第26話・破滅

「おお・・・かわいそうに・・・」

 その声は、オレたちに話しかけたのだろうか?奇妙に感情のこもっていない、女の声だ。振り向くと、そこには、おびただしい数の近衛兵を引き連れた・・・というよりは、かしずかせた「女帝陛下」の姿があった。肖像画とはかなり違うが、一目でそれとわかる。なにしろ、光り輝いているのだから。目がくらんで、眼球を痛めそうだ。まばゆいばかりの宝飾品を身にまとい、左右からレフ板まであてている。が、中身は不細工なババアだと知れる。周囲のデコレーションがチカチカして顔はよく見えないが、筋金入りのどブスだ。この女の股の間から、美しいジュビーが泳ぎ出たというのか。まさか、と信じられない気分だ。しかし、この女が正真正銘、カプー・ワルドーの元妻にして、統一国家元首、女帝王位のカンピオンだ。

「いろいろと、かわいそうだわ、あなたたち」

 女帝の横に、袋叩きに遭った英雄が引き出されてきた。顔はボコボコで、歯がさらに二、三本、減っている感じだ。ドラゴンと飛び去った、かの村に車椅子を置き忘れ、這うこともできない男は、かつての女房の足元に無残に横たえさせられている。

「パパっ!」

「・・・よお、ジュビー。お互いに、ザマはないな」

 おぉ、お、お・・・

 広場中にどよめきが走る。誰もが、こんな小さなじいさんだとは、思ってもみなかったにちがいない。人々が待ち焦がれた伝説の男、カプー・ワルドーは、両手に頑丈な鉄の錠を咬まされている。

「パパ、大丈夫・・・?」

「ふっ、おまえに言われるか・・・長いこと待たせて悪かったが、わが方は全滅だ。だがな、人生とは、こんなことの繰り返しよ。俺もかつて、数限りない挫折にまみれたものだ。その果てにこそ、栄光がある。今回はたまたま残念な結果だったが、次こそは・・・」

 突然、理解した。国家建設党を組織したのが、野心満々のこの男なら、マモリを組織したのも、凋落したこの男だったのだ。英雄は、自分で築いたものを、自分でぶち壊していたわけだ。なんという苦々しい人生だろう。

「口をお慎みなさい、あなた。ご自分の立場がわかっているのですか?」

 女帝が、父娘の会話を制した。苛立っているわけではない。むしろ余裕しゃくしゃくで、この状況をたのしんでいる。ただ、この舞台上でも、自分が主役でいたいのだ。

「手首があまりに疼くので、あなた方がきてくださることはわかっておりましたのよ」

 その左手首は、精巧につくられた義手がはめ込まれ、革の手袋で隠されている。そこを、なぜかさすっている。その位置に、手の先はないはずなのに。伝説に聞く通り、ドラゴンの尾に落とされたのだ。

「おい、カンピオンよ。俺が参上つかまつれば、こいつは・・・ジュビーは許されるという触れ込みだったはずだが?」

 カプーの言葉に、女帝は扇子で口を覆い隠し、ふふ、と上品に笑う。うれしくてうれしくて仕方がない、という表情だ。

「おバカさんね、こんな参上の仕方がありますか」

 女帝陛下のその後につづく長広舌を要約すると、カプーは大胆にも、ひとりで女帝陛下の寝室を襲ったということだ。ドラゴンに乗り、屋根を転げ、宮殿の外でケンカ祭りがはじまるのを見計らって、通風口を伝い、長い長い屋根裏をほふくし、ナイフを手に、元女房のベッドに夜這いをかけたのだ。まったく、あきれたやつだ。王様ドラゴンの大立ち回りに、マモリの奇襲、それに吊るされたジュビーとオレたちまで、すべてをおとりとして利用したのだ。一切が壮大な陽動作戦だったのだ。そして自分ひとりだけは、影でこっそりと手柄の総取りを目論んだわけか。なんという巧妙さ・・・と言いたいが、どうしても浅知恵にしか思えない。すべてが失敗した今となっては。

