二
秋口から翌年の春にかけて、酪農は農閑期を迎える。牛の世話をする酪農と言えどもその農繁期は、冬季に向けた飼料の確保など、主に農作物の収穫時期に集中し、逆に雪に閉ざされる冬場には、夏に収穫した飼料の分配と、毎朝の搾乳のみとなる。従って冬の男たちは街に出て、いわゆる出稼ぎにて日銭を稼ぎ、女たちは牧場に残って牛の面倒を見るというのがこの村の常なのだ。そんな話を聞かされながら、麻太郎は晴子の差し出す茶碗を受け取り、三杯目の白米に喰らい付くのだった。
「お父も兄やんも、今は美濃白鳥の街に降りて、楽しくやってるみたいよ。牛の世話は私ら女に押し付けて、自分らだけ街で浮かれてんだわ、きっと」
そう不貞腐れる晴子に、麻太郎は恐る恐る聞いた。
「どうしてそんなに、親切にしてくれるんですか? 得体の知れない俺みたいな・・・」
「だ・か・ら~」晴子は身を乗り出すようにして言った。「これから始まる冬の間、男手が欲しいのよ。毎日の餌やりだって、それなりに重労働なんだから。判るでしょ?」
「は、はい・・・」
「母屋の右手にある小屋を自由に使っていいわ。ちょっと黴臭いけど、野宿なんかよりはずっとましでしょ? お給料は出せないけれど、朝夕の餌やりと搾乳以外は自由時間ってことで、三食昼寝付き。まっ、自由時間と言っても、雪が積もり出したら何処にも行けないんだけどね。アハハ」
「あ、あの・・・ 他に手伝ってくれる人は・・・」
晴子は大袈裟に落胆するような素振りを見せる。
「居ないの・・・ 本当はお母が居るんだけど、今は病気で臥せってて裏で寝てるわ。だから今年は特に人手が足りないのよ。いいかしら?」
「は、はい」
「それじゃぁ契約成立ってことで。早速、明日から働いて貰うから。お代わりは?」
麻太郎は恥ずかしそうに茶碗を差し出した。それを受け取りながら晴子が言った。
「お風呂も沸いてますからね」
*****
よく喋る女だと思った。これまで見知った、どんな女とも違うと麻太郎は思った。久しぶりに屋根の下で眠れることに興奮し、何だか頭が冴えて眠れない麻太郎は黴臭い布団の上で、頭の後ろに腕を組んだままいつまでも考え事をしていた。
後先考えず、無一文で田島屋を飛び出してきた麻太郎は、毎日物乞いのような生活をしながら、東へ東へと流れてきたのだった。街から街へと放浪し、日雇いで日銭を稼いでしのいできた。そうして迎えた秋。いやもう直ぐ冬か。確かに晴子が言った通り、山で冬を越すことなど出来るはずは無い。かと言って街に戻れば、いつ追っ手が姿を現すか分かったものではない。そう考えたら、このひと冬をこの牧場でやり過ごすというのも、まんざら悪い話でもない様な気がするのだった。いや、悪くないどころか、とてつもない幸運なのではないかと思えてきた。
田島屋を後にして以来、初めて感じた安堵感を持て余した麻太郎は、晴子の姿を思い浮かべて自分を落ち着かせようとした。晴子は、華とも初音とも雪乃とも違う。日々、泥にまみれながら働く彼女には、これまでの女たちには無い力強さと活力が漲っているようだ。その朗らかな笑顔とさばさばとした口ぶりを頭の中で反芻していると、いつしか麻太郎のものが固くいきり立った。それを右手に握り締めながら、麻太郎は晴子の服を一枚一枚脱がせるのだった。
逃亡生活を始めてから、こんな風な気持ちになったことなど、一度して無かったのに。気が張り詰めて、いつ踏み込んでくるかもしれない追っ手の影に怯え、浅い眠りを繰り返した。それが今、何者にも怯える必要のない夜を迎えたのだ。右手の上下運動を激しく繰り返す麻太郎の頭の中では、一糸纏わぬ晴子が麻太郎の上にまたがって、艶めかしく揺れていた。そして空想上の晴子が昇り詰めると同時に、麻太郎も精を放出した。
立て付けの悪い小屋の引き戸がかたりと鳴った。風が出てきたようだ。もう直ぐそこまで冬が来ていることを麻太郎は感じた。
*****
先ずは難しい技術の必要無い餌やりから始まった。夏の間に刈り貯めておいた牧草を一輪車に乗せてサイロから運ぶだけの作業は単純明快な肉体労働であり、余計な事は考えずに没頭するには最適の作業だ。従って、晴子から一通りの説明を受けた麻太郎は有り余る若い体力を惜しみなく注ぎ込んで、あれよあれよという間に今朝の餌やりを終えてしまったのだった。それを半ば呆れるような顔で見ていた晴子が言う。
「まぁ、麻太郎さん。仕事が早いのね。お父やお兄の倍くらいは働いてるんじゃないかしら。そんなに急がなくたっていいのに」
麻太郎は袖口で額の汗をぬぐいながら応える。
「いえ、別に急いでなんていません。ただ没頭していただけで」
それを見た晴子は、自分の首にかけていた手ぬぐいを麻太郎の首に掛けてやった。
「それじゃぁ、次の仕事・・・ って言いたいところだけど、本当にもうやってもらうことが無いのよねぇ。搾乳はちょっと難しいから、いきなりは無理なのよ」
「はぁ・・・」
そう言って掛けて貰った手拭いで顔を拭くと、仄かに晴子の匂いがするのだった。
「それじゃぁ、隣の小屋に板っ切れと大工道具が有るから、それを持って囲いの修理をして貰おうかな。境界に沿って歩いて行って、壊れている所を直してきて頂戴。いつもなら春先にやる作業なんだけど、雪が積もる前に済ませておけば春が楽になるから」
「はい、分かりました」
麻太郎が踵を返して歩き去り、牛舎の扉を開けて外に出ようとした時だ。ひときわ冷たい風が吹き込んで、麻太郎をぶるりと震え上がらせた。そして振り返り、搾乳を再開していた晴子に向かって麻太郎が叫んだ。
「晴子さん。雪が降り始めました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます