第4話・オアシス

 つかみ合っても、組み合っても、少年がドラゴンの背にまたがることはついにかなわなかった。それでも数知れない試みの中で、コツのようなものはつかんだ。ドラゴンは、自分の背後を取るものに対して、大蛇のような尾を振りまわしてくる。その先端部に仕込まれた骨板は脅威だが、それさえよければ、彼らのシッポはしがみつくのにおあつらえ向きなのだ。うねうねとうごめく樹の幹だと思えばいい。向かいくる軌道を見切って紙一重にかわし、今度は遠ざかる残像を追ってつかみ取る。この「巻き込み」のような動作を、少年は果てしなく繰り返した。ドラゴンは、飽きもせずにつき合ってくれた。人間の子供をからかっているわけだが、高度な技とバリエーションを惜しみなく披露してくれた。それでもついに、ドラゴンが少年を背中に乗せてくれることはなかった。それをした瞬間に、双方の間にあるフェアな関係が崩れることを理解しているのだ。少年は負けず嫌いだったが、ドラゴンもまた、絶対にひとの下には立たないのだった。


 少年が成長して大人になった今、その考えは改めるべきかもしれない。少女と王様ドラゴンの関係を見せられたら、自分が間違っていたと考えざるを得ない。このふたりの間には、フェアもクソもない。王様ドラゴンはなぜか、少女を認めたらしい。自分の主、と。なにしろ、その背をなんのためらいもなく明け渡しているのだから。

 バサッ・・・

「お・・・お、おいっ、こんなっ・・・!」

「こらーっ。もう、なんでついてくるのよう!」

「だって、いきなり飛び立つから・・・!」

 翼から押し出される風を浴びながら、見上げる。視線の先で少女がまたがっているのは、ドラゴンの首根っこ、頸椎のあたりだ。ちょうどおあつらえ向きにうなじから二本だけ生えたトゲのような装飾をつかんで、悠然と風を切っている。まるで彼女が王様ドラゴンを操縦しているようだ。片やオレはといえば、ドラゴンのシッポにしがみついている。夢にまで見た光景だが、恐ろしいことに、上空数十デスタントもの高さから、今にも振り落とされそうだ。

 ぶわさっ・・・ぶわさっ・・・

「ぐあっ・・・ぺっ、ぺっ!お・・・お~い・・・!」

「しつこいわね。降りなさい!」

「こっ・・・こんな高さから途中下車できるかよ!」

 翼をひろげたドラゴンは、まるで粉突き小屋の風車のようだ。羽ばたいた後方で巻き起こる羽風がすごい。たなびく朝焼けが渦潮のように逆巻いて見える。振り落とされないように、必死でシッポにしがみつく。それにしても・・・

「すげえ・・・」

 眼下はるかに、丸い天体が薄い朝もやに包まれている。灰色の大地が、ガレ石の丘が、朽ち果てた森が、ゆったりと流れていく。美しくも面白くもない地形だが、この視界の伸びやかなひろがりときたら!

「英雄が見た世界だ・・・」

 本当にこの目でそれを見る日がくるなんて。これは夢なのか?夢だとしたら、なんて長い夢だろう。少女に剣を突きつけられ、卵をめぐってドラゴンと戦い、一晩中汗を流して穴を掘った挙げ句に、ドラゴンの背中で空を飛ぶ夢なんて、見たことがない。いや、夢じゃない。あのヌートンの実が腹におさまった感覚が、はっきりとある。

「現実だ・・・」

 眼前には岩石の山脈が屏風のように反り立っていて、勢い込んだら鼻先をぶつけそうだ。王様ドラゴンは、そんな地形を熟知しているのか、気流をうまく選り分けて、最小限の翼の運動で飛行姿勢をコントロールしている。足にはしっかりと卵もつかんでいる。大荷物でさすがに重そうだが、それを感じさせない優雅なフライトだ。