「もう少しだったのだがなあ。あとほんのちょっと・・・これくらいか?惜しかった」

 カプーは、親指と人差し指の間をわずかに空けて見せる。あと指一本分で、女帝の首を掻き切れたのだという。そいつは痛恨だ。

「うふふ。おイタが過ぎますわ。いくら元めおととはいえ、プライバシーというものがあるでしょう」

「そこは勘弁してくれ。昔からそういう男だということは、おまえも知っていよう」

「正面からきてくだされば、よろこんで応じますのに」

「馬鹿を言うな。二度とごめんだ」

「またまた。あなた、色ごとはとてもお好きで・・・」

「いいかげんにしてっ!」

 今度はジュビーが、夫婦の会話をさえぎった。

「テオが死んだんだよっ。わたしたちのテオを返してっ!」

 女帝は、足下に横たえられた小さなからだに、哀れみのまなざしを向ける。しかし、これはサル芝居だろう。

「なんと気の毒な・・・だけれど、国家には法というものがあるのです。それを破れば、いかなる人物といえどもこう処さざるをえないのですよ」

 悲痛に聞こえるトーンだが、声は舞台上のセリフまわしのように張っている。おそらく、周囲の民衆へのエクスキューズとしての発言だろう。さすがは海千山千の政治家だ。が、次の瞬間にはもう、女帝は役まわりを母親に切り変えている。

「お母さんを許してね」

「ふざけないでっ!」

 ジュビーは、肩に置かれた母親の右手を・・・一本きりしかない手を、払いのけた。

「今さら母親づらしないでよ。あなたなんか、知らないよっ」

 たしかに常識的な母親なら、わが子をドラゴンの穴に放り込んだり、七日もの間、首くくりにしたりはしない。異常な怨念が、この母親の心にはひそんでいる。あるいは、それはもっとドライな「野心」というものかもしれない。

「テオをっ・・・」

「わかりました。その子を丁重に葬りましょう」

 二重になったアゴを女帝がしゃくると、後方に控えていた雑役たちが前に出てきた。六人がかりでかついでいるのは、大層立派な棺だ。しずしずと厳かに置かれたその棺の正面には、「C.W.」の装飾がある。これには英雄も、さすがに苦笑いをしている。

「用意のいいことだな」

「あなたに万が一のことが起きたときのために用意させたのですけれどもね。ジュビーのお友だちにはこれに入っていただきましょう」

 テオのなきがらが入れられ、フタが閉じられる。女帝は、すぐ脇にあるネロスの遺骸もちらりと一瞥したが、目にはなんの色も差さない。信頼を置き、重用してきた配下のはずだろうに。この女、本当に血が冷めきっている。

「・・・王様も・・・あのドラゴンも死んだの・・・?」

「ドラゴン。ああ、あの愚鈍な生き物」

 はじめて女帝の眉間にしわが寄せられた。王様は、すべてのドラゴンの中でも、最重要の個体だ。なにしろ、女帝の手首を刎ね落とした真犯人でもあるのだから。

「あのドラゴンは、国家建設の役に立ちますの。悔しいけれど、生かしてあります。そのかわりに、死ぬよりももっとみじめな目に遭ってもらうわ」

「・・・?」

「会いたいのですね。だったら、会わせてさしあげましょう」

 女帝の目は、サディスティックにゆがんでいる。


 宮殿内は、気が遠くなるほどの広さだ。街ひとつ分どころではない。長大な廊下が、めくるめく装飾に彩られ、様々にきらびやかな調度品に飾り立てられ、絢爛豪華なことこの上ない。いったいどれほどの膨大な資材と莫大な費用をつぎ込んだのか。そして、狩り出される党員たちの途方もない労役・・・それを思うと、優雅というよりも、ゲテモノ趣味と見えてくる。

 手錠を咬まされたジュビーとオレ、そしてカートに乗せられたジュビーの父親・・・伝説の英雄であるカプー・ワルドーは、銃口を突きつける近衛兵たちに取り囲まれたまま、女帝についていく。この家の主は得意満面で、数々のすばらしい部屋の説明をしつづけ、客人を辟易させてくれる。ところが、いくつもの大広間を経るうちに、やがて様相が変わってきた。あれほど壮麗だった装飾が、奥へと進むにつれて、急に素っ気なくなっていくのだ。空間をふんだんに使っていることに変わりはないが、空気が重くよどんでいる。一種、陰惨な雰囲気が肌に感じられる。そしてついに、奇妙に殺風景なその部屋にたどり着いた。

