第2話・ドラゴンと少女
遠く稜線に囲まれた、茫漠たる荒野だ。見下ろす所々で、巨大なタチガレノ樹が風に吹かれるままにそよぎ、傾いでいる。大地に影を落とすものといえばそれきりだ。たまに眼下を、叢(むら)のような雲が横切る。そんな空を渡っていく。鋭い滑走感はない。肉体の重みを忘れさせる浮遊の心地があるばかりだ。ドラゴンの背の乗り心地は、幼い頃から想像していた通りに、爽快だ。はるか地平のあたりに、小さな光が瞬く。そして煙。それはしばらくの間、ぼんやりとくぐもっている。砲火音が耳に届くのはその後だ。上空から認められる人間の営みといったら、この手のものばかりだ。煙は、煙突からのんびりと流れるものではなくなったらしい。それは常に爆発から生じる。至るところで偶発的なフラッシュポイントがひらめいている。火点は線となり、面をつくって移ろいつづける。が、この戦いにコアの部分はあるのだろうか?大局観のない、憎しみの気まぐれな発火が、あちこちで戦争じみたディテールをつくっている。が、そもそもこれは戦争ですらないのかもしれない。数限りない局所で散発するいがみ合いが、遠目には大掛かりな二方向の勢力のせめぎ合いと映るだけなのだ。地上は灰色だ。こうして上空から見下ろしていると、それがよくわかる・・・
「・・・はっ!」
また夢だ。しかし眠りから覚めると、いきなり現実が待っていた。のど元に剣が突きつけられている。
「あ、う・・・」
地面を転げて逃れ・・・ようとしたが、大きな卵を抱いていることを思い出した。身動きが取れない。剣の切っ先は、抜かりなくのど元を追ってくる。寝そべったまま、じりじりと背這いするしかない。ドラゴンの脇腹にへばりつかされた。こいつめ、かなりできる。なめらかな剣さばき。入り日を背にした位置取り。こんな事態に落ち入るまで目覚めることができなかったとは、不覚を取ったものだ。腹に抱いた卵があたたかく、鼓動音も心地よすぎた。しかしそんなことは、死地をゆこうという剣士の言い訳にはならない。
「ま・・・まてっ・・・」
野党か、ドラゴンを追ってきたハンターか・・・やり合ってもいいが、卵にまわした手から腰の剣が遠い。なんというへまだろう。のど元が寒い。
突きつけられた剣は、奇妙な形にヘし曲がっている。刀身が「く」の字なのだ。首を刈るためか、内蔵を掻き切るためか・・・いずれにしろ、なかなか便利そうではある。
「あなた」
ん?
「まさか、その卵を食べようと・・・!」
「ほえ・・・?」
不意な問いに、間抜け声が漏れてしまった。まさか、ドラゴンの完全体というお宝そっちのけで、無作法な食欲を問いつめられようとは。しかし、オレを虚脱させたのは、問いの内容だけではない。ひどい逆光のシルエットから発せられたそのソプラノ声は・・・
「きみ、女の子・・・・?」
「質問に答えるのはそちらの方よ。このドラゴンは、あなたが殺したの?」
その声には、激烈な怒気が含まれている。剣を突き込んでやろうという憤怒が隠しきれない。脅しではなく、本当にやってくれそうな勢いだ。切っ先を突きつけたれたのどが、ゴクリと鳴る。
「い・・・いいから・・・まず、この剣をどけてくれ・・・」
「あなたが殺したのかっ!?」
「ばかっ・・・そんなわけがっ・・・だいたいこの細腕で、こんな大層なモリを撃ち込めるかよ!」
「殺したのでなくても、ドラゴンの腹を開いた!」
剣先がのどに食い込む。柄を握る手に力が込もるのが伝わってくる。首筋の薄皮が裂けていく。本気だ。なんとしてでも逃れねば。
「わかった・・・卵がほしいのなら、やるよ・・・」
抱えていた酒樽のような卵を、足元にコロリと転がしてやった。相手は虚を突かれ、一瞬だけ、卵に目をやった。今だ。のど元の剣を、両手の平でぺたんとはさみ込む。
はっしっ・・・
「あっ!」
甲高い声が叫んだが、もうこっちのものだ。白刃に取ったのは、やたらと地幅が広い剣だ。テコが利きやすい。強くひねり返す。と同時に、「くの字」に折れた角の部分を足蹴に払う。剣はねじのように回転した。それを握る相手の体も、くるりとひるがえる。
「あうっ・・・!」
こてん・・・
地面に倒れ込んだからだは、思ったよりもずっと細く、華奢なものだった。それを知っていれば、次の行動では別の判断をしたかもしれない。しかし、こちらはすでにジャンプしてしまっている。躊躇するいとまがなかった。跳ね起きた勢いのまま相手の肩に乗り・・・
ギュムッ・・・
「いたあいっ!」
もう止められない。仕方がなく、そこを踏み台に飛びしさる。
ぴょんっ・・・タッ!