 それにしても、このゆきずりの剣士をぶら下げたまま飛び立ってくれた、というのが解せない。今、この瞬間もそうだ。シッポの骨板をひょいとしゃくって払えば、異物は簡単に振り落とせるはずだ。彼は、オレをも友だちとして認めてくれたのだろうか?それにしては、扱いが粗雑ではあるが。

「・・・ん?」

 後方はるかに、小さな土煙が上がっている。爆裂による瞬間的なものではない。もうもうと連続した砂塵に見える。

「・・・バギーか」

 いやな予感が頭をかすめたが、遠すぎて確認ができない。それよりも、こっちはしがみつくのに必死なのだ。どこまで飛ぶつもりかは知らないが、そろそろ足の裏にかかる体重が恋しくなってくる。


「英雄は、ドラゴンに乗ったんじゃ・・・」

 お師さんの語り口を、不意に思い出す。よく聞かされたあの物語には、ドラゴンに乗って以降の英雄の描写は出てこない。エンディングは、美しい伝説風に語られてはいるが・・・

「これは本当の話じゃぞ・・・」

 ひょっとしたらお師さんは、そこまでの行動を英雄と共にしていたのではあるまいか?物語の最後には、必ず「彼は生きている」という確信めいた示唆があった。そして、その顔にひらめかせる悔恨のような表情の意味・・・まったく、謎めいた語り口ではあった。


 ブウンッ・・・

 出し抜けに、王様ドラゴンが尾を振った。

「うわっ・・・!」

 しつこく張りつく異物をいよいよ引っ剥がそう、という明らかな意図だ。夢見心地の空中散歩もおしまいだ。執念でしがみついていたオレの手が、ついに振りほどかれる。落下。

「わ・あ・あ・あ・・・」

 ドスン・・・ごろごろごろ・・・

 直下の地面に叩きつけられた。が、そこは傾斜地だった。しかも、ふかふかの草がクッションになっている。ずいぶんな距離を転がった後、平らなスペースがひらけて、止まった。幸いなことに、ケガひとつ負わなかった。信じがたいことに、ドラゴンが計算ずくでそうしたようだ。

「いてて・・・ここは・・・?」

 岩山の中腹のようだが、浅く広びろとした穴っぽこと言っていい。古くに働くのをやめた噴火口だろうか?あるいは、前時代に起きた人工的な巨大爆発の跡かもしれない。山の奧ふところに抱かれた・・・なんて表現はそぐわないが、周囲を低い稜線で囲まれたくぼ地だ。差し渡しにして、150デスタントほどはあろうか。驚いたことに、その内側がくまなく緑に覆われているのだ。

「こんな荒野のガレ山に・・・」

 平原からちょうど死角となるこの地には、具合いよく小川も流れ込んでいる。岩山に降る雨を一筋に集め、水脈としているのだ。そのおかげで土が潤い、植物の生育が進んでいる。久しく見たことがなかった、盛大な緑だ。これほど極端な境界を持つオアシスは、長い旅の中でもはじめてだ。

「・・・えっ!?」

 さらに目を疑うような光景がひらいた。土地の一角がささやかに耕されて、痩せた地質にはまったく不釣り合いな果実たちが、たわわに実っているのだ。トメーテ、ラデシュー、バレショー、コンー、ハックシャイ、ヤナカショーガ、フカヤネギ、ミカンワカヤマ・・・まばゆいばかりの色彩だ。戦火に荒れた各地のマーケットで貧相なものは散見するが、こんなにも瑞々しく育ったものを目にすることはまれだ。大昔の賢人が、その実の落ちるさまを見て星ぼしの運行を予言した、とされる「ヌートンの樹」も、鈴なりの実をまっ赤に熟させている。

「なんでこんなことが・・・」

 視界の端を飛んでいた王様ドラゴンが、オアシスの中央付近に舞い降りた。そこには、一軒の掘っ建て小屋が傾いている。

「ははん・・・なるほど・・・」

 ドラゴンの排泄物の量を想像し、納得した。こんもりとしたそれを土に含ませて耕せば、沃野ができるというわけだ。

 背の高いコンー畑をかき分けて歩くと、奇妙な大木に出くわした。胴まわりが大人二人分の差し渡しほどもある、ゴブゴブの巨樹だ。その幹を見て、戦慄した。ちょうど胸の高さあたりに、オノが何度も打ち込まれたような深い深いくびれがあるのだ。そのくびれは極端で、あと少しで樹幹全体がへし折れ、倒れ落ちそうなところまで深々とえぐられている。その造形のせいで、大木はまるで砂時計のように見える。首の皮一枚を残し、絶妙なバランスを保って、かろうじて立っているのだ。ここいらには、胸の高さにまで斧をぶち込めるような大男でもいるのだろうか?

