第3話・ヌートンの実
「・・・あたりまえだろ。ドラゴンの卵なんて食べるわけがない」
「どうかしら。さっきからお腹がぐーぐー鳴りっぱなしだけど」
きゅるるるる・・・ぐうう・・・
まあ、空腹であることは間違いない。しかし、とりあえず少女の誤解は解けたようだ。彼女のドラゴンに対して最後まで剣を抜かなかったことで、最低限の信用は得られたわけだ。このおっちょこちょいなお姫様も、話してみれば、ひとを見る目が素直で助かった。
「それにしても・・・きみの方こそ何者なんだ?」
まったく、この風景に場違いだ。用心棒のペット連れとはいえ、少女がひとりでぶらぶらするには、こんな土地は危険すぎる。しかも、そんじょそこらの小娘ではない。輝くような、というのが、改めて彼女を前にしての印象だ。暮れなずむ空の最後の残照を頬に受け、文字通りに光の粒をこぼしている。自尊心にあふれるその姿は、薄暗い中にあってもまばゆいばかりだ。剣を腰に差すこちらに対して物怖じすることもなく、まっすぐに立ち、正面から見つめてくる。
「あなただって、へんなひと。なぜ戦おうとしないの?」
少女の背後にいる巨大ドラゴンは、もう襲ってはこない。御せられているのだ。ふたりは気心の知れた仲、というわけだ。
「ドラゴンとやり合う気はないんだ」
「腰に下げたものは、サビついて抜けないの?」
そういう少女も、異形の剣を背負(しょ)っている。刀身の半ばからへし曲げられた、見たこともないシロモノだ。
「きみの『くの字剣』はいろいろと便利に使えそうだな」
「ええ、便利よ。あなたのは飾り?」
「まあね。強く見られたくて、吊るしてるんだ」
「つまり、いくじなしというわけね?」
「正解」
「うそばっかり」
少女はしゃがみ込み、地面に転がる卵のざらりとした表面をなではじめた。憐れむように、また同時に、いとおしげに。時折り、鼓動を感じようというのか、じっと手の平を当てて・・・
「あたたかい・・・」
「気持ちいいだろ」
「はじめてよ、ドラゴンの卵に触れるの」
「オレもだ」
「あたためてくれていたのね?」
「食えそうになかったんでね」
少女は、ふっ、と笑いかけた。が、すぐにその口元をぎゅっと結んだ。
「母親ドラゴンを埋めてあげないと・・・」
まったく、なにを言い出すかと思えば。今度はこちらが吹き出しそうになった。
「埋めるって・・・このバカでかいのをか?」
「わたしも手伝うから」
おいおい、ちょっと待て。オレが埋める、という言いまわしになっている。少女は、細い腰に巻いていた小袋の中から、金属製の棒を取り出した。
「王様の爪を研ぐヤスリよ。これを使って掘っていいわ」
こちらによこしてくる。
「まてまてまて・・・なんでオレが・・・」
「手伝うって言っているでしょう。もちろん、王様も」
「ドラゴンが?そんなバカな・・・」
この気高い生物は、人間に対して絶対的にフェアな関係を求める。人間の命令を聞くことは、すなわち、従属の立場を受け入れるということに他ならない。故に、どんな作業であれ、彼らが人間を手伝うことはありえ・・・
ざっく、ざっく・・・
「まあ、はやいわ、王様。もうこんなに深く!」
・・・オレも掘らざるを得ないようだ。それが今ここでのフェアというものなのだろう。
ドラゴンの死体は、かつて一度だけ目にしたことがある。幼少期のことだ。忌まわしい思い出だ。息絶えたばかりだった。ドラゴンは、死んでなお、ドラゴンだ。その遺骸は、いつも腹ぺこで森の中をうろついているスイープスや、解体屋のツイバミワシには格好のご馳走に見えそうなものだが、手を出して傷つけようとするものはついにいなかった。それどころか、やつらはドラゴンの骸に近づいては、頭を垂れ、土を掛けていくのだ。その厳かな仕草は、死者を悼んでいるように見えたものだ。ドラゴンは、どんな動物からも尊敬されているのだ。
「・・・ま、それほどたまらなくまずい、ってことなのかもしれないけど・・・」
と、ここまでしゃべって、ハッと後悔した。電光石火のビンタがくる。よけようと思えばよけられたが・・・
ぴたーん!