背後に横たわるドラゴンの背中に飛び移った。高いところから眺めはよくなったが、気分はあまりよろしくない。少女を間違いなく怒らせた。さっきよりも多分、ずっと。
「わ、わるいっ・・・」
「おのれ・・・よくもこのわたしを・・・」
この言葉遣い・・・正直、怖い。なんという気位だろう。こかされ、地に這わされたお姫様は、ゆらりとこちらに向き直った。剣を今一度握りしめ、火を噴くような視線でにらみつけてくる。
「どういうつもり・・・?」
「いや・・・今のはつい流れで・・・トントン、トーンと・・・反射、っての?」
そのときだ。はた。周囲を取り巻くとてつもない闘気に気づいた。無意識に、身の毛がよだっている。
「こいつは・・・」
大気に異様な圧力がひしめいている。かつて何度も感じさせられた畏怖だ。とっさに振り向いた。頭上にひらいた夕焼け空から、巨大な瞳が見下ろしている。
「ドラゴン!!!・・・でかいっ!」
気流を受け止める翼が、鈍い金属色にとろんと輝いている。この巨大さで、宙空に静止できるとは。しかも、物音ひとつ立てないで。
ぶあっ・・・
マントのような翼がはためき、ゆったりと上下する。そのたびに乱流が巻き起こる。まるで、黄色くもやがかかった大気を掃き清めているようだ。羽ばたきの風の中に、虹色の光彩が散る。
「まっ・・・待て!待てって・・・おまえまで勘違いしてるのか・・・?」
まったく、善行を施したつもりが、とんだ厄災だ。ドラゴンは、ものすごい怒気をみなぎらせている。その一方で、警戒は怠らない。こちらのことをハンターだと思っているのかもしれない。うかつに近づいてはこない。この死んだドラゴンの仲間か?いや、彼らは単独で行動する。お互いに干渉し合うことはないはずだ。しかし、そんな学説は気休めにもならない。この状況はまずすぎる。彼らは人間に、敬意を求める。なのにオレは、腹を裂かれたドラゴンの脇で、うまそうな卵を抱いていたのだ。
さわ・・・さわ・・・
風が立ち、砂塵が舞う。景色が揺れている。頭上はるかの一点にとどまるドラゴンは、超大物だ。目を見張るほどの。これほど立派なものは、諸国をさんざん放浪した中でも、見たことがない。
「弱ったな・・・」
オレを殺すつもりだ。必殺の気配がひしひしと伝わってくる。それでもなお、その姿には見とれてしまう。暮れなずむ山端に、輝かしいオレンジの空が閉じていく。変わりつつある気流の中で、ドラゴンは巨体をコントロールしている。神々しいまでに傲然としたたたずまい。まさしく、大空の支配者だ。
背後の足元には、剣を構える少女がいる。驚いたことに、これほどのドラゴンを前にしながら、まったく気持ちを乱すということがない。まさか、ふたりは仲間なのか?こちらをはさみ討ちにしたというのか?高等な知能を持つドラゴンは獲物を襲うとき、相手に逆光になるように、日を背にするという。なのに今、日を背負っているのは少女だ。
ブオッ・・・
突如、ドラゴンのからだがひるがえった。突風が吹き寄せ、思わず顔をそむける。視界のすみで、ドラゴンが滑空をはじめている。向き直った途端に、まなざしに射抜かれた。その瞳は、烈火に包まれたような異様な色味を帯びている。すごい形相だ。やはり殺しにくる!
「ちいっ・・・」
やむを得ない。腰に下げた剣の鯉口を切り、柄に手を掛ける。ドラゴンは、長いからだをムチのようにしならせ、降下してくる。その額のまん中に、古い刃キズが走っている。これはいよいよまずい。人間に痛めつけられたことがあるやつだ。
「くそっ・・・」
身構えたものの、抜くまい、と覚悟を決めた。抜いたが最後、どちらかが死ぬまで闘うことになる。死ぬのはもちろん、オレの方だろうが。しかしさいわいなことに、巨大な骸の砦がある。荒野に逃げ場はないが、死んだドラゴンを壁にして立てこもれば、やり過ごせるかもしれない。それにこの状況なら、相手も無茶はできまい。
・・・ーッッッ
長いレンジを保って前方に舞い降りたドラゴンは、地表すれすれを這うように滑空してくる。すごい速度で向かってくるのに、風を切る音もない。大気を自在に操っているのだ。迫りくるのは、まるでまばゆい影だ。
「すげえ・・・」
その姿がまた美しい。重力などまるで感じさせない軽やかさだ。うっとりと見とれていたくなる。が、転瞬、翼を進行方向に、つまりこちらに向け、屏風のように立てた。
ぶわっ・・・
すさまじい砂塵が上がる。と同時に、いきなり発生した重量感が肉迫してくる。
「しまったっ・・・!!!」
幻惑したのだ。これが本当に野生動物なのか?つむじ風と土ぼこりが渦巻く中に、一閃の光。爪だ。鋭いっ!はらわたをえぐろうというのだ。骸の背から飛びしさる。
ピュッ・・・
危ういところで、空をつかませた。へそまで紙一重だった。
「あっぶねっ!」
トッ・・・
が、着地点がまたヤバい。背後に、くの字剣を持つ少女が待ち受けている!振り向くと、頸部を狙って横からなぎにくる気配。よけきれない。首が寒い。
ぱちんっ・・・
「あうっ・・・う?」
しかし首筋近くを打ったのは、剣ではなかった。手の平だ。ビンタをされたようだ。
「あなたっ」
「は・・・はい・・・?」
「なぜ抜かないのっ!」
なんだか知らないが、命拾いをしたようだ。しかし安心しているヒマはない。少女の手首がひるがえった。返しの裏拳・・・往復のビンタだ。
「まてって・・・!」
剣で首をはねられるのはいやだが、女のビンタはもっといやだ。頭を下げて、空を切らせた。
「勘違いだっ・・・」
あわてて骸の背によじのぼる。ところが向こう側に、巨大なドラゴンがいる。待ってましたとばかりに、二の爪を繰り出してくる。
ビウッ!