「この宮殿の最大の秘密をお見せします。きっと楽しんでいただけますわ」

 女帝は気味の悪い笑みを口元に浮かべている。そして、手下の者に、大きな扉を開くように指示を出した。

 ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、ぎ・・・

「うっ・・・」

 むん、とこもった臭気が鼻を突く。野獣のにおいだ。いや、家畜か。すえた腐敗臭も混じっている。

「おおっ、くさい・・・嫌だ、嫌だ。だけどわたくしは、この光景をながめるのが大好きなの」

 扉の奥には、バルコニーのようなスペースがひらけている。その眼下に、薄暗い、そしてとてつもなく広大なホールが見える。いや、それは広間というよりは、面積からいえば、土地と呼ぶべきだろう。サイドも、奥行きも、果てしなくひろがり、突き当たりの壁が見えないのだから。そこに、目を疑うような光景が展開している。

「ドラゴン・・・か?」

「まさか・・・これ、全部・・・?」

 ジュビーも驚愕している。ホールの底で、何百・・・何千・・・その桁では利かないほどの、おびただしい数のドラゴンがうごめいているのだ。何頭かずつでひしめき合って柵に閉じ込められ、お互いの四肢とシッポとを鉄の鎖でつながれている。その拘束の仕方は巧妙で、一頭が動くと、連結された他の何頭ものドラゴンの手足が引かれてしまう。そうしてそれぞれの関節の可動域を殺し合うため、身動きがとれない。翼は折られ、尾の骨板は切除され、爪は詰まれて、抵抗も逃走もできなくしてあるようだ。どのドラゴンもあきらめきっているのか、目はうつろで、でっぷりと肥え太り、ぐずぐずと地べたをのたくるばかりだ。これがあの高潔な生物か?と目を覆いたくなる。

「すごいでしょう。国中の者を総動員して、競って捕らえさせたのですよ」

「ひどいよ!ドラゴンをこんなふうに扱うなんて・・・」

 ジュビーが食ってかかる。歯を剥いて、女帝に噛みつかんばかりだ。しかし、あっさりと近衛兵たちに取り押さえられた。

「どうして、こんなっ・・・」

「殺さずに生かしておくのかって?それはね、この子たちは、とても有用なのですよ」

 ふと気づいた。どのドラゴンの土手っ腹にも穴が開けられ、太いパイプが通されている。パイプは、何ヶ所もの経由地でまとめられて徐々に太くなっていき、ホールの中央にでんと構える巨大なサイロのような塔につながっている。まるでウシやヤギから搾乳するように、ドラゴンの体内からなにかを採取し、集めているのだ。

「胃液か・・・」

 道理で、党があれほどの火力を手にできるわけだ。化石燃料ではなく、生きた燃料を培養していたのだ。ドラゴンの可燃性の胃液は、火薬よりも爆性が強い。それを安定的に生産できるとなれば、それは国家を手に入れたも同然だ。

「・・・殺さずに生け捕りにしていたのは、このためだったのか・・・」

 あっけにとられながらも、震えがくる。その燃料を使って、自分もバギーを飛ばしていたらしい。恥じ入りたくなる。天罰でも下りはしないか。しかし女帝は、むしろ鼻高々だ。

「当初は怒りにまかせて、この手首を落とした怪物の絶滅を望んだのですけれどもね。ところが捕らえてみたら、これほどまでに役に立ってくれるとは。ほほほ・・・」

「ひどい・・・人間の身勝手のために、かしこくて誇り高いドラゴンをこんな目に遭わせるなんて・・・彼らは滅びそうになっているんだよ!」

「ならば、よろこんでいいわ、ジュビー。ドラゴンは滅びませんよ。今後、この動物は家畜として生きつづけ、養殖でさらに増えつづけるのです。ドラゴンの寿命をご存知?おかげでこの国家は、500年は繁栄しますよ」

