第25話・対決
「ネロスっ!」
死刑執行官が振り向く。走り込むオレの姿を見て取ると、念願のおもちゃを得た子供のように、笑みを満面に開いた。
「おおーっ」
それはそうだろう。ようやく期待に応えてやったのだ。よろこんでもらえてよかった。しかし次の瞬間、やつの顔は憤激に燃えさかるように紅潮した。
「きぃっ、さっんんまぁぁあ・・・待っていたぞっ!」
せっかく残してやった片目がひん剥かれ、血走っている。ひょっとすると、違うほうの目を潰した一件を怒っているのかもしれない。
「右目は気の毒だったなあ、ネロス!」
数え切れないほどの銃口がすべて、オレに向いている。しかしやつは、それを制した。
「撃つなっ!」
一対一でやり合おうというのか。なるほど、ネロスも剣士だ。礼節だけは重んじてくれるようだ。というよりも、相手を自分の手で切り刻み、つのりにつのった私怨を晴らしたいにちがいない。それはこちらとて同様だ。ネロスの数メートル前で立ち止まり、剣を構える。
「わが名はフラワー。ご希望に添い、見参した」
「このガキ・・・よくも私に傷を負わせてくれたな・・・」
「両親の仇、ネロスよ。決闘だ!神妙に勝負しろ」
ネロスは、少しもあわてない。
「なにを勘違いしている。私は剣士などではないぞ」
「えっ・・・?」
ネロスは、携帯式のモリ射出装置を手に取った。ドラゴンのウロコを突き抜き、土手っ腹にぶち込むやつだ。そいつをこちらに向け、狙いを定めている。話が違う。ここは剣でやり合う展開では?
「ちょうどよかった。これを撃ち込んだ人間の腹がどうなるか、一度試してみたかったのだ」
周囲の党兵たちの銃口も、正確にオレに向けられている。身動きが取れない。ちょっと待ってくれ・・・
「しね」
ど、ど、ど、ど、ど、う、うう、んんん・・・
いっせい射撃が起こり、オレの土手っ腹に大穴が開いた・・・はずだった。が、その轟音は別の場所からのものだった。鋭く地響きが伝わる。すぐ間近だ。
ギ、ヤ、ア、ア、ア・・・
そこにいた全員が、音のほうを見やった。宮殿の方角だ。その敷地内で、一頭のドラゴンが大暴れをしている。のども裂けよとばかりにすさまじい炎を噴き、豪奢な装飾が火に包まれていく。整然と並んだ何十台ものバギーに引火し、燃料が爆発を起こす。誘爆に次ぐ誘爆。武骨な金属製のバギーが、まるで紙風船のように張り裂け、宙高く飛んでいく。宮殿を守る衛兵たちは、パニックだ。
「王様か・・・!」
ふところに今もなお何本ものモリをはらんだまま、しかし王様ドラゴンは、シャレではないが、怪気炎を吐いている。怒り狂っているのだ。オレに向けて銃を構えていた党兵たちは、ドラゴンの暴れっぷりを見てたじろぎ、固まっている。あるいは勇敢な者は、女帝陛下を守らんと敷地内に駆け込んでいく。指揮系統がバラバラだ。広場に押し寄せた民衆も大混乱に落ち入り、クモの子を散らすように逃げていく。しっちゃかめっちゃかだ。
ところが、逃げまどうひとの流れとは逆に、人垣から躍り出てくる者たちがいる。覆面をし、手に手に武器を持った男たちだ。マモリだ、と直感した。そして、ドラゴンの大騒ぎは囮(おとり)だ、と。ふたつのアクションは連動している。つまりこれは、大掛かりな作戦なのだ。男たちは、党兵の群れに向かって、爆薬の詰まったボトルを投げ込んでいる。
ドンッ・・・ド、ドンッ・・・
人間の手足が吹っ飛ぶ。黒煙とともに、血が飛散する。盛大なオープニングだ。革命がはじまるらしい。闖入者たちは、ひと通りの打ち上げ花火で隊伍を散らかすと、今度は派手に銃撃戦をはじめた。チャンスだ。
「テオっ!」
ガシッ、ガジジッ・・・
テオは太い枝に向けて、ナイフを叩き込んでいるらしい。刃先を突き刺す鈍い音が聞こえる。金属製の縄が切れないのなら、せめて枝ごと切り落とそうというのだ。また無茶なことをする。しかし、それしか方法がない。
首を吊られたジュビーは今もなお、くの字剣の鋭い切っ先を足指にはさみ、懸命に耐えている。
「・・・んうっ、うっ・・・」
「ジュビー、今いくっ!」
駆け寄ろうとした、そのときだ。
ドムッ・・・
モリが放たれた。ドラゴンにではなく、エミシの大樹の上方に向けて。モリは、縄の尾を引き、枝葉の中に消え入った。そこには、罪人を吊るした枝を切り落とさんとする無法者がいる。
ドスッ!
