一人残された華は、もう畑仕事に出ることは無くなっていた。その代わり、一日中、神舎に留まり、代わる代わるやって来る男たちの相手をするという「仕事」に専念させられていた。

 勝太郎が褌を締め直し神舎の外に出ると、そこには勇蔵が待っていた。勝太郎は思わず言う。

 「お前、また来たのか? 昼間も来てなかっただか?」

 「へっへーっ。一風呂浴びる前に、もう一発決めておこうと思ってな」

 勝太郎は噴き出した。

 「あんまりやり過ぎると、お天道様が黄色く見えるんだぞ!」

 「構うもんか!」

 勇蔵は下卑た笑いを残し、たった今、勝太郎が出て来た戸を開けて、入れ替わりに入っていった。勝太郎は呆れた様に笑い、家に帰って行った。


 勇蔵にのしかかられながら、華は引き戸の隙間から差す月明りをぼんやりと見つめていた。引き戸の外では、青白い月が放つ透明な光が静かに降り注いでいた。浮かび上がる小径は、灯りを持たずとも歩ける程だろう。山の木々はその光を浴びて、僅かな風にそよそよと揺らいでいるに違いない。月明りに誘われるかの様に、虫たちはちろちろと鳴いていた。華は、こんな夜が過去にも有ったような気がした。それはいつだったか? あまりにも遠すぎて、思い出すことは叶わなかった。

 勇蔵の動きに合わせて床が軋み、華の身体も揺れた。しかし華は、自分の中に入っている男が誰なのかも承知してはいなかった。両手は顔の前に掲げられ、その指先は漏れ入る光に浮かぶ埃を弄んだ。それを掴もうと試みても、華の指は何物にも触れることは出来なかった。華の指先をするりとかわした光の粒は、また楽し気に浮かんでは舞った。それを見た華は笑った。薄っすらと開いた口からは、微かな声でわらべ歌がこぼれていた。



 谷さ一つ越え、よいのよいさ

 尾根さ二つ越え、よいのよいさ

 待つ宵もくたぶるる

 兄さ、いつ迎えに来るとやな



 ぎしりぎしりと床は軋み続けていた。その歌声は、勇蔵には聞こえていなかった。誰の耳にも届いてはいなかった。

 華はまた笑った。


 こうして次第に、華は誰からも顧みられなくなっていった。あの神舎に足を運ぶ男も居なくなり、その消息はいつしか途絶えてしまった。ただ、時折、畑が荒らされたり、或いは軒先に干してある食料が盗まれることが有り、今でも華はこの尾根村の近辺でひっそりと生きているのではないかと囁かれていた。ひょっとしたら、燃え尽きた谷村に潜んでいるのかもしれなかったが、それを確認しに行く者は現れなかった。尾根村の者たちは、これ以上華のことは考えないように努め、忘れた振りを貫く事で、その存在を抹消するという合意に暗黙のうちに至ったのであった。しかしたまに、夜中になると山間から聞いた事の無い獣の鳴き声が聞こえ、その度にそれが華の声ではないかとの噂がぶり返すのだった。


*****


 話を聞き終わった時、麻太郎の身体は怒りに震えていた。強く噛んだ奥歯が折れ、そこから血が滲み出ていた。それでも麻太郎は、歯を噛みしめることを止められなかった。

 「お前ら・・・ 華に何てことをした?」

 「へっ?」

 佐兵衛は、麻太郎の怒りに触れてたじろいだ。自分も華を輪姦した一味の一人だったことは伏せた。村の他の男が、華に酷い仕打ちを加えたと説明したはずだった。それなのに、その怒りが自分にも向けられていることが理解できなかった。佐兵衛は半分、腰を浮かせながら言った。

 「麻太郎、落ち着くだ・・・ 俺は何も・・・」

 言い終わる前に、麻太郎はがばりと立ち上がって叫んだ。

 「お前ら、俺の華に何てことをしたっ!?」

 佐兵衛は「ひっ」と言って、座ったまま後ずさる。麻太郎はそこに残された手斧を掴み、佐兵衛ににじり寄る。

 「や、やめろ・・・ 麻太郎・・・」

 今や麻太郎の全身は激憤に燃え、わなわなと脈打った。

 「お前ら・・・ お前ら・・・ お前らーーーっ!」

 麻太郎が手斧を振り上げた。佐兵衛は腕を顔の前に掲げ、身を守ろうとした。

 「やめろーーーーっ!」

 「うがぁぁぁぁっ!」

 手斧は佐兵衛の頭蓋骨を叩き割り、脳天から眉間に掛けてぱっくりと開いた頭から脳髄が見えて血が噴き出した。

 その時、玄関を開けて千代が帰って来た。抱えた荷物を降ろしながら、振り返った麻太郎を見た千代の身体が凍り付く。返り血を浴びた顔面の奥の、ぎょろりとした眼が千代を捕らえていた。

 「麻太郎・・・」

 麻太郎の身体は軽々と囲炉裏を飛び越え、千代に迫った。そして間髪入れずに振り抜いた手斧が千代の側頭部に食い込み、その柄が折れた。手斧の刃を頭部に残したまま、悲鳴を上げる間も無く千代はばたりと倒れ込んだ。

