第1話・荒野で

 ドラゴンが死んでいる。このあたりは生息地だと聞いてはいたが、こんなにも無防備な形で野垂れ死んでいるものもめずらしい。誇り高いドラゴンは、自分が死んだ姿を見せないものだ。

「・・・ったく、なんてやり方だよ・・・」

 思わずため息が漏れる。ハンターに追われたのだ。背中や横っ腹に何本ものモリが刺さっている。まだかすかに虹色のツヤを残した肌は、岩場でも這ったのだろうか、ズタズタに荒れている。戦い、射られ、突かれ、のたうちまわり、追っ手を振りきったはいいが、無念にもこの場所で力尽きた・・・というわけか。巨体を長々と横たえるその姿は、生前の威厳を完全に失っている。

「無惨なもんだな・・・」

 最近では、作法を知らないドラゴンハンターが幅を利かせている。とにかく「数を」が最優先で、近代的な火器にものを言わせ、根こそぎにしていくのだ。空という空から、まるで刈り取るかのように漁っていく。元々、ドラゴンハンターといえば、その勇気と技術から、超人と崇められる存在だった。ところが今や、軽蔑の対象でしかない。ここのところの連中の振る舞いときたら、捕らえ方への敬意と節度を完全に失っている。相手は、人間よりも理知的と言われるほどの尊い生き物なのだ。もう少し自尊心におもんぱかることはできないものか。こうした乱獲のために、ドラゴンはずいぶんと減った。絶滅さえ危惧されているほどだ。

「こんなところで、お互いひとりぼっちか・・・」

 ドラゴンの哀れな末路を気の毒に感じながら、わがひとり旅のゆく末を思う。この横たわる姿を自分に置き換えても、なんの違和感もない。

 それにしても、壮麗な巨躯とウロコの輝きには陶然と見惚れてしまう。まったく、なんという美しさだろう。こいつに向かって弓を引けるとは、ドラゴンハンターというやつはたいした太い神経だ。いや、逆にこの壮麗さが、やつらに弓を引かせるわけだが。まったく、世の中は不条理だ。

 ドラゴンを見かけなくなったのは、ここわずか数年ほどだ。猛烈な勢いで、空から彼らの姿が消えていくのだ。その数の減らし方は、火器の進化にともない、加速的だ。ドラゴンは、ひとを襲うわけではない。逆に、ひとが彼らを襲うために、ひと側に犠牲者が出るはめになる。放っておけば、平和に共存できるはずなのに。ドラゴンを殺したところで、食べもしなければ、薬になるわけでもない。詰んだツノを飾って愛でるくらいが関の山だろう。こんなに節操もなく狩り散らかして、いったいどれほどの価値になるというのか。そろそろ、こんなバカげた行為は終わりにするべきだ。が、人間のあさましさには際限がない。これからもドラゴンは減りつづけることだろう。

 横たわったドラゴンの血は、ねっとりてらてらと輝いている。息絶えてから、おそらく何時間とたってはいない。タイリク瓜ほどもある眼球はとろんとにごり、ホコリにまみれている。が、半眼に開かれたその奥には、まだみちみちと水気が残っているようだ。それはまるで、甘露を満たしたビードロの鉢のように見える。不意に、ごくり、とのどが鳴った。不埒な考えが頭をよぎる。内陸の平原を歩きつづけて、のどはからからなのだ。

「飲めないかな・・・」

 腰に吊るした剣の鯉口を切る。目玉をえぐれば、水分にありつけるかもしれない。剣の柄に手を掛ける。ところが、まったく思いがけず、からだが固まってしまった。自分でも意外に思えるほどの嫌悪感が背中を走ったのだ。かえりみて、ドラゴンに剣を立てようなどと考えるのは、これがはじめてだと気づく。

「・・・しかし、背に腹は・・・」

 ドラゴンといえども、死んでしまえばただの肉塊だ。なのに、剣の柄を握った手をどうしても動かすことができない。ドラゴンに対する無意識下の敬意が、剣を抜くことを拒絶するのだ。これから傷つけようかという大きな骸が、まるで友だちの寝姿のように思える。まったく不思議な感覚だ。そんな呪縛とは裏腹に、ごくり、とのどが鳴る。渇望という言葉があるが、まさにあれだ。しかし・・・

