第四章

第65話 悪夢

 その日は不思議な夜、そして最悪な夢を見た。


 地平線の彼方まで広がる真っ白な空間。そこに一人佇む少年は周囲を確認するが何もない。──いや、少し離れた場所に不自然に聳え立つ一本の大樹だけがあった。

 それを見た瞬間、少年は歩きだしていた。

 理由はわからない。

 ただ自分があの大樹に誘われているような、そんな気がすると思いながら──。


 一歩、また一歩と踏み出せば波紋が広がっていく地面をゆっくり歩く。次第に大樹との距離が近づき、気がつけば少年は樹下に立っていた。


『─────』


 大樹が何か語りかけようとしている。

 そう感じ取った少年は片手を大樹の幹に合わせた。

 すると真っ白な空間が突如暗転し、次に映った光景に少年は息を呑んだ。


「何、だよ、これは………」


 俯瞰視点で映る光景には赤く染められた空。

 激しく燃え上がる王都ゼムルディア。

 女、子供関係なく一般市民や王都の兵士など無慈悲に殺されている。


 その光景に呆然としているのも束の間、視点はゼムルディア王立学院に移る。

 だがしかし学院は既に半壊しており、生徒や教師は息もせず道端に転がっている。中には逃げ回る生徒もいたが、その生徒は少年の目の前でと数多の魔物に殺された。

 

「──うっ………」


 思わず膝をつき、胃の奥から上がってくる何かを必死に抑えようと口元に手を当てる。

 少年はどうにかを押し戻したが視界に映る生徒は偶然にもこちらを見て助けを求めているようだった。


「はぁ………はぁ……はぁ…」


 乱れる呼吸を少しずつ整えてその生徒に罪悪感を抱きながらも少年は誘われるように先へ進んだ。




 こんな地獄を見て何度歩みを止めようと思っただろう。

 歩いても歩いても残酷な光景に変わらない。

 夢なら今すぐに覚めてくれ。

 そう願うも少年の意思と反して足は勝手に進んでいく。


 そして、歩き続けた先に待っていた終着点。

 訪れた場所には見知った一人の女子生徒が苦痛の表情を浮かべながら黒ローブと剣を交えていた。

 あの黒ローブは以前戦った男でもなく、一時期共に過ごした少女たちではない。  

 だがその黒ローブは出会った三人よりも遥かに強い。 

 彼女も少年と渡り合えるほどの強さを持つが、それでも苦戦を強いられている状況。

 少年は信じた。

 彼女は強い人間だ。そんな彼女があんな黒ローブに負けるはずない。


 だがその願いも儚く散り、女子生徒の胸を敵の剣が穿った。


 この世界では自分が関与出来ないことをここに来るまで何度も体験した。だからこそ彼女の力になれなかった自分に悔しさを覚える。もし自分がいれば彼女の助けになっただろうに。


 引き抜かれた剣から滴る液体。

 鮮血が舞い、くうに紅い華を咲かせる。

 ゆっくりと崩れ落ちる彼女はふと少年の方を見た。

 見えていないはずなのに彼女の瞳はしっかりと少年を見ている。そして彼女は口を開き、か細く言葉を放った。


「すまない……アルク……。これが最期になるとは……な。最期に……もう一度だけお前に会いた……かったよ……」


 その言葉を最後にロザリオ・アルベルトの瞳から光が消えた。

 アルク・オルガンの頬を伝う涙が溢れ落ちた時、最悪な光景は消えて元の真っ白な空間に引き戻された。



 ◆ ◆ ◆



『これは一つの可能性です』


 その声は何処か懐かしく感じる声だった。

 アルクは振り向くとそこにはベールで顔を隠した女性が立っていた。面識はないが少年はこの女性を知っている。


『あなたに見せた光景は明日本当に起こるかもしれない。そうでなくとも明後日、一ヶ月後、一年後、もしくは実際に起こることなく過ぎ去る出来事かもしれません』

「……………」

『──不確定な未来であろうとあの運命を覆したいという強い意志があるのであればの力の一端を使いこなすことに尽力しなさい。それが一番の近道です』

「ま、待てッ! 待ってくれッ!」


 淡々とそう告げ、身を翻してその場から去ろうとする女性をアルクは呼び止めた。

 女性はその言葉に立ち止まり、完全に振り返りはしなかったが少し顔だけアルクへ向ける。

 ベールから微かに覗く瞳を見つめアルクは質問する。


「………聞きたいことがあるんだ。どうして俺なんだ。そもそも何故俺の手にあれが握られていたんだ? あの時俺の周りには【木の枝】なんか一本もなかった。なのに突然現れたように手に握っていた。でもお陰で何度も窮地を乗り越えられた。感謝してもしきれないぐらいだよ」


