第21話・都へ

 ドドドドドドドドドドド・・・

 バギーはよく働いてくれている。盛大な土煙を巻き上げて、追っ手を蹴散らすような気分だ。燃料の品質が上がったせいか、動力系の調子がすこぶるいい。朝から夕刻まで走っても、悲鳴ひとつあげないで、黙々と駆動しつづけてくれる。徒歩行による何日か分の距離を、たちまち北上することができた。

「ぬーすんだバァギーで走りだす~・・・」

 即興で思い浮かんだ歌詞を口ずさんでみる。しかし、軽やかに、とはいかない。カラ元気だ。食いしばった歯に、鉄の味がする。爽快感もなくはないが、ズタズタに分割されたからだに、間断なく激痛が走る。振動は傷深くに響き、美しいひとの夜なべで上手にはめ込まれたピースがバラバラにほどけないか、気をもむ。血の気も足りていない。操縦しながら、何度もめまいに襲われる。

 一方、かっ飛ぶスピードに慣れていないテオは、タンデムシートから後方に向けて、何度も嘔吐している。気力だけで操縦者の背中にしがみついているが、これ以上の無理をさせるわけにはいかない。距離を稼ぐのと引き換えに、命をヤスリにかけていては、元も子もない。どのみち、夜の闇の中は、松明なしには走れない。縛り上げた党員どもがとうてい追いつけないほどには遠ざかったはずだし、ここらで休んで、一夜を明かしたい。

 過ぎゆく家々が、古びた百姓家風なものから、少しだけ現代的な洗練を見せてきた。すれちがう人影の密度も徐々に増している。ぽつり、ぽつりと点在するばかりだった集落は、線として連なりはじめ、やがて面としてひろがりだし、じわりと高さ方向にまで膨らんでいく。ゆき交う人種も一様ではなくなってきた。

「すごいなあ・・・これ、まち、ってやつだよね・・・」

 テオは、これほどの規模のコミューンを見るのははじめてらしい。

「まだまだ、都市部はこんなもんじゃないぞ」

 ブルブルブル・・・トットットットット・・・

 速度を落とし、街道を流す。人々は、こちらには目もくれない。バギーが珍しくもないのだ。胸にエンブレムをつけている者が多い。認識証を持たなくても、それだけで身元が証明されるのだ。なにより、様々な特権が得られる。「ワッペンをつけましょう!」「つけたほうがお得ですよ!」と、党は大キャンペーンを張っている。要は、こいつを輝かせているだけで、鼻を高くし、大きな顔をしていられるわけだ。こうして、党の流儀はじわじわと下層民の生活に浸透していく。オレとテオも、縛り上げた党員から奪ったエンブレムを胸につけた。実に気分がよろしい。これを見せびらかして歩けば、少なくとも、石をぶつけられることはないのだから。

 人里の外れに、背中の据わりのよろしそうな草地があったので、バギーを乗りつけた。今夜はここで野宿だ。夕闇が落ちてくる。そろそろあたりは真っ暗になる・・・かと思いきや、驚いたことに、村々には「デンキ」がゆき渡っているらしい。火のランプではなく、人工的な動力源から得られる灯火だ。見渡すすべての家屋とはいかないが、空が暗くなるにつれて、ぽつりぽつりと光量の安定した明かりが灯りはじめる。

「うわあ・・・きれいだね」

「信じられない・・・まったく、たいしたもんだ・・・」

 ここ数年での技術革新はすさまじい。党はこうした技術の提供によっても、人々の生活を管理下に置き、支持を集めることに成功している。反面、刃向かう者には銃弾と砲弾を撃ち込む、という恐怖政治は相変わらずだ。確かなのは、どちらにおいても、エネルギーは考えられないほどに乱費されているという事実だ。国は確かに、物質的には豊かになったようだ。

「ようし・・・テオ。この豊かな人々から、物資を分けてもらうことにしよう」

 ふかふかの草っ原でのキャンプもいいが、なかなか優雅な気持ちにはなれない。ふたりの財産は、名剣が一本に木の剣が一本・・・それのみ、というありさまだ。無一文にして、腹はペコペコとなれば、手段はひとつしかない。