「なんなんだ、ここは・・・」

 なにもかもが不思議で、まるで夢でも見ているかのようだ。これが現実だとしたら、奇跡的な光景と言っていい。見渡すかぎりの荒れ地帯で、この極めて小さなエリアだけが、濃厚な緑に覆われているのだ。その緑野が、いっせいに呼吸をはじめたようだ。朝日に照らされ、むせ返るほどの甘い気が湧き立ってくるのを肌に感じる。できたての空気を、胸いっぱいに吸い込む。すう、う・・・

「ふむー・・・どうやら夢じゃないな・・・」

 ヌートンの樹の脇を通り抜ける際に、実をいっこ、もいだ。その重みで、これは現実に起きていることだと確信できる。実は、握っているだけでおつゆがしたたりそうなほどの熟しっぷりだ。口をあんぐりと開け、かじりつこうとした、そのときだ。

「・・・半分くれぬか」

 背後から話しかけられたのだ。驚き、跳びのいた。また気配を察することができなかった。オレともあろうものが、こんなことで剣士として大丈夫なのか?

「だ・・・誰だ!?」

「そう問うべきはこちらであろう。貴様、何者だ?」

 そこにいたのは、ひどく小柄な・・・というよりは、小さくしなびたじいさんだった。気配が感じられないはずだ。存在感が、まるで植物だ。それほど無機質な物体なのだ。しかし確かにそれは、薄く呼吸をする人間だ。木製の車輪がついた椅子に座っている。枯れ枝のようなスネを見て、立ち上がることができないのだ、とわかった。

「あ、ああ・・・これは失礼したよ。オレはフラワー。フ・ラ・ワァ、だ。東方の生まれ。あの女の子とドラゴンの知り合・・・」

「半分よこせ」

 耳が遠いのだろうか?その手は、オレがたった今もいだヌートンの実を指差している。

「この実をか?半分ったって・・・じいさん、その歯・・・」

 歯の前部1ダースほどもが、根こそぎ失われている。そのすき間から漏れる声は聞き取りにくいが、その分、はっきりと発音しようと心を配っているらしい。威厳を保ちたいのだろう。

「ほしいのなら、ほら、いっこ食べなよ」

「いや、半分だ」

 奇妙なじいさんだ。まっ白な髪が、側頭部にわずかばかり残っている。肌はまるで樹皮のようで、どうサービスめに見積もっても90過ぎだろう。目を引くのは、からだ中に刻まれた刃キズだ。顔にも何本か、深い縫い跡が走っている。歴戦の勇士というわけか。褪せきった血色を見ると、病を患っていそうだ。そう考えれば、見てくれほどには歳はいっていないのかもしれない。ただ、肉体が荒らされているのだ。この男が、あの大木の幹に斧を打ち込んだのか?できそうには思えないが、無茶をしてやらかしそうでもある。気配を消してはいるが、そんな得体の知れない雰囲気を漂わせている。

「あんた・・・ひょっとして・・・伝説の・・・」

 向こう傷のドラゴンに、男に、一粒種、それに夢のような楽園・・・あり得ない話ではない。いやしかし、この男が仮に90だとすれば、歳を食いすぎている。事件が起きた年代と合わない。英雄の子供が女の子、という話も聞いたことがないし、このふたりを父娘とするには、あまりに年齢差が開いている。そもそも、この男の風貌は、物語が伝える英雄の颯爽とした姿とはかけ離れている。今日のオレは、夢を見すぎているようだ。