歯を食いしばり、受けておいた。前に食ったビンタに比べ、今回のものには手加減がある。不躾な行為の件は水に流された、と受け止めたい。この程度の痛みで、お互いの間のわだかまりが埋められるのなら、まあ悪くはないコストだ。
「無駄口を叩くヒマがあったら、その手をもっと動かしなさい」
今度は命令ときた。なにしろ、ドラゴンを手なずけるほどの魔性のお姫様だ。この世の一切の生物は自分のしもべだとでも思っているらしい。
ザクッ・・・ザク・・・ザク・・・
とっぷりと日が暮れてからも、月明かりの下で穴を掘りつづける。流れ者の剣士と、謎の美少女と、そのお付きのドラゴン。奇妙な三者は、無言で手を動かす。生きたものを襲うオオカミも、死んだものを狙うスイープスも、姿を見せようとしない。ドラゴンのおかげだ。その存在は、問答無用の野獣をも遠ざける。敵にまわすと手強いが、味方についたときの安心感といったらない。ドラゴンは、荒野の用心棒にちょうどいい。
きゅるるるううう・・・
それにしても、この空腹感ときたら・・・土のひと掻きごとに、腹の皮が背骨と触れ合うのがわかる。しかし、手を動かさないわけにもいくまい。ドラゴンの腹を裂いたのがこのオレであることは事実なのだから。棒きれを振るうこぶしに、全体内からしぼり出すわずかなエネルギーを込め、地面をほじくる。ところが、そんなひとさじの数百倍ほどの土を、王様ドラゴンは後ろ足のひと掻きで掘り起こす。
ドザザッ・・・
バカバカしくて、放り出したくなる。それでも少女は、まったく愚直に、生真面目に、なんの疑問もなく、せっせと手を動かしつづける。その手の平には、じくじくと血までがにじんでいる。それを見せられたら、やるしかないではないか。
東の空が白みはじめ、ようやく長大な墓穴が掘り上がった。そこへ、うんしょ、と母親ドラゴンの遺骸を・・・ま、ほとんどすべてを王様がやったのだが・・・落とし込む。その上から土を掛けていく。一晩がかりで大穴をうがたれた大地は、朝日が顔を出す頃には、すっかり元通りの平坦に埋め戻された。思わず、へたり込む。
「やれやれ・・・終わった・・・」
へとへとだ。なにより、腹ぺこだ。もう立ち上がる力さえ残っていない。ちらりと横を見やると、少女は枯れ枝を組んでつくった簡素すぎる墓標を立てている。見ず知らずの相手に、律儀なことだ。
「・・・母親は埋めたが、残った卵はどうするつもりだ?」
「食べさせないわよ」
「今さら食うかっ!」
少女は、真剣な面持ちで祈りを捧げはじめた。ふと、墓前に置かれたお供物に、目を剥いた。赤い果実が、ころりとひとつ。驚いたことに、新鮮そのもののヌートンの実だ。のどがゴクリと鳴る。
「おいおい・・・そんなサービスヒントを残しておくと、友だちのハンター氏が死体のありかを嗅ぎつけるぜ」
祈りつづけている。静謐な横顔。こうしてまじまじと見ていると、大人びた態度の中にも、あどけなさが残っている。かわいい・・・
ぐるるる・・・
自分の腹が鳴ったのかと思ったら、そうではなかった。背後で、王様ドラゴンがのどを鳴らしたのだ。振り返ると、烈火の目線を突き刺してくる。殺意がありありだ。少女にあと半歩でも近づけば、この背骨は噛み砕かれるところだった。あぶない、あぶない・・・しかし、王様はまた誤解をしている。オレの目には、少女の横顔よりも、ヌートンの実のほうが光り輝いて見えているのだが。
「あなた、どっち側?」
手を合わせていた少女が、不意に切り出した。その質問の意味はすぐにわかった。
「ん・・・?ああ・・・見た通り、どこにも属さないちゃらんぽらんさ。少なくとも、党側じゃあない」
「へえ」