 麻太郎は折れた柄を投げ捨て、土間の脇に置かれていたなたを手に取って表に飛び出した。

 「うぉぉぉぉぉ!」

 麻太郎の咆哮が村を覆った。そして手当たり次第に村の家々に雪崩れ込み、次から次へと殺戮を繰り返した。悲鳴と怒号が村に満ちる。男も女も、年寄りも子供も、目に付く奴は一人残らず叩き殺す。飼い犬は尻尾を股の間に挟み込み、きゃんきゃんと悲鳴を上げながら山へと走り去った。赤ん坊を抱いて命乞いする女の首を切り落とすと、その腕で泣き叫ぶ赤ん坊の胴体を寸断した。騒ぎを聞きつけて逃げ出した村人も容赦しない。必死で逃げる男を追い立て、後ろから首をはねた。妊婦は腹を裂き、中の胎児も殺した。華をいたぶった男として名の上がった男たちは、特に念入りにその身体を切り刻んだ。そして村から動くものが消えた後、今度は表で倒れている死体を抱え、その辺の家の中に闇雲に放り込んだのだ。最後の一体が適当な家に押し込まれると、尾根村はあたかも打ち捨てられた廃村の様な静けさを取り戻した。

 しかし麻太郎の怒りの焔は、いまだ燃え上がっていた。次に麻太郎がやったのは、それぞれの家に火を放つことだった。表の死体を家に放り込んだのは、その焔で全てを焼き払う為だったのだ。その辺に転がっている木材で簡単な松明をこしらえると、麻太郎はそれを使って次々と家に火を放っていった。貧しい寒村の家など、簡単に火が点くものだ。一度燃え出すと、それらは次から次へと延焼し、いつしか村全体が巨大な焔に飲み込まれて行った。


 麻太郎はしきりと燃え上がる焔の前で、何もかもが燃えて無くなる様をじっと見つめていた。いつしか夜が訪れていて、ぱちぱちと木材がはぜる音に梟の声が被さった。時折、崩れ落ちる柱や屋根が轟音と共に火の粉を盛大に巻き上げ、星の瞬く夜空に吸い込まれて行った。橙色の照り返しを顔に受け、返り血を浴びた全身は赤黒く乾き始めていた。ゆらゆらと揺れるように見える表情は笑っているようにも見えたし、泣いているようにも見えた。その時、麻太郎の視界の隅が、何やら動くものを捉えた。足元に打ち捨ててあった鉈を再び手に取り、そちらを凝視する。

 それは華だった。華は焔を前にして、その目を見開いていた。口も開いていた。橙色に輝く顔から、ぎょろりと覗く両目が際立っていた。その目を見た時、麻太郎の身体に電撃が走った。それは見覚えのある風景だった。

 地震の様な揺さぶりが麻太郎の脳髄をかき回し、次いで全てを思い出させた。谷村の村人を殺し、そして火を放ったのは自分だ。この尾根村での大虐殺と同じことを、三年前の自分が谷村に対して行ったのだ。ずたぼろの様に叩きのめされた自分に、いったいどうしてそのようなことが出来たのか麻太郎には判らなかったが、あの時の虐殺の光景がまざまざと浮かび上がった。闇雲に逃げ惑う男たちから噴出する血潮と、それが創り出す赤い霧。命乞いする女子供と、足元に転がる首、首、首。両手を合わせて拝む老人の腹から引きずり出した臓物の鮮やかな色と匂い。全ては今日の出来事と瓜二つだ。この左手の火傷痕は、谷村の者にやられたのではない。火を放った時に誤って、自分で火傷をしてしまったのだ。

 今まで心の奥底に仕舞われていた記憶が、同じ風景を見て呼び起こされたのだった。それが何処に潜んでいたのか麻太郎には判らなかったが、確かに心の何処かに、それが息を潜めていることを漫然と感じ取っていたことは思い出された。燃え立つ焔と、橙色に照らし出される華の顔。そして大きく見開かれたその瞳。あの時も華は、それを見ていた。華は全てを知っていたのだ。

 よろよろと近付くと、華は麻太郎の顔を見ながら突然笑い出した。

 「あははは。あははは」

 そして子供のようにぴょんぴょん飛び跳ねながら、焔の前ではしゃぎ出した。燃え上がる村が嬉しくてしょうがない風に。それは、村の子供たちがやっていた、何かの遊びの様だ。麻太郎はなおも近付き、そして華の肩に手を掛けた。華は一瞬、ぽかんとした目で麻太郎を見上げ、また笑いながら遊びだした。

 「あははは。あはは」

 麻太郎は無理やり華を抱き寄せると、その身体を包み込んだ。そしてその場に座り込み、華を膝にのせて抱きかかえながら泣いた。子供が母親の腕から逃れて遊びたそうにするように、華は両手を焔に向けて掲げながら「あああ、あああ」と言った。麻太郎は更に強く華を抱き締めて、その首筋に顔を埋めて泣いた。

 「ああああぁぁぁぁぁぁ・・・」

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