「・・・くそっ・・・やめておくか・・・」

 自分の心にうそはつけない。剣を握る手の平を、断腸の思いでほどいた。と、そのときだ。

「えっ・・・なみだ・・・?」

 ドラゴンの目頭に、水晶のような玉水がにじんだのだ。かと思うと、みるみるうちにしずくは、しゃぼんのように膨らんでいく。こぼれるっ!思わず唇で吸いつき、すすり込んだ。

「あっ、あまいっ・・・!」

 ハスの葉にたまった朝露を集めて口にしたことがあるが、あんな爽快さだ。細胞のすみずみにまで潤いが浸透し、エネルギーがみなぎり渡る。このまま不老不死を得られそうな気分だ。

「んむっ・・・んんむっ・・・」

 ドラゴンの涙は、飲んでも飲んでもあふれ出てくる。ぽろり・・・ぽろり・・・むさぼるように、のどに流し込む。

「ふう・・・」

 ひと心地つくと、涙を流し終えたドラゴンは、半眼だったまぶたをすでに閉じていた。水分を抜かれ、眼球が縮んだのだろうか?まるで安らかな寝顔のように見える。なんと不思議な一瞬時だったのだろう。ふと、突拍子のない考えが頭をよぎる。ひょっとして・・・

「・・・いや、まさかな・・・ない、それはない、ない・・・」

 ありえない。死んだドラゴンが、オレのことを「生かしてやろう」などと考えたとは・・・


 天翔ける英雄の伝説を信じた少年時代のオレは、草原や森でドラゴンを見つけては、その背に乗ろうと試みた。が、これが結構むずかしい。あたりまえだが、ドラゴンはなかなか「どうぞ」とこちらに背中を向けてはくれないのだ。だったら力ずく、ということなる。鋭い牙を、爪を、刃のついたシッポをよけながら、素手で必死に組みつく。その度に振りまわされ、張り飛ばされ、踏んづけられる。肉を裂かれ、骨を折られ、瀕死のケガを負ったこともある。それでも、傷が癒えると、再び立ち向かった。そして、ボコボコに痛めつけられた。しかしどれだけ手強くても、やり込められても、ドラゴンを相手に剣を用いることだけはしなかった。彼らはとても敏感で、敵意を察すると、本気で殺しにかかってくるのだ。そうなると、容赦がない。ドラゴンは、剣を抜いた相手を決して許さない。古くからの考えによるとそれは、闘争本能というよりも、礼を失した相手への軽蔑からくるものだという。自然界の真の王者であるドラゴンは、愚かな振る舞いをする人間に罰を与えるのだ。しかし、素手でやり合う分には、彼らは手加減をしてくれる。少年はそうして、幾度もやり合った。ドラゴンを痛めつけるつもりなどさらさらない。徒手空拳は、彼らとじゃれ合うときの作法であるし、彼らもまたそのルールを理解してくれているようだった。要するに、フェアなのだ。ドラゴンは、それほどまでに高い知性と文化を持っている。

 かの英雄は、ドラゴンを相手に剣を抜いた。決死の覚悟を宣言したのだ。こうなると闘いは、どちらかが死ぬまでつづけられる。誇りを賭けて切り結ぶ以上、お互いの命をテーブルに出し合うのは当然だ。ところが、ドラゴンハンターは違うのだ。彼らは、極めて秩序立った大集団だ。自分たちは決して傷つくまいと重装備をする一方で、捕獲道具は、兵器と言っていいほどのおどろおどろしいものを用いる。その圧倒的な物量と質に向き合わされるドラゴンは、対等に闘うことさえ許されない。たちまち追い詰められ、捕らえられ、ときに殺される。最も近代的なドラゴンハンターは、こうした一切の感情を差しはさまない合理性でもって、ドラゴンを機械的に始末していく。それは闘いどころか、狩猟ですらなく、処置、とでも表現すべき仕事っぷりだ。