手応えの音。枝か、幹か、それとも・・・
「テ・・・テオっ!」
撃ったのは、ネロスだ。かついでいた射出装置を捨て、ジュビーの前に立ちはだかる。
「若造・・・どこまで私の邪魔をする気だ」
「ネロス。ジュビーを生かしてくれ。一度は愛した女なんだろう」
ロリコンが。
「うるさいっ。きさまだけは許さぬ。目はともかく・・・恋破れたこの恨みを知れい!」
やっぱし勘違いをしている。オレ、関係ないし。しかし有無を言わせず、ネロスは腰の長剣を抜いた。あのクールなキザ野郎が、憤怒に毛を逆立たせている。
「私と死合えいっ!」
決闘しようというのだ。これほど切羽詰まったタイミングで・・・さっきやればよかったものを。しかし今度こそ、古式ゆかしく、剣のみでの命の取り合いだ。ドラゴンハンターに身をやつしたとはいえ、ネロスもやはり剣士の端くれだ。なんだかんだ言って、卑怯な手を尽くしはしても、心の底では純粋に剣同士で切り結び、堂々と勝ち名乗りを上げたいのだ。でなければ、これほどの修練は積めまい。
「ようし・・・やろうぜ・・・」
一刻もはやくジュビーを助けたい。テオの様子も気になる。だが、この壁は越えなければならない。目の前にいるのは、両親の仇だ。腹をくくり、剣を構える。
「カプーと王様を取り逃がして、よく粛正を免れたもんだな。ネロスよ」
「あの日ほど、おのれの間抜けを恥じたことはないわ・・・」
「それを隠すために、そこにいた全員の口を封じたわけか?」
「ふっ・・・つまり、あのときの真相を知るのは、ご老公様一行のみということだ」
「この口もふさげるかね?」
周囲では大規模なドンパチが繰りひろげられている。なのに、大樹の前で対峙するオレたちに、誰も横やりを入れようとはしない。決闘の文化は、この文明都市にもいまだに生きているのか。いや、むしろ、周囲の党兵の不介入は、ネロスが誰からも忌わしがられていることの証左かもしれない。謀反人とクソ上官、どちらが死んでくれてもかまわない、というわけだ。
だが、ネロスは手強い。構えを一瞥して、その恐ろしさは伝わってくる。スキがまったくない。技術的にも一流なのだろうが、闘気が際立っている。相当の修羅場を渡っている。
「強いぞ、私は」
「・・・だろうね」
「百からのドラゴンとやり合ってきたのだ。どれだけの死地をくぐり抜けてきたことか・・・きさまごとき、一刀のもとに葬ってくれるわ」
ここ最近こそ、ドラゴンは大型のモリ射出装置とバギーとで、手間をかけずに仕留めることができる。が、以前はまったく違った。一頭一頭と剣で向き合い、戦いを挑み、勝利した者のみが、ドラゴンハンターの栄誉を手にすることができたのだ。それには、たゆみのない鍛錬と、機略、そして胆力が必要だ。ドラゴンハンターといえば、剣の達人、というのが通り相場だったのだ。ネロスもかつてはそのタイプだったにちがいない。今でこそ荒れた手を使ってはいるが、ネロスは歴戦のつわもの、掛け値なしの剣使いだ。
「死ねいっ!」
右手一本で打ち込んでくる。すさまじい刃速。しかし、単純な軌道だ。大上段から振り下ろされる切っ先を峰で迎えにいき、刃面を返して下方へ送る。肩を脱臼でもしてくれまいか、という受けだ。ところがそのとき・・・