「わかったよ、実を半分にすればいいんだな」

 剣を抜こうとした、そのときだ。男の手が走り、手首をつかまれた。まただ!察することができなかった。

「剣を用いることはならぬ」

「?・・・握力で割れってのか?」

「つぶすと味が損なわれる」

「じゃ、おたくの包丁貸してよ」

「女子かっ」

 禅問答だ。

「だったら、どうすりゃいいんだよ!」

「果実を頭にのせよ。それでこと足りる」

「・・・なに言ってんだ?じいさん」

「つべこべ言わず、頭にのせよ」

 気持ち悪いジジイだ。とっとと終わらせよう。実を、散切り髪の頭の上にのせた。

 りゅん・・・りゅん・・・

 そのとき、後方はるかで風を切る音がした。ふと振り向いて目にした光景に、思わず身を固めた。少女が、例の剣を振りまわしているではないか。刀身がまん中から曲がった、異形の「くの字剣」だ。そいつをもてあそぶように、左サイドでくるり、右でもくるり、と刃先で軽やかに空を切っている。

「まさか・・・」

 次の瞬間、剣は生き物のように、少女の手の平から躍り出た。

 ひょうっ・・・

 風を裂いて、剣が飛んでくる。

「やっぱし!」

 あの剣が飛ばして使うものとは想像がついていたし、ハンティングが得意だった前文明の人物が息子の頭上にこの実をのせて射落としたエピソードは、昔話に聞いたことがある。しかし、オレの頭の上の実を狙ってほしくはない。

「じっとしておれ!逃げねば問題ない」

 ジジイ、なにを言ってやがる。宙高くに放たれたくの字剣は、素直にこちらに向かってはこない。ハヤブサのように上昇したかと思うと、ところどころで身をひるがえし、方向を変える。その有機的な運動は、予測不可能だ。朝空で大きく多角形を描いた剣は、やがてすべるように舞い降りてきた。

「くそっ!」

 ピュンッ・・・

 思わずよけていた。紙一重だ。

 ズカッ!

 頭上を疾過したくの字剣が、背後に立つゴブゴブの幹に突き立った。そこはなんと、最もくびれた一点だ。

 メキ・・・メキ、メキメキ・・・・・・

「う・・・わ・・・」

 ずず、う、う、う、ううん・・・

 巨木は、音をたてて崩れ落ちた。細すぎるウエストに断末の一撃を受け、ついにもちこたえられなくなったのだ。なんという手際だろう。オレの頭上の実と同時に、ゴブゴブのくびれをも狙ったというのか?それで理解した。この太い樹幹は、少女の長年の修練によってくびれをうがたれたわけだ。来る日も来る日も、彼女は異形の剣を投げつづけたのだ。剣の刃先をコツコツと打ち込み、打ち込み、打ち込んで、巨樹は少しずつ削られていった。幹が細るにつれ、徐々に精度も上がっていったのだろう。そしてついに今、この瞬間に、積み上げた意思の力が貫通したのだった。

「な・・・なんて子だ・・・」

「ふっ。腰抜けだな、貴様」

 ジジイが、車椅子を押し、押し、今や切り株となったゴブゴブから剣を引き抜いた。そして、遠く60デスタントも離れた少女に投げ返す。剣は正確に、少女の手の平におさまった。

「いーくーじーなーしーっ・・・あははっ・・・」

 少女とドラゴンが腹をかかえている。悔しい。しかし、実際、腰が引けてしまった。みじめだ・・・ヌートンの実を頭にのせたまま、呆然と笑い声を聞く。

 それにしても、仲のよさそうなふたりだ。

「あの気難しいドラゴンが、ずいぶんなついてるもんだな・・・」

「娘が赤子の頃から、ふたりは一緒に過ごしてきたのだ」

 娘・・・やはりこのジジイが父親ということか。それにしても、いったい何歳のときの子なのか?

「ドラゴンは、いったん信用した相手を裏切ることは決してないのだ」

 その通りだ。古く、苦い記憶がよみがえる。

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