空をわたる

もりを

プロローグ

プロローグ

 かつて、ひとりの英雄がいた。太い腕っぷしに、ひと振りの名剣。勇猛無双と恐れられた男は、南海から内地に浸透すると、諸国の手練れと渡り合い、たちまち大陸を自軍の旗色に塗り込めていった。内陸最奥部の旧都で最後の大仕事をやり遂げ、自らのイニシャルを彫り込んだ剣を天に突き上げた瞬間に、世界は彼のものとなった。五国七海を統一した英雄は、新帝王となるべく、麗しき妻の・・・いや、妃と呼ぶべき美女の手を引き、玉座へと向かった。妃は胸に、玉のような赤ん坊を抱いていた。王子であるこの子もまた、英雄の血を受け継ぎ、たくましい剣士となるにちがいない。彼らの未来は、そして新しい国の前途は、洋々とひらかれていた・・・はずだった。ところが、その場に一頭のドラゴンが現れ、立ちはだかった。英雄はあわてず、剣を抜き、投げ放つ。その剣が、ドラゴンの額に突き立った。すると巨大な野獣は見境がなくなり、荒れ狂いはじめた。そして、鋭い尾刃が三人を襲ったのだ。英雄と妻をつなぐ手が離れた。お互いを握りしめていた手の平が振りほどかれたのではない。痛ましいことに、妻の手首が切断されたのだった。妻は倒れ、烈火のごとくに怒った英雄は、ドラゴンに組みついた。わが子を脇に抱えたままで。決闘だ。英雄は死力を尽くして闘った。ドラゴンの爪を、牙を、尾先の刃をものともせず、蹴りを浴びせ、怒りの拳を打ち込む。両者は絡み合い、くんずほぐれつの激しい死闘となった。やがて英雄は、かつて最大の敵将の城を攻め落とし、本丸に旗を掲げたときのように、ドラゴンの頭にのぼり詰めた。そして、額に突き立つ自分のイニシャル入りの剣をむんずとつかむ。勝負は決するかに思われた。ところが、このドラゴンが強大だった。必死の傷を負っているにも関わらず、新帝王となるべき男とその子を背に乗せたまま、大空へと飛び立ったのだ。

 それきり、ふたりの行方はようとして知れない・・・と伝説は言う。が、今もなお、英雄は子とともに、ドラゴンの背で剣を高々と掲げ、天駆けているにちがいない。

「・・・これは本当の話じゃぞ」

 髪の編み上げを許される年頃に、僧院のお師さんがよく聞かせてくれた話だ。その話がはじまると、オレは剣を振るう手を止め、一心に聞き入ったものだ。

「しかも、そう遠くはない昔の、な」

 お師さんは、まるでそれを見ていたかのように語るのだった。その目はなぜか苦々しく、ときに悔恨のような色がひらめくことさえあった。

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