「それって、フラワー。ただしくは、ゆたかなひとびとの庭先からいろんなものをかっぱらおう、ってことだよね?」

 そんな言い方でも、もはや全然かまわない。オレたちは、賞金がつくほどの極悪人なのだから。強盗でも空き巣でも、なんでもやってやろうじゃないか。

「まあな。ただ、テオがふらふらなのが気がかりだが・・・」

 相方の頼りなげな足の運びをチラ見する。しかしテオは、もう平気とばかりに、地面をガンガンと踏みつける。

「心配なんていらないよ。フラワーこそ、いざってとき、剣を振るえるのかよう」

 確かに、傷は、オオカミにやられたオレのほうがはるかに深刻だ。こんなチビに心配されるとは、情けない。お互いの顔を見、苦笑いし合った。


 バギーを木陰に隠し、ボロボロへとへとの体力で人家に向かう。軒先に肉でも干していないものか。

「・・・すっかり夜なのに、まだ夕暮れみたいな明るさだね」

「ああ・・・こんな格好だと、目立ってしょうがないな」

 いくらエンブレムをつけているとはいえ、アテだらけのみすぼらしい身なりでは、周囲から目を引いてしまう。官憲とばったり出くわさないように祈るばかりだ。修道院でやらかした素行の情報はまだ届いてはいまいが、見てくれからして、ふたりはあからさまに不審者だ。

 不意に、通りがかりの百姓家の扉が開き、若い女房のような女と出くわした。

「はっ!」

 とっさに腰の剣に手をやり、身構える。と、女は固まり、ガタガタと震えはじめた。まるで野獣におびえるような目をしている。

「お・・・お、お、お許しを・・・」

 いや、まだ「食い物をよこせ」のセリフは言っていない。女の目は、オレの胸につけられたエンブレムに釘づけになっている。そこで、ふと気づいた。このエンブレムは、そこそこに階級がいった役人のものなのだ。このクラスの上級役人は、陵辱も、略奪も、斬り捨て御免も、一切が権限によって許されているという。それゆえに、庶民から決定的に忌み嫌われる存在であり、一方で、庶民がのぼり詰めたいと憧れる地位でもある。要するに、上級役人とは、あちこちにばらまかれた小さな独裁者といえる。そしてその役職は、ドラゴンを女帝に捧げた者にだけ与えられる・・・という話だ。

「あ・・・えと、このエンブレムの意味を・・・その、知っておるな?」

 アドリブ芝居をまたはじめる。これは好都合かもしれない。このバカバカしいワッペンがあれば、なんでも要求できるということではないか。

「もちろん存じておりますっ」

 女は頭を下げっぱなしだ。目も合わせようとしない。犯されるとでも思っているのだ。この様子では、地元の役人どもから相当に痛めつけられているようだ。気の毒にさえ思えてくる。このひとから奪うのはよそう、と考えはじめたとき・・・

「イモを」

 不意にテオが切り出した。ぼくにもセリフをよこせ、とばかりに。

「は・・・?」

 おびえる目が、小さな男のほうを見た。

「イモをちょうだい」

 テオは、オレの芝居と相手の反応を見て、即座に状況を察したらしい。要求をすれば、なんでもよこすと踏んだのだ。自分の役まわりも理解している。たいした度胸だ。考えてみれば、このぼうずもまた自分の村で、党からこっぴどい目に遭わされる立場だった。そのせいで、エンブレムのからむ社会的階層の事情には、むしろオレなどよりもくわしいのだ。輝かしいものに守られた自分の優位を、身に染みて知っている。

「肉も、あったら。食べ物さえくれれば、なにもしないよ」

「はっ・・・はいっ!」

 女は、それを探しに屋内に戻ろうとした。

「・・・しばし待てい!女よ、いまひとつ、所望するものがあるのだ・・・」

 はたと思いつき、あわてて呼び止める。

「フュエル(燃料)も、できれば少し・・・」


 無理を言って分けてもらった(強要して収奪したのだが・・・)液体燃料を、バギーのタンクに流し込む。その間にテオは、しなびたイモを焚き火に放り込んでいる。ネズミの開きの干しものは、串に刺して炉端焼きだ。こんなものしかなくて恐縮する、と若い女房は平身低頭だった。豊かになったように見えて、やはりこの戦火の元に庶民は貧しく、生活は苦しいのだ。悪かったな、と反省した。