のけぞってかわす。間髪を入れず、大きく開いた口がきた。のどちんこまでが見通せる。
ガチンッ!
剥き出された牙がカチ合う音を、目と鼻の先で聞いた。こちらが高い場所をうろちょろしているために、相手にとっては攻撃におあつらえ向きなのだ。かといって、バックヤードではビンタが待ちかまえている。
「くそう・・・剣が抜けりゃ、こんな無様なことには・・・」
しかし、ドラゴンと少女、どちらに対しても剣など抜けない。骸の背の上を四つん這って逃げる。
ヒュウウウルルル・・・
「きたっ・・・!」
ドラゴンは巨体をひるがえし、ついにシッポを振り飛ばしてきた。こいつがいちばん厄介だ。長い尾には、研ぎ抜いた剃刀(かみそり)のような骨板が仕込まれているのだ。セイタカヤシの幹もまっぷたつにするという切れ味だ。触れてはならない。
ぴゅんっ・・・
つくばって、刃風を頭上に流す。そこに、また爪。図体はでかいが、機敏だ。すぐさま跳ね起き、骸の裏側に飛び降りる。そこでは少女が待ちかまえている。ビンタがくるっ!
「ネ・・・ロ・・・ス・・・」
「えっ・・・?なんだって?」
身構えたが、手の平は飛んでこなかった。それどころか、少女はもうオレのことなどそっちのけだ。死んだドラゴンの横っ腹に突き刺さったモリを見て、わなわなと震えている。いや、彼女が凝視しているのは、モリの付け根の刻印だ。そこに刻まれた名前への反応は、著しいものだ。恐怖か、憤怒か・・・どういう感情かは知れないが、顔が青ざめている。
「・・・そのハンター野郎を知ってるのか?」
骸を盾にドラゴンの様子に警戒しつつ、横の少女に語りかける。
「・・・何度かやり合ったわ」
「あいにく、そいつは焼け死んだと思うぜ。このドラゴン、モリを射掛けられながら、火を噴いたんだ」
「あいつは死なない」
言い切った。なぜだか、確信があるようだ。
「ゾンビみたいに不死身で、ずるがしこくて、しつこくて・・・」
なるほど、少女の複雑な反応は、憎悪からくるものらしい。
「・・・キモくて、うざくて、ゲスくて・・・うう、もうだいっきら・・・」
「まてまて・・・落ち着け。ドラゴンの吐く火を浴びて生き延びるなんて、不可能だ」
「それでも死なないの!そういうやつなの」
「ふうん・・・よく知った仲なんだな・・・」
なにか、ふたりの間には因縁があるようだ。興味深い・・・が、今はそれどころではない。
ガルルルルルル・・・
翼の間から向こう側をのぞき込むと、巨大ドラゴンは攻撃を止め、こちらの出方をうかがっている。しかしあきらめたわけでもなさそうだ。ヒリヒリとした殺気だけは伝わってくる。
「・・・なんてやつだ。じっくりとオレの料理法を考えてやがるんだ・・・」
強くて、賢い。それがこの神聖な生き物の畏怖すべきところだ。背を丸めて四つ足にかがみ込み、ウロコを逆立たせている。夕映えをはじく光の散乱がすごい。光線の方向まで計算に入れて、威嚇しているのだ。たたんだ翼を肩から垂直に立てる姿は、まるで巨大な帆船だ。それでもって、爪先をにじらせ、音もなくこちらに近づきつつある。相手の質を見極めようというのか、じっとにらみつけてくる。周到だ。手強い。歴戦のつわものにちがいない。
「王様っ」
不意に、少女が声をあげた。
「もういい」
「ん・・・?おうさま?このオレが・・・?」
このお姫様、なにをまたトチ狂ったことを言いはじめたのか。と、そのとき、張り詰めた大気圧が弛緩するのを感じた。景色が柔らかくほどけていく。ドラゴンが闘気を解いたのだ。そうだったのか。少女が呼びかけたのは・・・
「王様・・・って、まさか、あのドラゴンのことか?」
「そうよ。わたしの友だち」
やはり、ふたりの動きは連動していたのだ。それにしても、王様を手なずける少女とは・・・まさしく、お姫様だ。
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