「っ!」
不意に、側面から別の小剣が繰り出された。先の打ち込みよりもはるかに鋭い!思いきり背を反らせて流す。のど笛を狙った刃先は、衣服と胸の表皮を切り裂いていった。瞬後、剣はすでにネロスの背中に消えている。残像すらも網膜に残っていない。鮮血だけが、剣の軌道の半円状に散っている。
「ほお・・・よけるか」
二剣使い。目にもとまらなかった。よけることができたのは、奇跡だ。ドラゴンとの数知れない手合わせの中でつちかった、生存本能のおかげだ。やはりネロスは手強い。ここで死ぬことになるかもしれない。
ネロスの肩越しに、ジュビーのからだがぐらりと揺れるのが見える。絞まる首、ぶるぶると震えるひざ・・・歯を食いしばり、助けの手を待ちわびている。彼女は今、足の指ではさんだ剣の切っ先一点に、全体重と、「命」そのものをあずけているのだ。その指がはずれれば、ワイヤー入りの縄にくくられた細い首はもうもたない。ポキリと折れるか、あるいはそれ以上に残酷な、緩慢な窒息死が待っている。足の指の力は、あと50数える程度で限界だろう。一刻もはやく、ネロスを片づけたい。逆にオレが倒されれば・・・ジュビーも終わりだ。
ガツッ・・・ガツッ・・・
やった!テオは無事だった。樹の上で、再び枝に刃を打ち込みはじめた。派手な打撃音が響いてくる。さっき、ネロスがモリを撃ち込んだとき、叫び声は聞こえなかった。このドラゴンハンターは、狙いを外したのだ。ここだけは、ひとまず安堵したい。それにしても、あんな小さなナイフで太い枝が落とせるものなのか。しかし、今はそっちに気を取られている状況ではない。
「うらあっ!」
ネロスの体が回転し、左から裏拳のような小剣がくる。間一髪、伏せてかわすと、今度は右手の長剣が足をなぎにくる。まるでコマだ。オレは剣を下段にひるがえし、まともに受け止める。
がちんっ・・・!
腕に、じん、と激痛が走る。オオカミにやられた傷が、まだ癒えきっていない。剣を取り落としそうになるところを、必死でこらえる。ネロスの連続攻撃は強く、流麗で、戦いながらも魅入らされそうになる。隻眼のハンディキャップなど、つゆほども感じさせない。間合いの感覚がからだに染みついているらしい。
ビュッ・・・シャッ・・・
長剣が下から上にひらめいたかと思うと、間髪入れずにサイドから小剣が繰り出される。こめかみを貫こうという突きだ。超速にして精密。背後に思いきり飛び退き、ぎりぎりで空を切らせる。このフックのような側面突きは、怖い。おそらく、ドラゴンの急所を狙うために編みだされた、一撃必殺のフィニッシュ剣だ。
「うまいものだな、よけるのが。しかし、後ろに下がってばかりでは、ジュビーから離れるばかりだぞ」
「このぉ・・・なにが『一刀のもとに葬る』だ。二刀じゃねえか、こまかいウソをつきやがって」
「くく・・・それは悪かったな。だが、おまえに逃げまわる時間が残されているかな?」
その通りだ。ジュビーがいよいよやばい。前に出なくては、道はひらかれない。この男を倒して進むしかないのだ。覚悟を決める。
再びネロスが上段から打ち込んでくる。長剣だ。今度はいなさず踏み込み、渾身の力で剣をカチ合わせる。
ガツッ・・・!!!