「あとどれくらい走るの?」

「さあてな。数日間としかわからないな」

 テオの顔が曇る。走行時の振動で、胃の内容物が込み上げるのだ。

「・・・ようし。そのぶん、いま食っとこう」

 生焼けのイモにかぶりついている。焼けば焼くほど縮んでいくのが気に入らないらしい。それでも、このイモの滋養は最高だ。オレは、ネズミの筋っぽい肉をむしり、しがみ、奥歯ですりつぶす。とにかく、のどに流し込む。都にたどり着くまでに・・・いや、一刻もはやく、体力を回復させ、傷を癒えさせなければならない。必死に栄養を摂る。そのためなら、悪事を働くことも、今はいとわない。

 かなり北にのぼったために、空気が引き締まり、ひんやりと感じられる。穴のふさがった衣類がありがたい。シスターのおかげだ。なにより、胸の、腹の、前腕の、切り裂かれた皮膚の縫合の精密さ、美しさには目を見張らされる。この荒い旅程をへてもなお、糸は少しもほつれていない。縫い跡の目は、ざっと一千にも及ぶ。そのひと針ひと針が、超絶的な集中力でもって仕事を完結させている。シスター・プランの、眼鏡を正しい位置に戻す指先を思い出した。あの仕草を、一千回くり返したにちがいない。彼女は決して器用ではない。包帯を巻くときのたどたどしさを見ると、むしろ不器用なほうだろう。しかし縫い目には、それをまったく感じさせない、この傷を治してみせるという気迫が伝わってくる。彼女は医師になるべきだ。きっと人々から、天使のように慕われるはずだ。

「なにをぼんやり考えてるの?」

 不意にテオから話しかけられ、口から心臓が飛び出しそうになった。あわてて熾をかき混ぜ、イモをひっくり返す。

「どうしたの?フラワー。顔が赤いよ」

「おまえは鋭いな・・・いい剣士になれそうだ」

「いい剣士!そうかな?」

 腰に下げた剣の重みがうれしい。剣士はこれでこそ、身体の平衡を保つことができる。鯉口を切って、剣をサヤから引き抜いてみる。

 すらり・・・

 艶やかな切っ先。優美だ。あの行いよろしき党員たちは、この名剣をおもちゃにしてもてあそんだりはしなかったようだ。草に寝そべり、のぼりゆく月にかざし見る。そこへ、ホタルが飛んできた。北方で生きる、綿毛のようにほのかな光を放つカゼホタルだ。尻を明滅させつつ、尾花の先から先へと空をたゆたう。と、剣の先にとまった。

 す・・・

 光がふたつに分かれた。そのまま、二方向へ飛んでいく。からだがまっぷたつになったことに、ホタル自身は気づかないでいる。やがて、ふたつの光は落下をはじめ、暗闇にとけ込んだ。

「すごい・・・」

 テオが絶句した。

「フラワー。ぼくに剣を教えてよ」

「剣を・・・か」

「いい剣士になりたいんだ。さっき、なれる、って言ったろ?」

「言ったかな・・・でも、すすめたくはないな」

「なんでだよ!」

 その瞳はまっすぐだ。この子は、強くなりたいのだ。そして、大切なひとを守りたいのだ。その気持ちが痛いほどわかる。一方でその行為は、ひとを傷つける、ということでもある。