 女帝、カンピオンは、声高らかに笑う。ジュビーは打ちひしがれ、カプーは嫌悪のまなざしで元妻をにらみつけている。オレは策を練る。しかし、剣を取り上げられ、手に錠をはめられ、屈強な近衛兵たちに銃口を突きつけられている。なすすべがない。

「おい、約束だぞ。王様はどうした?俺たちのドラゴンだ。会わせろ」

 カプーが切り出す。

「『王様』という名前なのですね。それはかえって屈辱というものですよ」

「どこだ?」

 女帝が、肉のダブついたアゴをしゃくる。すると、バルコニーのサイドにある大きな扉が開き、巨大な台車にのせられた王様が運ばれてきた。

「これほど立派なドラゴンは他にはいません。さぞやいい仕事をしてくれることでしょうね、ほほほ。いいえ、させてやるわ・・・」

 女帝は、自分の手首の仇であるドラゴンを見上げた。その視線には、強い憎悪が込められている。王様は、まなこを半眼に開き、夢とうつつの境をさまようように、ゆったりと呼吸をしている。からだの所どころでウロコがはがれ落ち、皮膚が裂けている。からだ中に刺さっていた何本ものモリは、鋲縄とともに取り除かれているが、あちこちに負った深手が口を開け、生々しく血にまみれている。数知れない弾痕も痛々しい。が・・・

「生きてる・・・王様・・・」

 ジュビーは、胸がいっぱいだ。大切なテオを亡くしたのだ。王様まで失ったら、心がくじけてしまうところだった。確かに、無残な姿ではある。しかし、生きて再び会えた。ジュビーは、久しく見ることのなかったとてもやさしい目をしている。

「うれしそうね、あなた方。私もその顔を見られて、とてもうれしいわ」

 女帝は、なぜか満悦顔だ。三人をドラゴンに引き会わせたかったらしい。嫌な予感がする。

「牙を抜きなさい」

 不意に、女帝が命令を下した。雑役が大きな器具を持ち、王様ドラゴンの前に進み出る。

「おい、待て。なにをするって?」

 カプーが問いただす。女帝は、誇らかな笑みで元夫を見下ろす。

「あら、ご存知なかった?この家畜の最初の処置を。ドラゴンの牙の裏にある、着火装置を取り除くのですよ。これさえなければ、ドラゴンは火炎を噴くことができませんの。危険物の取り扱いには、安全を第一に考えるのが基本でしょう」

「待て待て。牙を抜けば、ドラゴンがドラゴンでなくなってしまうだろうが」

「何度も言わせないで。この子はこれ以降、家畜として生きるのですよ」

 口をこじ開けられ、眠っているはずの王様が、かすかに反応する。しかし、強いしびれ薬でも射ち込まれたらしい。なんの抵抗もできない。こぶし大の突起が上下4個、次々と引き抜かれていく。