「ぬうっ!」
「ぐっ・・・」
火花が散り、刃こぼれの破片が飛ぶ。前腕の傷口がひらき、血がしぶく。
ぷしっ・・・
「・・・なんのっ」
キリキリキリ・・・
押す。力比べだ。剣を合わせたまま、鼻先が触れ合いそうな距離にまで接近する。つづいて、こめかみを狙って右から側面突きがくる。小剣のフィニッシュブロー。恐ろしいキレだが、そいつを待っていた。オレは身を右方に抜きながら、切り結んだ剣をポイと放棄した。ネロスは前のめりにバランスを崩す。そのからだを呼び込むと同時に、側面突きにきた左ひじを、とん、と突いてやる。刃先の動きは見きれなくとも、支点は不動だ。その部分への操作は小さなものだが、流れに新しい方向を与えるには十分なものだ。オレがやつのふところをくぐり、脇から背後にすり抜けたときには、小剣は、持ち主の最もナイーブな箇所をかすめていた。
「あ・・・うっ!」
振り返ったネロスは、左の眼球からおびただしい出血をしている。自爆だ。眼帯をしていなかったこちらの目にも、右とおそろいのものが必要になるかもしれない。
「き・・・さ・・・ま・・・」
ネロスは片ひざをつき、長剣を杖がわりにして半身を支えている。光を奪われた者は、戦意を完全に失うものだ。勝負あった。
「とどめだ、ネロス!」
取り落とした剣を拾おうとしたそのとき、まったく不意に、お師さんの言葉がよみがえった。
もう殺すな・・・
「はっ・・・!」
周囲では、まだ党兵とマモリの残党が、死屍累々の血のりを踏んで揉み合っている。王様ドラゴンは、四方から放たれるモリや、鋲縄、網を身にまといながら、暴れつづけている。血の海に、炎の原・・・凄惨極まる光景だ。
「お師さん・・・」
血で血を洗う報復合戦。際限というものがない。不意に、むなしくなる。それよりも・・・
「ジュビーっ!」
エミシの樹を見ると、ジュビーは首吊り状態で剣先に立ったまま、後ろ手の革ヒモをほどききったところだ。これは本物の奇術か。いや、違う。ジュビーの、生への執着だ。グラグラの剣の上に立ちながら、彼女はまる一日を費やして、ひと知れず、この作業に心血を注いでいたのだ。革は、乾くと縮んで締まるが、逆に濡れると緩む性質を持つ。雨のおかげでほどくことができたのだ。ジュビーはフラフラで気を失いそうになりながら、天からのクモの糸をつかむように、首吊りの縄を握りしめた。これでぶら下がれる。
「フラ・・・ワア・・・」
オレを見るその目は、しかし、再び安堵を失った。ぬるり・・・自分のつかんだ縄が、血まみれなのだ。頭上では、テオが枝を切り落とさんと、一心に刃を打ちつける音がしている。縄を見上げると、血はそこから滴ってくる。
「くっ」
不意に、くの字剣が宙に放たれた。そいつを足の指ではさんでいたジュビーが、足首をしゃくったのだ。剣と持ち主は、まさに以心伝心、一心同体だ。くの字剣は、まるで仮死から息を吹き返したかのようにあざやかにひるがえり、ピタリとジュビーの右手の平におさまった。間髪入れず・・・
ひょう、ひょう・・・
ジュビーは、左手一本でぶら下がった不安定な姿勢のまま、剣を8の字にひらめかせる。勢いを増すその流れから鋭く放たれた剣は・・・
ズカッ・・・
テオが執念でうがったくびれに突き立った。それをとどめに、英雄の娘を首くくりにしていた忌まわしい枝が、ついに音を立てて切断された。
メキメキメキ・・・ドシンッ・・・わさわさわさ・・・
まず、ジュビーが尻から地面に落ちた。つづいて大きな枝が、葉を散らせながら落下した。最後に、盛大な葉でふかふかになった枝の上に、小さなからだが振ってきた。
どさっ・・・