「たのむよ、先生。フラワー先生!」

 ひざまずいて、額を地べたにすりつけてみせる。このガキ、東洋の請願の作法をなぜ知っているのか。ブゲー者は、相手にこの所作をされると弱いのだ。

「おねがいだよっ」

「よせよ・・・」

「おねがいしますっ、このとおり・・・」

 強くなりたい一心だ。理解はできる。目の前で兄を殺されたのだ。そして、今まで思い至らなかったが、あるいは両親も・・・

「フラワー大先生さまッ・・・!!!」

「ちっ・・・」

 熱い気持ちにほだされる。

「おまえの剣をよこせっ」

 顔を上げたテオは、まん丸のまなこを見開いている。そしてゆっくりと、笑みを満面にひらいた。なんてかわいいやつだ。

「はいっ!」

 いそいそと、アブラ松の剣を差し出してくる。ゴツく、重く、血でネトネト。しかも刃こぼれが激しい。もはや、剣の体をなしていない。

「これじゃだめだ」

 その棒っ切れに白刃をあて、削っていく。

 さり、さり・・・

 硬いアブラ松が、まるで南洋ウリの皮をむくようにそげていく。

「うわあ・・・すごい切れ味だね・・・」

「この剣は、極東の秘伝書に則って名工が鍛え上げたものだ。お師さんから授かったんだ」

 一瞬、脳の記憶野の一点に火が灯る。お師さんの柔和な顔・・・しかし、もう以前のように、思い出の中にとぐろを巻く毒蛇は鎌首をもたげてはこない。悪夢は払った。シスターがオレを、忌まわしい過去から解き放ってくれたのだ。

「東洋の剣かあ、へえ・・・」

「名刀だ。ミステリアスな鋼から研ぎ出されてて、鉱石よりも硬質なのに、金属組織の目方向には鉄よりも柔軟なんだ。扱いは難しいが、オレみたいな受けの剣法使いには具合いがいい」

 アブラ松をそいで、そいで、ほっそりとシャープなものに仕上げていく。なかなかのものになった。

「重い刀身を叩き下ろす剛の剣は、非力なおまえには向かない。柔らかく合わせ、しなやかにさばく。それを覚えるんだ」

 テオは、新しく生まれ変わった木剣を受け取り、大きくうなずいた。瞳に、新たな光が宿っている。やはり、この子も剣士のはしくれだ。

「テオ、からだの調子はどうだ?」

「イモのおかげで、だいぶよくなったよ」

「よし」

 焚き火に土をかけて消し、立ち上がった。テオもつづく。このあたりは肥沃な地だ。広場の周囲に、草木が豊かに繁茂している。党の勢力が強いのがさいわいし、緑が戦火に荒らされてもいない。見渡してみると、ちょうど近場に、背の高いニケルの樹が立っている。

「こいつがいい」

 太さは、差し渡しにして、開いた手の平ほどだ。その幹を、トンと蹴る。頭上の枝が揺れ、葉が二枚、三枚と落ちてくる。まるで貨幣を大ぶりに伸したような、丸い葉だ。

 はらり・・・はらり・・・

 そいつを、東洋の歴史が鍛えたワザもので、すい、すい、となぐ。

「あっ・・・!」

 テオは目を剥いた。眼前をゆらゆらと舞うニケルの葉が、倍、倍に増えていく。足元に落ちたときには、散り散りの細切れだ。

「やってみるか?」

 剣を小さな手に渡す。

「うんっ」

 自分の木剣を地面に置き、テオは、真剣を両の手の平に握りしめる。まじまじと見つめて、飽くことを知らない。恐る恐るに、刃先で天を衝いてみる。穏やかな反りに見入っている。感触も確かめたいのだろう。すい、すい、と左右に風を切る。抜き身の真剣を手にするのははじめて、といった顔をしている。実際、そうなのかもしれない。

「遠慮するな。振りまわしてみろよ」

 もう一度、トンと樹幹を蹴る。一枚の葉が舞い落ちてくる。テオは腰を入れて構えた。振る。

「・・・たっ!」

 ブンッ・・・

 当たらない。

「んがっ!・・・ていっ!・・・よっ、はっ・・・」

 ブン、ブン、ブブン・・・ブウン・・・

 右に左に剣を振るう。おっかなびっくりだ。空を切る音が立ち、派手に風が巻く。動きが荒い。ただ、腰は定まり、身ごなしはなかなかのものだ。さすがに毎日、重い木剣を振り込んでいただけのことはある。しかし、葉っぱはふらふらと刃風から逃げそよぐばかりで、剣は宙以外のものを切り裂くことはない。目標物はついに無傷のまま、足元に落ちた。

