第27話・克服

 どれほどの時間が流れただろうか?眠ってしまっていた。

 突然、暗闇に薄明が差し込む。そして、熱射・・・鉱物が焼け焦げたようなにおい・・・密閉されていた空間に、いっせいに「現実世界のリアル」が飛び込んでくる。王様がとぐろを解いたのだ。そのからだのすき間から、外界がのぞく。

 頭上には、黒灰色の空がひらけている。宮殿の天井は吹き飛んだようだ。四方を囲っていた壁もなくなっている。ドラゴンが飼育されていた巨大なホールは、いや、屋内の牧場とでもいうべき広大な土地は、まるで爆心地のように・・・前文明を滅ぼした、各大陸の要衝地にうがたれたあの大穴のように、中央に向かってすり鉢状にくぼんでいる。その中心には今もなお、ものすごい火柱が立ち、ゴウゴウとうねっている。天も焼け落ちよとばかりの、竜巻のような火の塔だ。そこは、サイロがあった場所だ。熱嵐が、はるか離れたここにまで渦巻いている。地下に、まだ膨大な量のドラゴンの可燃性胃液が残されているらしい。それが燃え尽きるまで、この火柱は空を焼きつづけることだろう。党の影響下にある地域全土のデンキと、辺境の非帰順地を荒らしまわる火力をまかなうほどの量だ。いったいどれほどため込んだのか、想像もつかない。

 おびただしい数のドラゴンが、すり鉢の周囲でうごめいている。大爆発で散り散りに飛ばされたようだが、どれもが生きている。柵や管、鎖などに使われていた鉄はすっかり融けきっているというのに、彼らは平気なのだ。なんと火に強い生き物なのか。腹の中に火を養っているのだから、当然といえば当然なのかもしれないが。

 一方、彼らを養っていた女帝陛下はといえば、影を残すこともなく消し飛んでいる。衛兵たちもまた、一瞬にして掻き消えた。骨はおろか、わずかな灰すらも残していない。まるで蒸発してしまったかのようだ。ため込まれた爆液の炸裂は、それほどの破壊力だったのだ。壮麗無比、広大無辺とまで思われた宮殿は、跡形もない。ただ、外からの攻撃に備える頑丈無双の外壁がわずかに残っている程度で、敷地内は、まったく色のない焼け野原と化している。なのに不思議と、外側の街は平然とそこにある。宮殿のあまりに堅固な造りが、逆に内側の破裂を壁外に漏れるのを防いだようだ。カンピオンの生涯で、唯一のファインプレイと言っていいだろう。皮肉にも女帝陛下は、人生の最後に、はじめて民衆を守ったのだ。

 オレとジュビーをふところにおさめていたドラゴンは、ようやくとぐろを解いて立ち上がった。見上げると、改めてすごい大きさだ。この強靭なからだに守られたのだ。ふたりは、橋のように頭上を渡る腹をくぐり、滅びた国に立つ。

「王様・・・」

 王様は、満身創痍だ。火に強いとはいえ、事前の戦いで傷ついていたからだは、すでにウロコが所々ではがれ落ちていたのだ。その箇所箇所が、熾きのようにチリチリとくすぶっている。ひどい火傷を負い、ただれ、芳しいまでの腐敗臭が立ちのぼってくる。想像を絶する痛苦を耐えつづけたにちがいない。ふたりのために。

「ありがとう、王様・・・あなたを、生涯大切にします・・・」

 ドラゴンは、穏やかな目だ。不意に、大きな口を開いた。そして長舌をくるくるとほどいていく。その奥から、一本の剣が現れた。なんと、くの字剣だ。女帝から、手首ごと奪ったものだ。

「わたしの剣・・・」

 手に取り、ジュビーは泣きながら笑った。ドラゴンは、この上もなく優しい表情をしている。それはまるで、残されたたったひとりの家族に向けられるような、親密な面差しだ。

 しかしすぐに、その瞳は決意に引き締まった。小山のような背をゆっくりと起こし、視線を遠くの一点に射込む。黙考しつつ、それをじっと見据えている。視線の先にあるのは、渦巻く業火だ。地表を貫いて、今もなお、炎の柱は天を突く。その勢いは、まったく衰えることを知らない。もうもうと吐き出される黒煙が分厚くたなびいて陽光をさえぎり、空をねずみ色にくぐもらせている。その中で時折り、小刻みな稲光りが走る。恐ろしい光景だ。世界の環境そのものをも変えてしまいそうな、忌まわしい予感までがある。

「王様・・・」

 ジュビーの呼びかけにも応えず、巨大なドラゴンはひとり、戦闘態勢を取る。その姿勢のまま、立ちのぼる炎に向かって歩みはじめた。四本足で、のっし、のっし・・・足取りはおぼつかない。最後の力を振りしぼっているとわかる。それでもなお、力強い。

「なにをするつもりっ?いかないで、王様っ・・・」

 しかしもう、王様は振り返らない。その視線は目標に据えられ、押しとどめようもない意志をみなぎらせている。それは闘志ではなく、責任感のようなものなのかもしれない。王様は、一歩、また一歩と歩みを進める。炎に向かって。