ジュビーはすぐさま、一日中吊るされてゴリゴリに固まった背を起こした。首の縄がからだに巻きついている。かじかみ、血の気を失った手でそいつを振りほどくのももどかしく、自分を助けた者を探す。
「・・・あなた・・・テオ?」
ついに自由なからだになると、テオの元へと這っていく。
「大丈夫っ!?テオ、けがをっ・・・?」
やっとの思いで、小さなからだにたどり着いた。しがみつくように抱き起こす。
「テオ・・・」
「・・・へいきさ・・・ジュビーおねえちゃん、がんばったな」
「ありがとう。テオのおかげだよっ」
「・・・へへっ、どんなもんだ。やりきったぜ・・・」
葉に埋まったテオは、モリを握っている。ネロスが樹に向けて放ったものだ。小さなナイフで枝を落とすのは無理と悟り、テオは代わりにこの大きな鋼刃を利用したのだ。
「すごいっ!かしこいわ、テオ・・・」
「まあね・・・」
ジュビーはテオをぎゅっと抱きしめた。まるであのときのようだ。初対面のときの、兄を亡くして打ちひしがれるテオを包み込んだ、やさしいやさしい・・・固くて、熱くて、愛に満ちた抱擁だ。ところが・・・
「・・・っ」
ジュビーの顔色が、見る見るうちに青ざめていく。テオの髪に鼻先をうずめたまま、抱きしめた肩越しに、自分の震える手の平を見ている。それは、じっとりとあたたかい鮮血に濡れている。
「そんな・・・そんな・・・」
小さな背中に指先で触れて、ジュビーは理解したにちがいない。テオは、腹に突き刺さったモリを抜いて、仕事をしたのだ。うめき声ひとつ漏らさずに。
「いやだ・・・いやだよ・・・うそだ、テオ・・・」
ジュビーはもう一度小さなからだを抱きしめる。そして、こぼれては、こぼれては、とめどもなく湧いて出てくる真っ赤な血を、大きな穴の中に・・・テオの体内に戻そうと、懸命にすくいつづける。
「テオ、おまえ・・・」
腹を真っ赤に染めるテオと目が合った。と、うつろだったその目が、はっと見開かれた。その目の中になにかを感じ取らなかったら、オレは一刀のもとに両断されていただろう。
すぱあっ・・・
「うあっ・・・と!!!」
背中に熱い感触!斬られた、とわかる。しかし寸前に、ほんのわずか前方によけていた。裂けたのは服と、背中の皮一枚だ。あわてて後ろに向き直る。すると、果たしてそこには!
「ネロスっ・・・!?」
なんというしつこさだろう。ネロスは、左目からどくどくと血をしたたらせ、なおも立ち上がっている。驚いたことに、眼帯を外した右目が・・・かつて髪留めで突いたはずの灰色の眼球が、カッと見開かれている。見えているのだ。おそらく、かすかに。あの村で奇襲をかけたとき、ピンの突き込みが浅すぎ、完全には視力を奪えなかったようだ。うかつだった。しかし、助かった。やつの片目ひとつでも完全に生きていたら、オレは一巻の終わりだったはずだ。目の傷で距離感をあやまち、ネロスの踏み込みもまた浅かったのだ。
「許さんっ・・・死ぃねぇっ・・・!」
視力を失いながら、尽きることのない戦闘意欲。さすがは百戦錬磨の男だ。ネロスは振り下ろした剣を返し、のど元に突き入れてくる。
ビョッ・・・
突きならば、距離感は関係ないと踏んだのだ。オレは剣を取り落としたままだ。対処できない。しかし人間、こんなせっぱ詰まった状況に追い込まれると、とっさにからだが反応するものなのか。両手の平を拝み合わせて、迫りくる剣先をはさみ込む。
ぱしっ・・・
真剣白刃取り。渾身の力で剛剣を受け止めた。からだ中で縫い合わされた傷という傷が開き、血しぶきがほとばしる。
「・・・っっっ!!!」