 アルクは一呼吸挟み、再度質問を投げ掛ける。


「でもそれとこれとは話が別だ。さっき『ワタシの力の一端』って言った時点で君が何者なのかは察しがついてる。でも改めて聞きたい。君は何者なんだ? どうして俺を選んだ? 俺にさっきの光景を見せて何をさせたい?」


 アルクの問いに女性はしばらく沈黙を続け、真っ白な天井を見上げながら答えた。


『ワタシは〝神による天恵〟に従ったまでです。あなたは生まれながら最底辺の武器しか使えない。ですが同時にワタシの力を扱う資格も持っていた。ただ、幼き頃のあなたにはワタシの力はあまりに強大すぎました。故に時が来るまで巡り会うことはなかったのです』


 一度言葉を区切り、女性はアルクの方へ身体を反転させて再度口を開いた。


『先程見せた光景もワタシの力の一端。それを見た上でどうするかはあなた自身が決めなさい』


 そう告げると突然真っ白な空間に亀裂が入り少しずつ崩壊し始めていく。異変に辺りを見回すアルクに対し女性は動揺を見せない。


『………もうこれ以上は繋がりが保てませんね。また今度お会いしましょう、アルク・オルガン』

「ま、まだ俺は君に聞きたいことが───ッ!?」


 目の前から去ろうとする女性に追い付こうと少年は駆け出す。

 しかし足元に木の根のようなものが足に絡みついていた。それは次第にアルクの全身へと伸びていき地面へと引き摺りこまれていく。


 身動きが取れない状態だが、辛うじて動かせる両腕で水を掻き分けるように必死にもがくも無駄な抵抗と言わんばかりに一向に地上へ出ることはできない。

 やがて息が続かなくなり、苦しみが極まったところで現実世界のアルクの意識が覚醒した。


「はぁっ、はぁっ………」


 未だ月明かりが差し込む部屋でアルクは肩で息をしながら右手に視線を移す。

 無意識かそれとも──。

 理由はどうであれ、就寝前にベッド横のサイドテーブルに立て掛けていた【ユグドラシルの枝】がその手に握られていた。


(……寝る前はちゃんと横に置いておいたよな。【ユグドラシルの枝】を持ってたからあの夢を……? ねえ、さっきのあれも君なんだろ?)


《───────》


 返答がない。

 これまで【ユグドラシルの枝】を手にしてからアルクの質問に答えなかったことはなかったのに。


(無視、か……。まあ、気にしても仕方ない──なんて割り切れたらどれだけ楽か。妙にリアルな夢のせいで目が覚めてしまったな)


 時計を確認しても登校までにかなり時間がある。

 二度寝するにも眠気は既に消えてしまった。

 時間を潰すにも【ユグドラシルの枝】からの返答は何度質問してもこない。

 こうなると本当にやることがない。一人ではやることも限られている。


(少し散歩でもするか……)


 アルクは制服へ着替え、ドアノブを捻り部屋の扉を開ける。

 当然ながら誰もいない。月の光だけが光源となって廊下を淡く照らしている。

 そのまま少年は寮の入り口に向かうとそこに一人の女性が立っていた。


「………カナリアさん……」

「やあやあ、アルク君。こんな夜分遅くに外出かい? 登校するにはまだまだ早い時間だよ。ちなみに私は何となく夜の学院を眺めながら散歩してただけさ。で、どうしたんだい。顔色が優れていないようだけど」

「ちょっと変、というか嫌な夢を見まして……。気晴らしに散歩でもしようかなと」

「私も昔そんな経験したなぁ。わかった、特別に外出許可を出してあげよう。好きなだけ夜の学院を堪能してきなさい。あっ、でも女子寮には行っちゃ駄目だよ。アルク君は誠実な子だからそんなことしないと思うけど」


 そう言うとカナリアはスーツのポケットから一枚の紙を取り出し何かを書くとアルクに渡した。

 それには〝外出許可証〟とカナリアとアルクの名前が記入されている。つい最近もこんな許可証を見たような。


「……いつも持ち歩いているんですか?」

「理事長であろうとこれがないと夜間の外出は出来ないのさ。たまたま余分に持ってたからアルク君にあげるよ。というか面倒な規則だよね。いっそのこと私が改定してやろうかな」

「……それだと他の生徒も夜間に外出してしまうのでは?」

「それもそうだ。さすがアルク君!」


 親指を立ててアルクを褒めるカナリアだが、今のアルクはカナリアのテンションについていけない。


「……すみません、それでは失礼します。許可証ありがとうございました」


 アルクは礼を言うと寮から出て目的もなく学院の敷地内を進んでいく。


「うーん、この間の疲れが残ってるのかなぁ。それとも報告にあった黒ローブの少女たちについてか。深く聞こうにもアルク君があんな状態だったから聞けなかったしなぁ。ここは保護者リオンさんに任せるのが一番か」


 そんな少年の後ろ姿をカナリアは心配そうに見つめながら独り言を呟いていた。

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