 カチン・・・ガチン・・・

 抜かれた牙は、ぞんざいに足元に投げ出された。それをカプーは、くぐもった目で見つめるしかない。

「通過儀礼は完了だわ。この子には、特別性の飼育オリを用意しなくてはだめね。わたくしがいつでも可愛がってあげられるように、部屋もあつらえようかしら」

 再び高笑いがはじまる。みじめな気分だ。どうすることもできない。

「・・・なるほど。で、俺たちはどうなるのだ?」

 英雄、カプー・ワルドーが、女帝をにらみつける。自分の身がどうなるか?なんとなく想像できそうなものだが。

「わが友・・・王様め、かわいそうに・・・」

 カプーは錠を枷せられた手で、ドラゴンの口から抜かれた突牙を拾い上げた。額に押しつけ、愛おしんでいる。形見代わりか。沈痛な面差しで、それをふところにしまい込んだ。

「俺は、尊厳を損なってまで生かされつづけるなど、まっぴら御免だ。生き恥をさらすくらいなら、むしろ潔く死を選ぶ」

「まあ、男らしいこと。そんな死を恐れないあなたがわたくし、好きでしたわ」

 女帝、カンピオンはほくそ笑む。言質を取った悦びが隠せない。

「本当は、民衆の前で見せしめの八つ裂きにしてさしあげたかったのですけれど、ジュビーの前に現れなかったために、長らえられましたわね。でも、それももう終わりですよ」

「あのときを思い出すな」

「うふふ。そう、あのときもちょうど、こんな構図でしたわ」

 バルコニーから、ふたりはドラゴンの群れを見下ろしている。なるほど、伝説に聞くシーンの再現だ。カプーはかつて、元妻の陰謀により、ドラゴンの穴に飛び込まされたことがあるのだ。女帝は、ここからもう一度、夫だった男を突き落とすつもりだ。

「だけれど、今度ばかりはあのときのようにはいきませんわ。なぜならここにいるドラゴンたちは、飛べませんもの。そしてとても空腹で、とても食いしん坊なんですの。しかも驚かないで聞いてほしいのですけれど、この子たちったら、好き嫌いもなく、ひとまで食べますのよ」

「!」

 そんなバカな。ドラゴンはたしかに雑食だが、平和を愛する聡明な生き物だ。人間など食べるはずがない。

「うそをつけ」

「うふふ、そんなはずはないと思ってらっしゃるようね。でも、来る日も来る日も人間を与えつづければ、食べるようになるものなのですよ。それが飼育というものですの」

「ふざけるな。そもそも、それほど大量の人間をエサにできるわけがない」

「愚かなひと。党が、なぜこんなにも戦争を長くつづけているのかわからなくて?戦争は、終わらないわけではありませんのよ。終わらせないだけなのです」

 まさか、戦場で亡くなった者をエサとして与えてきたとでもいうのか?逆に言えば、ドラゴンに与えるために、戦場で死人をつくりつづけてきた、と?

「前文明が教えるように、ひとは増えすぎると、世界を滅ぼします。間引かなければ」

「おまえは神にでもなったつもりか?」

「いいえ。だけれど、それに近い存在であるという自覚はありますわ。わたくしは民衆に、よりよき暮らしを与えることができますの。光も、熱も、ふんだんにね。そうしてわたくしは、この新しい世界を創造したんですのよ。それはいわば、神の行いではなくて?」

「残酷な犠牲のもとにか?このバチ当たりが。地獄に落ちる神なんて、聞いたこともないわ」

 人間を食べたドラゴンたちの可燃性胃液は、培養され、精製、希釈され、エネルギーとなって、世界中に供給される。人間たちの「快適な暮らし」とやらのために。しかし、そんな快適さに、そんな新しい世界に、いったいどれほどの意味があるというのか。この愚かな振る舞いは、それこそ神によって裁かれることになるだろう。

「もう一度言うぞ。おまえは必ず地獄に落ちる」

「言いたいことは言いましたね。では、カプー・ワルドーよ。ドラゴンの血肉となりなさい。それは、あなたが望んだ『民衆のため』というものよ」

 カプーは、近衛兵に両腕をかかえられ、バルコニーの縁にひざまずかされる。

「うう・・・」

 下には、愚鈍そうなドラゴンたちがひしめいている。ほほや脇腹にみっちりと脂肪をたたえ、ただ腹這ってうごめくだけのドラゴンたちが。彼らは翼も尾もないために、プロポーションがひどく間抜けに見える。まるで別種の生き物だ。精気をみなぎらせて戦う、あの剽悍な姿はどこにもない。ただ、食い意地だけは張っているようだ。カプーが「エサ投入口」に引き出されるのを見るや、首だけを起こしてあんぐりと口を開けている。なんというだらしなさだろう。見てはいられない。