猛烈に突き込まれた刃は、のどの先、皮一枚のところで勢いを失った。しかしネロスは、剣に全体重をあずけて、なおも突き進んでくる。その力を、オレはのけぞり、上方にあしらった。背後にころりと転がり、みぞおちに、トン、と足をつく。流れのままに送り出してやったのだ。ネロスは前方にすっ飛んでいく・・・はずだった。しかし、地面から空を見上げたオレは、不思議な光景を見た。興奮物質が異常分泌されているせいか、目の前のものが奇妙にゆっくりと動いていく。
エミシの葉が舞っている。テオが枝を打ち落とした際の、それは最後の一枚だ。その葉っぱが、ネロスの右目に、つまり見えているほうの目の前に重なる。片目の男はすべての視界を覆い隠され、おそらく、小さなからだが眼前に飛び出してきたことがわからない。しかし次の瞬間、ネロスの右目は、葉の中心を突き抜けてくる木剣の切っ先を見たにちがいない。それは今生で、やつが見る最後の映像となった。
「ぐ・・・う・・・う・・・」
ネロスが受像する一切の視界が閉じた・・・はずだ。それは、両目を潰されたからではない。やつの生命活動自体が、完全かつ最終的に停止したからだ。
振り向いて、いま起きたことを理解した。テオが、傷ついたからだをいっぱいに開いて踏み込み、ネロスの右目に剣を突き入れたのだ。細く細く削ぎ、研ぎ上げた木剣だ。その剣先が、目から頭骨を貫き、後頭部にまで抜けている。よどみなく、不動の心で突き込んだのだ。テオは、体得していた。夜を徹して、ニケルの葉っぱを追いかけたあの一念が、ここに結実している。
ネロスは、自分の抜け殻のようなからだを、こちらにもたれさせてくる。オレは下敷きだ。しかし、串刺しにされた頭は落ちてこない。テオはうつろな目で、手に握りしめた木剣を見つめている。視線の先にあるのは、貫かれたネロスの頭ではない。一枚のエミシの葉っぱだ。それは、ネロスの右眼球からわずかな距離を置き、剣の根元に突き刺さっている。
「や・・・った・・・」
「テオ!大丈夫かっ!?」
魂の抜けきったネロスが遺骸をあずけてくる。そいつを蹴り捨てると、今度は、テオが倒れ込んできた。腹から血を噴き出させる小さなからだを抱きとめる。体温がない。顔は土気色だ。この深手を負ったからだで、よく動けたものだ。気の張り、というものか。あるいは、剣士としての烈迫の意志が肉体を突き動かしたか。
「す・・・ごいだろ・・・ぼく・・・みた?いまの・・・フラワー・・・」
「ああっ、見たぞっ!葉を抜いたな、おまえっ」
「三まいめ・・・だ。ぼく、剣士として・・・」
「ああ、立派な剣士だ。オレが保証するっ!」
周囲のどんちゃん騒ぎはおさまりつつある。マモリ側は壊滅状態で、王様ドラゴンも捕獲されて静まっている。宮殿からは、屈強な兵が何カートンも何十カートンも、果てしなく湧いて出てくる。これではマモリ側も太刀打ちできない。敵の本拠地に押し入るには、人員も装備も薄すぎたのだ。それも覚悟の上だったのだろうが。かく言うオレたちだって同様だ。当然も当然の敗北、完敗だ。
ひと仕事を終えた党兵たちは、再びエミシの大樹の元に集まり、オレたち三人を銃口で取り囲んでいる。散り散りになった野次馬が、再び集まりはじめる。雨はすっかり上がった。鮮やかな夕焼けが暮れていく。その光景とリンクするように、火炎がくぐもる広場内を沈鬱な空気が覆っている。
数知れない銃口を突きつけられながら、ジュビーに血まみれの小さなからだを渡した。
「テオ・・・」
「ジュビー・・・おねえちゃん・・・」
横たわるテオを・・・命を賭けて自分を救いだしてくれた男の子を、ジュビーは胸いっぱいに抱きしめる。
「すごい、すごいよ、テオ。強くなったねえ・・・」