彼女も党員ではない。あのかっこいいエンブレムを、からだのどこにも貼りつけられていない。それに党側の人間だとしたら、エンブレムが刻印されたモリの主とやり合うはずがない。とはいえ、抵抗勢力とも思えない。やつらは必ず徒党を組む。ドラゴン以外と。
「きみも、どっち寄りの匂いもしないな」
「まあね」
肝の据わったことだ。こんなへんぴな地では、ニュートラルな立場がいちばん危険だというのに。国家建設党も、ゲリラ組織であるマモリも、世界を統一するだの解体するだのと言いながら、やっていることはしょせん、殺戮と強奪だ。中間色の村々を勢力下に置くべく、浸食し合っているにすぎない。あやふやな態度は、どちらにも与しない分、誰にも守ってもらえない、ということを意味する。
「これ、あげるわ」
少女の手から、赤い果実が差し出された。ドラゴンの墓からのお下がりだ。
「ヌっ・・・ヌートンの実をかっ!?」
しかも、しなびてカスカスの痩せ果実ではない。むっちりと水気を含んだ、もぎたてだ。なぜこんな地にこんなものが?まったく不思議なことだ。
「ごほうびってわけだな。わんわん」
がまんできず、引ったくってむしゃぶりつく。しゃぐ、しゃぐ・・・
「こんな荒れ地に・・・しゃぐっ・・・こんな新鮮な・・・しゃぐ、しゃぐっ・・・」
「もっと落ち着いて食べたらどうなの?歯茎から血が出ているわよ」
この出血は、誰かから受けたビンタのせいなのだが。果肉に歯を立てるたびに、甘みの中に鉄味がにじむ。
「あわてないで、もうっ」
くすっ・・・
少女はついに、ちゃんと笑った。
「くすくす・・・あなた、名前は?」
「フラワーだ。フ・ラ・ワァ。東方の生まれなんだ」
「ふらわー・・・へんな名前」
「前文明のありがたい言葉らしいよ。意味はわからないけど」
「ふらわー、か。くすくす・・・へんなの。ふらわー・・・」
大きな瞳がまっすぐにこちらを見つめている。が、不意に笑顔が黙考に沈んだ。見ると、ギャンブルで相手の手札を探る顔つきになっている。
朝焼けが平原にほどけ、見慣れた灰色にさめていく。少女は、大地にコロリと残された卵を見つめている。こんな殺風景な場所で夜を明かして、両親が心配しないのだろうか?あるいはオレと同様に、孤独な流れ者なのか。それにしては、荷が少なすぎるようだが。とにかく、ドラゴンの用心棒がついていれば、旅路で起こるどんな危険な状況も、大概は円満な形でカタがつきそうだ。
「きみの名前は?」
「教えない」
生意気盛りめ。齢は15、6というところか。
「きみが生まれた頃、オレはもうドラゴンと取っ組み合ってたぜ」
「あら、わたしだってその頃、ドラゴンと遊んでいたわ」
「う・・・む・・・」
ありえない話ではない。いったいどんな素性なのか?風貌は、北と南の種を掛け合わせたように思える。漆黒の髪を団子に結い上げ、さらした広い額はゆで卵のようだ。キリリと上がった細いまゆ、強い光を宿したエメラルドの瞳。その精悍な面立ちは、なんらかの決意に満ちている。身に着けた質素な衣類は、しかしまったく垢染みていない。長い四肢を無頓着にさらけ出しているのは、肉体の可動域をひろげたいためだろう。鍛え上げたというよりも、研ぎ抜いたと言いたい筋肉は、弦のように引き締まっている。そして、さっき垣間見せた身体能力・・・強くはあるが、道場のおてんばな猛者といったところか。おそらく、実戦経験は多くはなかろう。特筆すべきは、心に燃えさかる正義感だ。どんな目的意識があるのかは知れないが、その振る舞いには不思議な気高ささえ漂っている。
「いこう、王様」
少女は、颯爽ときびすを返した。その後ろに、彼女のドラゴンはおとなしく従う。凛としたたたずまい。一挙手一投足が、まるで舞いのように洗練されている。この美しさときたら、どうだ。
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