「見ろ。麻太郎の左手を。ぐちゃぐちゃに火傷して・・・ 酷ぇことしやがる」

 「だから谷村の娘になんか、手を出すもんじゃねぇって言ったのによ」

 「ありゃぁ、助からねぇかもしれねぇな。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」

 佐兵衛が叫んだ。

 「荷車を用意してくろっ! 麓の病院さ連れて行く!」

 「あぁ、それがえぇ。佐兵衛さん、あんたは今すぐ麻太郎を連れて山下りるがえぇ。着替えやら必要なもんは、後から俺たちが持って行ってやるさ」と村長の源蔵が言った。

 「済まねぇ、源蔵さん! 千代のことも頼むっ!」

 そう言うと佐兵衛は、誰かが用意した荷車に麻太郎を乗せた。周りの村人たちもそれを手伝った。そして振り落とされない様に、縄で麻太郎の身体を荷車に固定すると、佐兵衛は急いで山を下り始めた。源蔵はそばにいた若い男に声を掛ける。

 「甚五郎、お前は足腰が強ぇから、佐兵衛といっしょに行け。交代で牽いた方が速ぇからな」

 甚五郎は「ん」と頷くと、佐兵衛の牽く荷車の後に続いた。それを見送った村人たちは、口々に谷村への怒りをぶちまけ始めるのだった。

 「あいつら、罰が当たったんだ! 麻太郎にあんな酷ぇことするから!」

 「あぁ、そうに違ぇ無ぇ。自分らの松明で、自分らの村を焼いちまうなんて、馬鹿のするこった」

 「本当に、あの山狩りの火が、村に燃え移ったのかえ?」

 「それしか無かんべ!」

 「だったら、誰かは逃げて来そうなもんじゃがのう・・・」

 「麻太郎にひでぇことしておいて、今さら『助けて下さい』なんて言えたもんじゃねぇさ!」


 瀕死の麻太郎が見つかった日の明け方、谷村では大きな火の手が上がっていた。丁度、両村の仲違いが、修復しようも無いほど悪化していた時でもあり、また川を挟んだ対岸の火事ということで、火の手が尾根村に及ぶ恐れも無いとして、尾根村ではそれを静観していた。村人同士の間に交わされた噂では、麻太郎を狩った山狩りの松明が、村に燃え移ったのだろうと囁かれていた。不思議だったのは、谷村の殆どの村人が逃げ遅れ、生き残った者が三人しかいなかった事だ。その三人も、気が付いたら焼け出されていたとの事で、実際に火事の原因が何であったのかを知る者はいなかった。

 だが、この生き残った三人が幸運だったとは言えなかった。むしろ焼け死んでいた方が幸せだったのではないかと思えるような、過酷な運命が待ち受けていた。


*****


 谷村の生き残りは三人。文は六十歳を越えた老婆で、音松は四十歳過ぎ。それから華であった。焼け出された三人には行く当ても無く、尾根村に身を寄せたのは必然的な成り行きだったが、谷村が消失したからと言って、両村の確執までもが消失するはずもなく、村外れの神社が三人に与えられた住処となった。三人は、事ある度に村の農作業に借り出され、その代償として僅かばかりの食料が与えられるという使役として命を繋いだ。ただ、尾根村の者たちの三人に対する扱いは過酷を極め、朝から晩まで馬車馬の様な労働を強いたのだった。それによって得られる食料 ― 尾根村の者たちは、それを『餌』と呼んでいた ― だけでは、とても三人が食いつなぐ事など出来ず、農作業の合間に野草なども口にした。ある時など、空腹に耐えかねた音松が村人の家の軒先にぶら下がる大根を盗み出し、それが見つかって男たちに袋叩きにされたことも有る。それでも三人は黙って、その苦役に耐え忍ぶのだった。それしか生きる道が無いのだから。


 ある時、三人はえんどう豆の収穫を手伝わされていた。朝から続く腰を曲げた作業に、特に年老いた文は苦しそうに、時折その腰を伸ばしながら痛みに耐えていた。華は文の腰をさすってやりながら、その身体を労わった。その様子を腕組みしながら見ていた菊次が華を呼んだ。菊治は、その畑の持ち主である。