「さようなら、あなた。ドラゴンの体液となって、国家の礎をお築きなさい」

「パパっ・・・!」

 両腕をつかまれたジュビーが、飛び出して叫ぶ。しかし、たちまち羽交い締めにされる。

「ジュビーよ。ドラゴンのふところで生きろ」

 カプーが突然、奇妙なことを言いだした。女帝が怪訝な顔をしている。

「あなた、なにを言っているのです・・・?」

 父親は、もう一度だけ、娘の方に向き直った。

「王様にいだかれるのだ、ジュビーよ」

「パパ・・・王様に・・・?」

「戯言をっ。いいから突き落としなさい!」

 どんっ・・・

 老体の小さな背中が押された。虚空で英雄の身が踊る。下では、ドラゴンが大きな口を開いている。その奥ののどちんこまでが見通せる。

「さらばだ、ジュビーっ・・・!」

 カプーは落下しつつ、錠を枷せられた手をふところに突っ込んだ。

「!」

 そこには、ドラゴンの着火牙が入っている。

「・・・おっさん、まさかっ・・・!」

 火をつける気だ!この途方もなく広大なホールの中央には、ドラゴンたちの可燃性胃液が貯蔵されている。その量たるや、想像もつかないほど膨大だ。カプーは、宮殿どころか、街ごと吹っ飛ばすつもりか。

「パパッ!」

 逃げなければ。ジュビーを連れて。しかし、どこへ?・・・まてよ。さっきのカプーの言葉。ドラゴンのふところ・・・いだかれる・・・

「・・・そうかっ!」

 女帝はアリーナから、満悦の目でカプーの最期を見送っている。近衛兵たちもまた、ドラゴンに噛み砕かれる男をながめている。油断したその手を、振りほどいた。

「ジュビーっ!」

 からだが勝手に動いていた。一刻の猶予もない。ジュビーの手を引く。

「こいっ!王様だ」

「えっ、なに・・・?」

「王様に・・・王様のふところに・・・!」

 が、近衛兵たちは見逃してはくれない。すぐさま、いっせいに拳銃が抜かれた。銃口が火を吹こうかというその寸前、しかし、足の下でまったく別の炸裂が起こった。

 ド・・・ン・・・ッッッ!

 バルコニーの直下から天井に向けて、一頭のドラゴンの腹が吹き飛ばされてきた。カプーは、ドラゴンに飲み込まれながら、手にした着火牙を打ち合わせたらしい。その火花が、気化した胃酸に移ってドラゴンの体内器官を走り、可燃性の胃液を爆発させたのだ。最高度に精製された爆薬の詰まった革袋に火をつけたに等しい。周辺50デスタントばかりが、炎の玉に包まれた。猛烈な熱気が立ちのぼってくる。その爆発で、周りにいた数頭のドラゴンが吹っ飛ばされた。彼らの腹につながっていたパイプから、胃液が漏れ出す。そこにも引火し、誘爆を起こす。一帯は火の海と化していく。

 ドンッ・・・ドンッ、ドンッ・・・

「な・・・なんということを・・・!」

 現場に向けて身をのり出していた女帝は、爆風を浴びてすっ転び、腰を抜かしている。顔はすすまみれ、髪は焼けてチリチリだ。その真っ黒な顔が、深刻に険しい色に染まっていく。

「おのれっ・・・いまいましい・・・」

 近衛兵の部隊は、蜂の巣をつついたように秩序を忘れ、逃げ惑うばかりだ。取り乱し、女帝に手を貸すことも忘れている。

「熱ちちっ・・・熱っちーっ!」

「かっ、火災だっ。大変だっ・・・!」

「消し止めろ!・・・しょっ、消火隊を集めるんだっ!!!」

「うわあっ!・・・みっ、み、見ろっ!」

 ひとりの兵が、指を差した。そこには・・・

「パ・・・パイプの中を、火が伝ってるっ・・・集積タンクが大爆発を起こすぞっ!」

 ドラゴンの腹から伸びた採液パイプに火が移り、まるで導火線のように走っていく。その先には、爆性の胃液を貯蔵する巨大なサイロがある。あれに火がついたら・・・なかなか愉快な画づらにはなりそうだ。が、それは自分たちも黒こげの灰になることを意味している。

「ジュビー、はやくしろっ!」

 七日間もの拷問を受けつづけたジュビーは、足の運びが心もとない。

「フラワー・・・どこへ・・・」

「王様のふところに飛び込むんだ」

 王様ドラゴンは、台車の上でへたばっている。しびれ薬がまわり、目の前の事態が理解できていない。まなざしはうつろで、完全に脱力している。動こうにも、からだに力が入らないのだ。