 それにしてもドラゴンの骸の、なんという大きさだろう。この体躯が生き生きと躍動する姿を想像してみる。どれだけ無念だったことか。

「せめて安らかにな・・・」

 ぐううう・・・

 しかし、そんな思いとは裏腹に、今度は空きっ腹が臓腑をしぼる。のどが潤ったせいで、よけいに口さびしい。この平原に入ってからというもの、村という村が戦火に荒らされて、ひとはおろか、動く影ひとつとして見かけることはなかった。ここ数日の間は、イナゴの脚一本もしがんでいない。ふと、ドラゴンの裂けた肉が視界のすみに入った。再び、不埒な考えが頭をよぎる。

「・・・いや・・・いやいやいやっ、ダメだ。それはダメっ!」

 飢え死にしようかという状況下で、目の前にとれとれピチピチのドラゴンが横たわっているのだ。舌の上に、甘露の味わいがよみがえる。

 ぐ、ぐ、ぐううう・・・

「ダメだっ!・・・だいいち、まずいらしいからな、ドラゴンってやつは・・・」

 ドラゴンの肉は、硬くて繊維質で、三日三晩もかけて煮崩す必要があるという。それでも野獣臭さが抜けないので、ハーブをたっぷりと加えてすりつぶし、団子にしてからさらに焼き焦がし、ソースまみれにして、やっと飲み下せるというほどのシロモノらしい。つまり、食用には向いていないのだ。不味い、不味い、食えたものじゃない・・・はず、と念仏のように唱えてみる。目をつむり、空腹感を必死で追い払う。だいいち、自分は剣士ではないか。自尊心を思い出せ!そして、ドラゴンから受けた施しを!彼が示してくれた友情を!卑しい考えに打ち負かされてはならない。歯を食いしばる。

「くそう・・・安心しろ。食わないよ・・・」

 せめておいしく食べられるというのなら、百歩譲って、ドラゴンハンターの存在価値もあるというものだが。まったく、やつらの狩猟意欲は謎めいている。ドラゴンの腹に刺さったモリから血が滴り、肉が裂けて露出している。この硬いウロコと、鋼の筋肉を突き抜くとは、いったいどれほどの大げさな機材を運び込んでいることか。それだけで、コストは計り知れない。

「最近のハンターはえげつないぜ・・・」

 モリの太さときたら、人間の手首ほどもある。頑丈な金属製で、大仕掛けな射出装置から撃ち出されたものと見て間違いない。モリの構造も相当にサディスティックだ。よく食い込み、決して抜けないように、返しに工夫がなされている。さらにモリ尻から伸びる縄には、びっしりと鋲が仕込んである。鉄条網のようなこいつを絡めて、獲物を衰弱させようとする意図が見える。殺戮を目的としたわけではなく、生け捕りにしたかったのだ。その割りには、相手の痛みに対しての配慮はない。

「クズめ・・・」

 ふと見ると、モリの尻に、党のエンブレムがついている。国家直々の行為なのだ。道理で造りもかっこいいわけだ。女帝陛下による高らかな号令で、大規模にこうした蛮行がのさばっている。ドラゴンハンターの中には、今や高級役人の身分を与えられる者もあるという。

「・・・崩し文字か。読めないな」

 エンブレムの下に、何者かの名前が彫り込んである。モリを撃ち込んだドラゴンハンターのものだろう。クソ野郎だ。ドラゴンが死ぬかも知れないのを承知で、よくもこんなひどいやり方ができるものだ。

「食いもしないくせによ・・・」

 ぐううう・・・

「あああ・・・腹が減ったよう・・・」

 天空が丸い。所々に、細切れの雲がゆく。その下にひろがる、荒れ果てた平原。遠く岩山のガレ場に取り囲まれたこのあたりには、広々としたスペースがひらけている。が、ドラゴンの亡骸(なきがら)の他には、砲弾を撃ち込まれた古い大穴が地肌をさらすきりだ。海原のようにうねり、波打つ大地の奥に、赤茶けた山脈。見渡すかぎりに、人工物はなにもない。この分だと、あと数日間は食い物にはありつけまい。