「くそう・・・」

「ふふ。しばらくつづけてみろ。その剣を貸してやるから、感覚をからだに焼きつけるんだ」

 弟子は、しげしげと真剣を見つめている。ところが・・・

「いや、いい」

「えっ・・・?」

「ありがとう、フラワー」

 なぜだかテオは、東洋の剣をうやうやしく捧げ持ち、柄をこちらに向けて差し出してくる。返すというのだ。

「・・・なんだ、もうおしまいか?」

「ううん。でも、その剣はいらない」

 はっとした。恥ずかしながら、自らの大いなる過ちに思い至る。素直に剣を受け取って、サヤに戻した。

「なるほどな。そりゃ悪かった」

「へへっ・・・」

 すらり・・・

 もう一本の剣が天を衝いた。それを見上げるテオの瞳は、光り輝いている。小さな手に握られているのは、仕込み直してやったアブラ松の剣だ。オレとしたことが、考えが浅はかだった。木剣は、幾多の死地をともに乗り越えてきた、彼の相棒なのだ。義理を欠くことなどあってはならないというものだ。

「こいつがぼくの剣さ」

 目を覚まさせられた。テオはすでに申し分なく、剣士なのだった。

「よっし、いいだろう。特訓だ。その剣を貸してみな」

 テオから木剣を受け取る。礼節を重んじ、額の前に押し頂く。使わせていただく、という態度だ。自分を剣士として扱われ、そして木剣を名剣として扱われ、テオは照れくさげだ。

「いいか、見てな」

 ニケルの樹をトンと蹴る。あざやかな月影を、一枚の葉が落ちてくる。右足で大きく踏み込み、葉っぱの中心一点へめがけて・・・

「やっ」

 剣先を突き入れる!テオには、目標が消えたように見えたにちがいない。キョトンとしている。しかし、再び手渡された木剣を見て、小さな剣士は息を呑んだ。はかないひとひらの葉っぱは、剣先から刀身を抜け、ツバの寸前まで貫通していたのだ。そいつを貫いたのは、切っ先鋭い鋼の剣でなく、アブラ松のなまくら剣だ。

「す・・・げえ・・・」

「三枚の葉を串刺しにしてみな。できたら、一人前の剣士と認めてやるよ」

 あぜんと口を開いたまま、テオは大きくうなずく。突き抜かれた葉を見つめ、半ば笑いだしそうな顔をしている。しかしすぐさま、眉間に気合いをみなぎらせた。葉を抜き取ると、剣を構え直し、口元をぎゅっと結ぶ。瞳が生き生きと輝きはじめる。

「やってみせる・・・」

 細い足で幹をキック。

 わさわさっ・・・

 暗闇の中、樹全体がしなり、揺れる。舞い散る葉が月明かりにひらめき、目の前を落ちてくる。

「えやーっ!」

 目いっぱいの突き!しかし小さなニケルの葉は、くり出された切っ先から逃げるように脇へそれる。

「あれ・・・?」

 もうひと突き!やはり刃風の乱流にもまれ、くるくると回転する。三度・・・四度・・・五度・・・落ちきるまで、剣を突き込みつづける。が、何度突いても、葉っぱは剣の先をいやがり、逃げまどうばかりだ。

「ふふ・・・力ずくで突いても、薄く軽いものには触れられないぞ。剣の動きが乱れると、空気が押し出されて、気流ができるからな」

「くそーっ・・・どうすれば・・・」

「追うんじゃない。迎え入れるんだ。葉っぱを刃先に呼び込めば、素直に突き通る」

「・・・?」

「ま、やってみな。オレは寝る・・・」

 この身を休めなければならない。傷を癒やし、英気を養うのだ。ジュビーを助けるために、今は眠ることが大切だ。

 えいっ・・・やっ・・・えいっ・・・やっ・・・

 月明かりの下で、孤独な稽古がつづいている。気合い声がうるさい。パトロールの官憲に見つかったら厄介だ。と、思いつつ、なにも言わないで放っておく。いざこざが起きたら起きたで、そのときに対処するまでだ。たいしたことではない。それよりも、テオにはこの訓練のほうが大切だ。断じて、生き抜くために必要なのだ。