「王様っ!しっかりしろっ!」

 鼻先に思いきり蹴りをくれてやる。それでも起きない。

 背後で、小さな・・・いや、十分に大きいが、爆発が連続して起きている。爆風と熱流が吹きすさび、火炎と黒煙が至るところで巻き上がる。女帝は、熱さに耐えきれなくなったか、近衛兵たちに四方を守られながら逃げてきた。

「おお、熱い。おおおっ、熱っついっ!おのれ、カプーの娘!おまえの父親は、なんてろくでなしなの!」

 あきれるばかりのもの言いだ。それを言うなら、母親のあんたのほうこそひとでなしではないか。

「おまえは危険すぎるっ。死になさいっ!」

 かたわらの兵が、剣を差し出した。女帝が右手で・・・一本しかない手で引き抜いたのは、くの字剣だ。ジュビーに向けてまっすぐに振り下ろしてくる。ジュビーは目を見開くばかりで、とっさによけられない。からだが弱りきっているのだ。ジュビーはせめて剣を受け止めようと、錠を咬まされた手を伸ばす。

 ガチンッ・・・

 剣が打ったのは、鉄錠の両手をつなぐ鎖だった。女帝はなおも力を込める。英雄の名剣のなんという切れ味か、ジュビーの鎖が真っぷたつに分かたれた。そのとき、ドラゴンが・・・王様が目を剥いた。しびれ薬で朦朧とする中、ジュビーを助けるという本能が彼を覚醒させたとしか思えない。王様は、着火牙を抜かれた大口をいっぱいに開いた。女帝に飛びかかる。

 ブチイッ・・・

「ぎゃ、ああ・・・あ・・・あ・・・」

 ものすごい叫び声。見ると、女帝のくの字剣を握った右手が消えている。かつて左手を切断された相手に噛みつかれ、残されたもう片方までもむしり取られたのだ。おびただしい血がしぶき、醜い叫喚が響き渡る。そのとき、すさまじい光が世界を包んだ。

 カァッ・・・

 王様は察し、オレとジュビーを長大な腹の奥にかかえ込んだ。そして、驚くべき素早さでとぐろを巻いていく。ぐるぐると視界がせばまっていく。最後の小さな空間が閉ざされる直前に、両手を失った女帝が炎に飲み込まれるのが見えた。叫び声が掻き消える。

「お・・・ぉ・・・」

 それきり、闇に閉ざされた。この世のものとは思えない轟音・・・天体が揺さぶられたかと思えるほどの振動・・・そして熱気がくる。

「・・・フラワー・・・」

「ジュビー、大丈夫だ・・・王様が守ってくれる・・・」

 ドラゴンのふところは、完全に閉じている。それを取り巻くウロコには、耐火性がある。王様のからだは、ワラ束のモニュメントの業火を耐え抜いた。あのなつかしいあばら屋を焼いたときも、ウロコの壁だけはまったく無傷で、焼け落ちることがなかった。安全だ。きっと守ってくれる。それにこの場所は、「安全」以上の、なにか不思議な安らぎを与えてくれる。ドラゴンの鼓動が聞こえる。ひんやりとした血がめぐっている。からだを冷やしているのだ。いや、ふたりを冷やしてくれているのかもしれない。母親の胎内にいるような、そんな深い「愛」にも似たものを感じる。いつくしまれている。ドラゴンの偉大さを、ここでもまた思い知らされる。

 ジュビーが手を握ってくる。

「パパが・・・死んだ・・・」

「そうじゃない、ジュビー。カプーは、きみを生かしたんだ。彼は英雄だ」

「・・・」

「大丈夫だ」

 細い肩を抱きしめる。すると、ジュビーも抱きしめ返してくる。お互いの鼓動が響き合う。守り、守られる。それが抱き合うことの意味だと知る。オレ自身もおびえている。しかし、オレもまたこの子に守られている。強い気持ちでいられる。大丈夫だ、と信じられる。

 暗闇の中で、じっと時が過ぎゆくのを待つ。外では、ひとつの国の崩壊が・・・文字通りの破滅が起きている。だが、じっと待つ。

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