「おまえが食えればなあ・・・」

 ドラゴンの鼻の頭をなでる。友情は築いた。涙も飲ませてくれた。それでも、食ってほしそうには見えない。

「なんて大きな頭だ・・・」

 上あごに肩を入れ、こじ開けてみる。歯に異物でもはさまっていれば、と考えたのだ。あんぐりと開いた口の中には、立派な牙が並んでいる。そのすき間に肉片でも・・・いや、草の切れっ端でも見つかればありがたい。ところが・・・

「えっ・・・?」

 これが実にきれいなものだ。歯磨きでもしたのだろうか?不思議なほどにツルツルピカピカで、驚きの白さだ。

「なんなんだよ、おまえ!」

 きれい好きか。こうなると、空腹にも耐えられなくなってくる。口内で丸まった長舌をほどき、怒りにまかせて・・・

 がぶっ!

 食らいついてやった。鮮度抜群の牛タン・・・いやリュウタン刺しだ。

「・・・?」

 しかし、なんだか味が妙だ。

「うええっ・・・ゲホッ、ゲホッ!」

 思わず吐き出した。ひどいオイル臭だ。口にできたものではない。

「火を噴いたな、こいつ・・・」

 なるほど、歯に残留物がないわけだ。


 ちょうど太陽が南中の高さに差しかかっている。陽射しがきつい。ドラゴンのボロボロの翼を天幕代わりにひろげて、ゴロ寝をきめ込むことにする。

 ぐ、ぐ、ぐううう・・・

「ああ・・・腹減った・・・」

 ふと、夢想する。こいつを仕留めたドラゴンハンターは、ドラゴンの噴く炎で黒こげになって、この大地のどこかでのたれ死んでいるはずだ。

「食料満載のバギーでも乗り捨ててあればな・・・」

 しかし、そんなものはどこにも見当たらない。寝そべって地面に頭を落とすと、遠く、かすかに、重火力をやり取りする音が聞こえはじめた。音というよりは、小刻みな震えだ。が、ここからは煙のひと欠けも見えない。戦争に、猛獣狩りに・・・なんて荒んだ世界だ。ドラゴンにまたがった英雄サマは、どこの空をのんきに飛んでいることか。この戦乱の世をもう一度まとめるには、そんな人物の力が必要なのだが。

 妄想を振り払い、現実世界の地図を空に開く。が、こんなものがなんの役に立つわけでもない。地形を散々に荒らされたこのあたりでは、地図そのものが意味をなさない。磁石で方位を合わせようにも、基準となるランドマークが失われているのだから。それでも、こいつを眺めているだけで、心細さは多少なりとも緩和できる。おまじないみたいなものだ。大地の震えが、意外に心地いい。眠気が襲ってくる。


 短い夢を見た。ドラゴンがうねっている。空をのぼり、下降し、上昇し・・・それを一定のリズムで繰り返している。不思議な光景だ・・・

 トクン・・・トクン・・・


 目を覚ますと、静寂そのものだった。重火器の炸裂音は止んだようだ。しかし、ふと気づいた。さっき感じたものとはまったく別の振動がある。その震えは、深く、薄く、まるでドラム音のように等間隔に時を刻んでいる。

「・・・鼓動だ・・・」

 大地が揺れている間は、気づくことができなかったのだ。鼓動は、もたれかかったドラゴンの腹の奧で打っている。かと言って、ドラゴンが息を吹き返したわけではなさそうだ。肌ツヤの褪色が著しい。だいいち、聞こえてくる鼓動は極めて弱い。

「そうかっ・・・」

 今度こそ、剣を抜いた。遠慮をしている場合ではない。ドラゴンの硬質なウロコのすき間に刃先を突き入れ、力を込める。すると・・・

 カチンッ!

 鉱物質な手応えがあった。

「やっぱし!」

 卵をはらんでいる。繁殖期のメスだったのだ。そのまま腹を切り裂くと、管と粘膜にくるまった卵がごろりと転がり出てきた。片脇にかかえるほどもある。

「うおお・・・」

 目玉のやつ、ゆでのやつ、スクランブルのやつ・・・襲いくる欲望を、しかし振り払った。ねばねばの薄皮をはぎ取り、耳を押しつける。

 トクン・・・トクン・・・

 確かな脈動が聞こえる。しかし・・・こいつをどうしたものか?

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