 「何だ?」作業を中断した華が、菊治の前までやって来て聞いた。

 菊治は何も言わず、くるりと振り返って、森の方に向かって歩き出した。しかたなく華も、その後に従った。

 暫く森を進んだ所で菊治が足を止めた。華はもう一度聞いた。

 「何だ、菊治さん?」

 すると突然、菊治が華を抱き締めた。驚いた華はがむしゃらに抵抗する。

 「何するだ! やめろ!」

 菊治は華を抱きすくめたまま、その襟足に口を押し付けた。華は身をよじって嫌がった。そして菊治の腕を振り解いて逃げ出したが、直ぐさま、再び菊治に捕まり、またしても首筋に吸い付かれた。腕を突っ張った華が、菊治の顔を押し返す。いつまでも抵抗を続ける華に業を煮やした菊治が、遂に華の左頬を思い切り引っ叩いた。「ぱぁん!」という音と共に、小柄な華の身体が吹き飛んだ。草の上に倒れ込んだ華は、打たれた頬がじんじんと痛むのを感じ、口に広がる鉄臭い味が、口の中の何処かが切れたことを教えた。菊治は倒れた華の着物の裾を広げると、露となった両脚の間に分け入って、その上に覆いかぶさった。

 華は既に抵抗する気力を失っていた。頬に手を当てると、そこだけ燃える様に熱かった。そして左耳には、まだ耳鳴りの様な音が聞こえ続けていた。


 この時以来、華は尾根村の男たちに頻繁に呼び出されるようになった。農作業中、森の中に連れ込まれ、事が済むと作業に戻った。だが暫くすると、別の男が来てまた華を連れて行った。最初は難色を示していた華も、次第にそれを受け入れる様になっていった。さもなくば酷い目に遭わされるのだから、受け入れざるを得ないのだ。不思議だったのは、村の女たちがそれを黙認していることだ。独り身の男たちの間で始まったこの習慣に、いつの間にか所帯持ちの男たちも加わる様になっていったのだ。だがその女房たちは、自分の亭主が華と交わることを黙認していたのだった。それは、谷村に対する復讐の感情がなせることなのであろうか? 或いはその時既に、谷村の三人が人として認識されていなかったのだろうか?

 こんな状況が続けば、農作業の効率は落ちる一方だ。言い渡された作業が完了しないと、尾根村の者から容赦無い懲罰が与えられるため、その負担は残った二人にしわ寄せとなって覆い被さった。文は年齢的に言っても重労働には耐えられない。必然的に華の抜けた分は、男であり、まだ働く余力の有る音松が背負うことになる。そういった無理がたたり、音松はみるみる疲弊してゆくのだった。

 ある日、華が森での男の相手をしてから畑に戻ると、文が音松の背中をさすっていた。

 「どうしただ、文婆ぁさん!?」

 華が駆け寄ると、文が泣きそうな顔で言った。

 「音松さんが、急に苦しみだしたんじゃ」

 音松はしゃがみ込んで胸を押さえていた。呼吸は荒く、冷や汗を流しながら、蒼白な顔で今にも倒れそうであった。

 「おら、誰か呼んでくるっ!」

 そう言うと、華は尾根村に向かって駆けだした。


 村長の家では、主要な男五人が集まって畑の拡張計画について話し合っていた。その中には麻太郎の父、佐兵衛も加わっている。しかしいつものように、その話は適当な所でけりが付き、いつの間にかただの酒盛りの様相を呈し始めた。結局、酒が呑みたくて集まっている様なものなのだ。かなり酒もすすんで場は盛り上がり、男たちは大声で騒いでいたのだった。一番年嵩の村長、源蔵は赤い顔でご機嫌な様子で、中には自分で手拍子しながら、歌い出す奴もいた。

 そこに華が飛び込んで来た。

 「大変だ! 音松さんが、胸押さえて痛んどるっ!」

 男たちは白けた様に華を見上げた。誰も何も言わなかった。ただ一人、久六だけが黙って立ち上がった。華は久六にすがり付きながら言った。

 「医者を呼んでくんろ! 薬を分けてくんろ!」

 華は久六の顔を見た。久六はそっと華の肩に手を回した。そして次の瞬間、その身体を畳に投げ付けた。華は男たちの輪の中に倒れ込み、その弾みで酒がこぼれたり肴の皿がひっくり返ったが、誰も気にしてはいない。酔いの回った充血した目で見下ろすのみだ。はだけた着物の裾から覗く華を滑らかな脚を、舐める様に男たちが見つめた。華が目を見開いて見上げると、久六はゆっくりとしゃがみ込み、顔を近付けた。二人は見つめ合う形となった。そしていきなり、久六が華の上にのしかかった。周りの男たちから歓声が上がった。

 「やめろっ。やめてけろっ・・・」


 結局、音松は医者に診て貰うことも無く、薬を処方されることも無く、神舎の中で次の朝を迎えることも無かった。静かに息を引き取ったその躯は、神社の裏手に浅い穴を掘って埋められた。年老いた文とか弱い華だけでは、深い墓穴を掘ることが出来なかったからだ。手厚く葬られるはずなど無かった。こんもりと盛り上がった土の墓を前に、文はいつまでも手を合わせて経らしきものを唱えていた。華は神社の石段にぼんやりとした様子で腰かけ、その声を背中で聞いていた。

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