬間、源一の表情が固まった。

 「お前・・・ やや子を身籠っとるなっ!?」

 華はまだ懇願していた。

 「殴らねえでくろ・・・ 痛いことはしねえでくろ・・・」


 男たちの対応は迅速であった。直ぐに人が集められ、華の住む神社に向かった。男たちがどかどかと神舎に上がり込むと、文は「ひぃぃぃ」と言って部屋の隅に後ずさった。華は黙って男たちを見上げた。男たちは即座に華に掴みかかると、その両手両足を抑え付けた。恐怖に顔を歪めた華が悲鳴を上げた。

 「ぎゃぁぁぁぁ・・・」

 それでも男たちが、その腕の力を緩めることは無かった。そして一人が腕まくりをしながら、大きく広げられた華の両脚の間に近付いた。華は身体をばたつかせて暴れたが、もう一人の男がその腹の上に覆いかぶさり、跳ね回る華の腹の動きを封じた。華の絶叫は続く。

 「ぎゃぁぁぁぁ・・・ ぎゃぁぁぁぁ・・・」

 部屋の隅で震えながらそれを見ていた文は、今はぎゅっと目をつむり、両手を合わせて経を唱えた。

 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」

 腕まくりをした男は、持参した小さな壺から油の沁みた布を取り出し、それを自分の腕に塗りたくった。そしてその、油でてかてかに黒光りする武骨な腕が華の股間に伸び、肉の中に食い込んだ。華は気を失った。


 目を覚ました時、華は自分が文の腕に抱かれていることを知った。

 「何て酷いことを・・・ 何て惨いことを・・・」

 文は身体を前後に揺すりながら華を抱きかかえ、うわ言の様にしきりに繰り返していた。

 「文婆ぁ・・・」華が微かな声を漏らすと、文は喜んだ。

 「おぉぉ、華。気が付いたか?」

 そしてその皺だらけの手で、華の顔を優しく撫でた。

 「おら・・・ 何されただか?」

 「あいつら、お前のやや子を流しただ・・・」

 「・・・」

 「だども、誰が父親だか判んねぇ子を産むよりも、その方が良かったのかもしんねぇだ。その子の為にもな」

 華は何も言わなかった。もう既に、その心は動かなくなっていたのかもしれない。感情なんて、自分を傷付けるだけの厄介者であることを華は悟っていた。それが有るから心は傷つき、血を流すのだ。その傷はいつまでもじくじくと痛み、悲しみや絶望を突き付ける。そんな物さえ無ければ、自分はもっと楽に生きて行けるのだと気付いていた。

 「おら、ちょっと村長に掛け合って来るだ」

 文はそっと華を降ろすと、身支度を始めた。華は横たわったまま、片肘で体を起こした姿勢で聞いた。

 「何を?」

 「お前は何も心配することは無ぇ。ゆっくり休んだらいい」


*****


 源蔵一家が晩飯を採っている席に文が現れた。

 「どうしただ、お文さん。何か要か?」一番奥に坐した源蔵が不機嫌そうに言った。手前の右側には源蔵の妻が、左側には息子の梅吉が座り、同じように不審な目を文に向けている。

 食卓には季節の野菜がふんだんに並び、麓で買い求めたのか、海のものと思える魚が塩焼きとなって香しい匂いを放っていた。椀に盛られた白米は眩しく光り、うっとりする様な甘い湯気を立ち昇らせている。

 それらに一瞥をくれた文は懐から隠し持った包丁を取り出し、いきなり源蔵に飛びかかった。しかし、いくら不意を突いたとはいえ、老婆による襲撃など功を奏するはずもなかった。

 「何するだ、この婆ぁ!」

 源蔵は身体をのけ反らせて、その切っ先をかわした。弾みで卓袱台が大きく跳ね、食べ物が散乱した。味噌汁はひっくり返り、辺りを濡らしたが、ぶちまけられたみそ汁の具だけでも、今日、文が口にした食料よりも多いほどだった。座布団から転げ落ちた父の代わりに、隣に座っていた梅吉の逞しい腕が文の手首を掴む。そしてその老婆のか細い腕を捩じ上げられると、文は「うぅ」と声を漏らして包丁を落とした。包丁を足で蹴って、部屋の隅に追いやった源蔵は文に向き直った。

 「いったいどういうつもりだ、お文さん?」

 「どういうつもりも糞も有るかい! お前ら地獄に落ちるがいいだ!」

 そう言って源蔵の顔に唾を吐き付けた。唾を手で拭き取った源蔵は、その手を眺めた。そして急激に噴き上がる憤怒の念に突き動かされ、文の顔面を拳で殴りつけた。「ごきっ」という頬骨が陥没する音と共に、痩せ衰えた老婆の身体は宙を舞い、部屋の壁に打ち付けられた。その際、骨の折れる様な不快な音が響いた。

 梅吉は直ぐに文の身体を抱き起した。そして「ちっ」と舌を鳴らすと、振り返って言った。

 「お父。この婆さま、死んでるだ」

 「何だと?」

 「首の骨が折れちまったみてぇだ」

 梅吉は良く見える様に、文の身体を源蔵の方に突き出した。文の首は、狩られた鳥の様にだらりと、変な角度で垂れ下がった。

 「けっ、構うこたぁねぇ。そんな婆さま、放っておいたってそのうち死んじまったろうさ」

 梅吉は要らなくなった何かを捨てる様に文の身体を放り出し、汚い物でも見る様に見下ろしながら聞いた。

 「どうするだ、これ?」

 「この前死んだ・・・ 誰だ? 音吉っつったか?」

 「音松だ」

 「そう、その音松の墓の隣にでも埋めとけ」

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