「王様っ!やめてっ・・・」

 周囲のドラゴンたちが、道を空けていく。王様の巨体は、他のものの数倍も大きい。引き締まった筋肉によろわれ、威厳をたたえたその姿は、人間に飼い馴らされた卑屈なものたちを畏怖させる。翼を折られた哀れなデブドラゴンたちは、英雄を尊崇する目で王様を見上げる。そして何事かに打たれるのか、道をゆずり、その場にひれ伏していく。

 王様は、ドラゴンが密集した地帯を抜けてもなお、ひとりきりで前進をつづける。火柱に近づくにつれ、業火が渦巻き、意を決したものに向けて吹きつけてくる。激烈な熱さだろう。なのに、王様は歩みをとめようとしない。そしてついに、炎の噴出する根元にまでたどり着いた。自分のからだの何十倍もの太さがある、まるで竜巻のような火炎塊だ。いくら耐熱のウロコをまとっているとはいえ、そんな猛炎を鼻先にして、平気でいられるはずがない。しかし王様は、後ろの二本足で立ち上がり、前足を、そして翼を思いきりひろげた。

「王様っ・・・いやだ。いやだ・・・おうさまっ!」

 ものすごい熱。巻き起こる突風。炎の嵐が、王様を飲み込んでいく。わっ、と翼が燃え散った。はらはら、とウロコが剥がされていく。飛んだウロコは、枯れ葉の焦げかすのように跡形もなくなる。尋常ではない熱さだ。王様の輪郭はたちまち焼けて朧(おぼろ)になり、滅形していく。前足がもげ飛ぶ。尾が細っていく。ツノが融解する・・・

「王様・・・」

 ジュビーは目をそらさない。ついに、王様の頭が飛んだ。それでも、王様は立ちつづける。なんという強い心。王様がなにをしたいのかは、わかっている。

「火を・・・消そうとしてるのか・・・」

「・・・ドラゴンの本能よ。自分が起こした火を、彼らは自分で消そうとするの・・・」

 オアシスでネロスと最初にやり合ったとき、炎を放った王様が、残り火に背をこすりつけて消していたのを思い出した。

「律儀なやつだ・・・」

「ちがう・・・二度と世界を終わらせないためなの。彼らは、火が世界を滅ぼしたことを知っているのよ・・・」

 だとしたら、なんという知性だろう。驚くばかりの生き物だ。

 王様は、足だけを残して、灰になった。それでもまだ立ちつづけている。足の指が、ぎゅっと地面を噛んだように見えた。まだ力を込めている。信じがたい精神力だ。

 周囲のドラゴンたちは、じっとそれを見つめつづける。恥じ入りつつ、ただ見守る。しかし、ついに何事かを感じ取った。王様の意思に呼び覚まされたのだろうか。一頭、また一頭と、身を起こしはじめた。そして、前足を、後ろ足を進める。驚いたことに、多くのものが前進をはじめた。彼らこそ、責務を感じているのだ。自分たちの無様な振る舞いが、この世界を焼こうとしているのだから。やがておびただしいドラゴンが、一頭残らず、火柱に向かって歩みはじめた。

「この子たち・・・」

「ああ。王様が突き動かしたんだ・・・」

 炎近くのものが、たちまち燃え散っていく。一頭、二頭では、どうにもならない。しかしドラゴンたちは、多くのからだを寄せ合って壁をつくり、火柱を取り囲んでいく。後衛のものたちは、なおも歩を進める。最前列のものたちが、たちまち焼け焦げ、燃え尽きていっても、壁は進む。そうして火柱を包み込む。誰もが黙々と、ひと鳴きも発せず、炎にからだをひらき、灰になっていく。まるで、今までの怠惰を悔い改め、誇りを失っていたことを贖罪するかのようだ。彼らの行為には、惜しむものがない。世界のために、次から次へと身を捨てていく。

「みて・・・」

「なんてことだ・・・炎が・・・」

 ドラゴンたちの行為は、まったく無鉄砲に思えた。が、信じられないことに、火の勢いに変化が出はじめている。ドラゴンたちは、からだとからだをレンガのように積み上げ、巨大な炎を閉じ込めていく。熱気に炙り立てられながら、前のからだをよじのぼり、灰になっては天にのぼり、それでもよじのぼって、灰になって・・・そうして堅牢な壁を立ち上げていく。そしてついに、数知れないドラゴンのからだを重ねた壁は、全方位から炎を包み込み、ドーム状の天井屋根を築き上げた。火の穴がふさがったのだ。それでもなお、ドラゴンたちは背に腹を重ね、肉体を積み上げていく。折り重なった下にいるものから、順に灰になっていくのだ。常に循環と補充が必要だ。からだとからだのすき間からこぼれ出る炎を見つけると、次のものがそこを腹でふさぎ、彼が炭色の骨になれば、さらなるものが這い進み、補っていく。全員が見事に連動し、まるで地球規模の巨大な生命体がうごめいているように見える。それは、美しくも、悲壮な光景だ。

 ジュビーとふたり、言葉もなくそれを見つめつづける。人間のこざかしさに起因する破壊と、ドラゴンのからだを張った克服とが、同時に行われている。これを目に焼きつけなければならない。次なる世界の創造のために。

「フラワー・・・」

 ジュビーは、瞳に強い意志をみなぎらせている。

「わたし、新しい世界をつくるよ・・・」

 新たな国家建設の指導者はつづける。

「目の前で起こっているこの光景を、ぜったいに忘れない・・・」

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