二
麻太郎の傷も癒え始め、何とか体を起こせるようになったのは、伊之助による殴打事件から一週間後のことであった。その間、華は麻太郎の見舞いに幾度となく訪れていたが、谷村の女という理由だけで門前払いを受け続けていた。ましてや主犯の伊之助の娘とあれば、無事に尾根村を出られる保証すら無いくらいであった。
「どんな具合かだけでも教えてくんろ。麻太郎は元気にしてるか?」
「駄目だ、駄目だ。谷村の者に教えることなんか無ぇ! とっとと帰れっ!」
仕方なく華は例の二人の秘密の場所で、来る日も来る日も麻太郎を待ち続けたのであった。その後、伊之助とはまともに口もきいていない。伊之助があのような蛮行に至った理由も不明のままだが、話せば腹立たしさが湧き上がって来るし、麻太郎の名前を出しただけでも平手打ちが飛んでくるからだ。まさか、自分が麻太郎と深い仲になっていることを、伊之助が知っているとは夢にも思ってはおらず、華は不安に駆られながら、来る当ても無い麻太郎をただ待ち続けた。
更に一週間が過ぎ、遂に麻太郎は出歩けるようになった。打撲は傷みさえ我慢すればよかったが、頭の傷だけは、それが塞がるまで動き回ることを許さなかったからだ。そして久し振りに表に出て最初に訪れたのは、無論、華との秘密の場所であった。そこで逢う約束を交わしていたわけではなかったが、まず間違いなく華はそこに居るはずだ。麻太郎には確信が有った。
川を渡る吊り橋を越え、右に続く獣道を二週間ぶりに進むと、やはりそこには華が居た。華はいつもの場所で、いつもの石に腰かけていた。麻太郎を認めた華は駆け寄り、その身体をしっかと抱き締める。そして両手で麻太郎の顔を包み込むと瞳を覗き込んだ。頭に巻く包帯からは血が滲み出て、痛々しい様相を呈していたが、それでも麻太郎は笑顔で華を抱き返した。二人は抱き合ったまま、いつまでも唇を吸い合い、そうしながらも華の目からは、伝う涙が止まることは無かった。
「済まねかっただ、麻太郎・・・ おらのお父が・・・」
「お前が謝ることじゃねぇ」
「おら、お父を許さねぇ。あんな奴、父親じゃねぇ」
「そんなこと言うもんじゃねぇ、華・・・ そんなこと・・・」
華は、病み上がりの麻太郎を労わる様に石に導いた。そしていつもの様に並んで座り、二人はお互いを確かめ合った。
二人は、この二週間の出来事を語り合った。そして、どうしても伊之助が麻太郎をぶった理由が判らないのであった。二人の関係に感付いたのであろうか? いや、そんな筈は無い。この場所は、何処からも見通すことが出来ない秘密の隠れ家なのだから。華は言った。
「二人で逃げよう、麻太郎」
「逃げるって・・・ 街か?」
「そうだ。何処か遠くに行って、二人だけで暮らすんだ」
「だども・・・」
「今度、こんなことが有ったら、おら、お父を殺してやる。絶対にだ」
思いもよらぬ華の気性の荒々しさにたじろぐ麻太郎であったが、この地に留まることは自分ら二人にとって、決して良い結果をもたらさないことは、漠然と感じている。それと同時に、華と伊之助との関係においても、ここを離れるべきかもしれないと思う様になっていた。
「判った。村を出よう」
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