テオは誇らしげに笑っている。その口元から、大量の血がこぼれ出る。内臓がめちゃくちゃにやられている。回復は不可能だ。
「くるしいよ・・・はやく、しにたい・・・」
テオの視線が、虚空をさまよいだす。
「ばか言わないで、テオ。そんな深い傷じゃないっ」
「・・・ドラゴン用のモリが・・・はらをつき破ったんだ。もうだめだってことくらい・・・自分でわかる・・・」
なにも言えない。この腹の大穴は、手の施しようがない。
「・・・もう、まんぞくだ・・・自分の人生でするべきことを・・・全部やった気分だよ・・・」
「テオ・・・」
「ころして・・・ジュビー・・・」
「なに言ってるのよ・・・」
「おねえちゃんの手で・・・しにたい・・・いきててはじめて・・・やさしくしてくれた・・・」
ジュビーは、くの字剣を手にしている。これを心臓に突き込めば、テオは楽になれる。しかし、そんなことはできるはずもない。
「死なないでよ・・・テオ・・・もっと生きるんだよ・・・」
「・・・もう、むりなんだ・・・おわかれなんだ・・・」
「死なないでようっ・・・」
「めが、みえなくなってきた・・・おねえちゃんのかおがみえてるあいだに、しにたい・・・」
このまま悶え苦しませるよりは、とどめを刺すほうが、彼のためでもある。
「立派だぞ、テオ・・・」
オレの言葉に、テオは弱々しく笑って見せる。
「フラワー・・・ジュビーおねえちゃんを・・・たのむ・・・」
「いっぱしに男のセリフを吐きやがって、ませガキが・・・」
「ばかいうな・・・ぼくは、男だ・・・」
「・・・そうだな・・・」
「フラワー・・・きみは、ライバルだ・・・」
「・・・剣の?」
「いや・・・恋の・・・」
まただ。勘違いはもうよしてほしい。
「・・・だから・・・おねえちゃんの手でしにたいんだ・・・」
鼻から、口から、血があふれ出てくる。そして、目からも鮮血が流れはじめた。
「くるしい・・・はやく・・・おねがい・・・」
三人を取り巻く党兵たちも、野次馬の人垣も、静まり返っている。誰も、なにも言えない。厳かな空気の中、じっと見守ってくれている。
「テオ・・・」
「ありがとう、ジュビー・・・おねえちゃん・・・」
ジュビーは、テオの左胸に剣を立てた。真珠のような涙が、ぽろり、ぽろりと流れる。それはほおを伝い落ち、テオの唇を濡らす。
「ふたりと会ってからが・・・ぼく、じんせいでいちばんしあわせだった・・・ありがとう・・・」
「わたしこそだよ・・・本当にありがとう、テオ・・・」
ジュビーは、手にそっと力を込める。剣の先は、静かにテオの胸に入っていく。血のしずくひとつこぼすこともなく、心臓は断ち切られた。光のすじが、すっ、と、天にのぼっていく。ほの白くたゆたうそれは、まるで小さなドラゴンのようだ。
「さよなら・・・」
この小さなテオの、なんと穏やかな死に顔であることか。テオは、オレにとっても、ジュビーにとっても、命の恩人だ。何度も、何度も救ってもらった。彼は徹頭徹尾、剣士で、そして友だちだった。
「フラワー・・・」
ジュビーが、小さな声を漏らす。
「わたし・・・二度とひとを殺さないよ・・・」
忸怩たる思いだ。決して殺させまいと守ってきたはずのジュビーは、皮肉なことに、テオを手にかけてしまった。ジュビーは、いつまでも小さなからだを抱きしめている。その背中には、また新たな決意がみなぎりはじめている。はやく大人になるためにひとを殺したがった少女は、この子を死なせて、本当の大人になったのだと思いたい。
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