 そこいらの庭の干し縄から失敬したポンチョにくるまっても、北の地の夜気は、肩口に、すねに、しんしんと浸み入る。が、必死に眠る。あの手強いネロスに立ち向かわなければならない。やつの太刀すじは、恐ろしい。ものすごい剣使いであることは間違いない。ただし、このオレとて、一心に剣の腕を磨いてきた自覚がある。やり合えば、勝てる見込みはわからないが、必ず負けるとも思わない。しかしそれも、回復しきったからだならば、だ。だからこそ今、眠る。万全とはいかないまでも、動ける肉体を取り戻すのだ。眠るぞっ。眠る・・・


 えいっ・・・やっ・・・えいっ・・・やっ・・・

 いつの間にか、寝入っていた。深くて完全な眠りだった。気づくと、山向こうから太陽が顔を出し、朝もやがほどけていくところだ。その中を、ひとつの影が揺れている。

 えいっ・・・やっ・・・

「・・・!」

 陽光が、汗まみれの少年の横顔を照らしている。その視線は、空中をおぼつかなく舞う葉っぱの一点を捕捉している。

 たんっ・・・

 大きく踏み込む。渾身の突き。はずれ。そしてすぐさまの反復・・・

 えいっ・・・やっ・・・

 テオは、剣を突き込みつづけていた。夜がなずっと、おそらく休むこともなく。からだは痛みと疲れとでガタガタのくせに。

「バカか・・・少しくらい寝ないと・・・」

 まさに、バカのひとつ覚えだ。しかしその瞳には、生き生きとした輝きが、ゆうべと少しも見劣りしない熱さをもって、今もなお宿りつづけている。

 えいっ・・・やっ・・・

「・・・まったく、しょうがないやつだな・・・」

 しかし、見入らされる。テオの動きは格段によくなっている。賢い子なのだ。やみくもに剣を振りまわしてはいない。考えながら、仮説を立てながら、実験をくり返しながら、失敗した結果を還元しながら、成功しそうな感触を焼きつけながら、劇的に成長している。

「あ、フラワー・・・せんせいっ」

 自分の師匠が起きたことに気づいた弟子は、跳ねるように駆け寄ってきた。

「ほらっ」

 木剣を突き出してくる。見てくれ、というのだ。果たしてその剣先には、二枚の葉っぱがかろうじて引っかかっている。

「これは貫いたとは言えないだろ・・・それに、オレは三枚と言ったはずだぞ」

「ダメ~?これじゃ、剣士として認められない?ね、ダメ?」

「ダメだ。認められん。修行が足りん!出直してこい」

 厳しく突き放すと、テオはがっくりとうなだれる。こんなにがんばったのに、あと一枚なのに・・・ブツブツつぶやきながら、しょげ返っている。かわいいやつめ。

「だけど、まあまあだ」

「・・・まあまあ・・・」

「次の機会には、三枚目は勝手に刺さってくるだろう」

「ほんとに?」

 テオは、ほんのちょっとの笑みを浮かべる。そして、疲れと寝不足に落ちくぼんだ目を、もう一度、見開く。

「まあまあか。よおし、もっともっとがんばるぞっ!」

 葉っぱを剣先まで導いたことは、見事と言うよりほかはない。しかもたった一晩の修練で。たいしたものだ。が、感じ入らされたのは、もっと別の部分だ。テオの握りしめた剣の柄から目が離せない。血まみれだ。手の平のマメがつぶれ、皮がめくれて、ひどいことになっている。

 強くなりたい・・・!

 その一念が、この少年を突き動かしている。その純情に打たれる。

「よし、都にいくか」

「うん」

 ふと、空を見上げ、ギョッとした。枝という枝に葉を生い茂らせていたニケルの大樹は、まるで冬枯れたように、一枚の葉も残していない。

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