第57話 冒険者ギルド・ブルムーク支部

 翌朝、俺は再び共用の風呂へと足を運んでいた。

 個人風呂も周囲の目を気にせず落ち着いて入れたから良かったが、広々とした石造りの大きな風呂で解放感を感じつつ朝風呂に入るのも悪くない。

 時間も早かったから貸し切り状態と言っても過言ではない。

 広い空間に俺以外誰一人いないとなると何をしても良いのでは、と不思議な気持ちに駆られてしまう。

 まあそういう気持ちが一瞬芽生えただけで倫理に反するようなことは絶対にしないけど。

 風呂に浸かりながら今日何をするか考える。

 休みも今日を含めてまだ三日ある。まずは昨日断念した観光をすることになるだろう。

 温泉巡りも良いかもな。三日もあればブルムークにある温泉全部を制覇することも可能だろう。

 その後は──


 色々と考えているうちに俺は宿のチェックアウトと朝食を適当に済ませ、気がつけば俺の足はとある場所へとたどり着いていた。

 その看板には大きく『冒険者ギルド・ブルムーク支部』と書かれている。

 何故俺は休みを満喫しようとしていたのにこんなところへ来てしまったのだろうか。

 いや、思い当たる節はあるな。

 風呂に浸かっている時も何かとリオンの朝稽古やらロザリオとの戦闘訓練のことを思い出していた。

 毎日の習慣とは恐ろしいものだな。

 身に染み付いた習慣は例え休みといえど体を存分に動かせる場所を探してしまう。そして今回行き着いた先は冒険者ギルドだったわけだ。

 けどまあ仕方ない。来てしまったのだし、三日間ずっとだらけているわけにもいかないからいくつか依頼を受けて適度に体を動かそう。


 ブルムークの冒険者ギルドは王都の冒険者ギルドよりも狭い。それでもなかなかの広さではあるけど。

 比較対象は何千万の人間が住む大国とせいぜい十数万の人間が住む街なのだから規模を考えれば妥当な大きさだろう。

 言わずもがなブルムークは温泉業に力を入れているみたいだし、利用客は圧倒的に温泉の方が上だから冒険者ギルドは利用客が固定されているだけあってどうしても二の次になってしまうのかな。


 まあとりあえずはギルド内を物色することにした。

 入った瞬間に数名の冒険者が視線をこちらに向けてきたが初めてここへ訪れる俺を観察しているのだろう。

 案の定、鼻で笑われたが理由はいつも通りのことだと思うので気にしない。というかもういい加減面倒なのだ、毎回馬鹿にされてその度に【ユグドラシルの枝】が機嫌を損ねるのは。

 だから無視。無視が争い事を生まない唯一の方法なのだ。

 ただ、これは向こうが来られたら意味を成さない。

 絡まれたら嫌でも対応せざるを得ないのだ。ここでの無視は逆に争い事を生んでしまうからな。

 そこで武力行使に及んでしまったら、その時は【ユグドラシルの枝】の能力を見せつけてやればいい。

 この場を軽く見てみたが、それなりに強い冒険者がいるけど俺が負ける相手はいなかった。

 俺のことを甘く見て勝負してきたのに敵わずあっと驚いている様子が目に浮かぶ。

 初めて王都の冒険者ギルドを訪れた時といい、護衛依頼の時といい、もうこれが一連の流れになりつつあるな。


 さて、鼻で笑われることがあっても絡まれることなく依頼が張り出されている掲示板に到着した。

 依頼は……難易度が高いにはあれど大半は低いものばかりだな。報酬額も難易度が低いものは期待できない。

 もともと難易度の高い依頼はないのか。それとも既に他の冒険者に取られてしまったのか。

 って、なに難易度の高い依頼を受けようとしているんだ。

 今日来たのは適度に体を動かすため。簡単な依頼をいくつか受けるだけでいいのだ。

 危ない危ない。難易度の高い依頼を受けすぎてそれが当たり前のようになってしまっている。気を付けないと知らないうちに難易度の高い依頼を受けているかもしれない。

 間違えないように依頼内容をしっかりと読み、Dランク程度の魔物討伐の依頼を三つやることに決めたので依頼書を持って窓口へ向かう。


「この依頼を受けたいので手続きをお願いします」

「お姉さ~ん! この依頼を受けるから手続きよろしく!」


 タイミング悪く窓口には俺と他の冒険者の依頼書が同時に提出された。

 隣には女の子が二人いた。依頼書を提出した子はかなり元気がある。もう一人の方は対照的に大人しい感じの子だ。

 そういえば、昨日風呂で筋骨隆々の男性から十歳ぐらいの姉妹が冒険者をやっていると聞いたな。

 確か『カーティス姉妹』とか言ってたっけ。

 この街の冒険者では頭一つ抜けてる実力を持つ二人組。実際にこの目で見る限りではそんなに強いとは思えないな。武器も見た感じでは持っていなさそうだし。

 しかし、人を見た目で判断するのは良くないって十分理解している。何故なら相手が俺のことを舐めて襲いかかってきて返り討ちされるのを何度も見ているからだ。

 で、依頼書の提出が被ってしまった件のことだが俺はブルムークの冒険者ギルドでは新参者。他にも空いている窓口はあるのでここは素直先輩に譲ることにしよう。


「急ぎでもないからお先にどうぞ。俺は別の場所で手続きしてもらうからさ」

「ほんと!? 助かるなぁ。お兄さん優しいんだね」

「そんなことないよ」

「そんなことあるある。普通なら私たちみたいな子供に譲ったりしないもん。私たちのこと知らない冒険者は依頼の手続きしてもらってる時に割り込んでくるんだよ。酷い話だよねぇ」


 やれやれと両手を上げて呆れる元気な少女。

 順番は守るべきだが、まあその容姿なら仕方ないとも言えるかもな。第一子供が来るような場所でもない。


「それにね、『子供はママのところに帰りな』とか言うんだよ。これでも私たち結構有名なんだけどね。お兄さん『カーティス姉妹』って知ってる? 私たちがそうなんだけど……ってお兄さんここに来るのは初めてっぽいし知らないよね」

「いや、詳しくは知らないけど少しだけなら昨日話を聞いていてるよ。かなり強いんだってね」

「そう、これでもAランク冒険者だからね。お兄さんもようだし一勝負してみる?」


 ここまで一言も発していないもう一人の子に比べて随分と好戦的だな。

 正直に言うと、出会ったのだからどれだけ強いか試してみたい気持ちもある。

 けど勝負すれば激戦になること間違いなしなので今回は断っておいた。そもそも俺はここに休暇で来ているのだからわざわざ疲れるようなことはしたくない。


「そっかぁ、残念だな。お兄さんがからどれだけ強くなってるのか確認したかったんだけど」


 落胆した姿を見ると申し訳ないと思ってしまう。しかし、俺にも事情があるので許してほしい。

 ところで、先程から気になっていたのだが少女の言葉には少し引っ掛かるところがある。


「えっと、忘れてたら謝るけど、俺君たちと会ったことあるかな? 思い出してみても君たちと会ったことないと思うんだけど……」


 少女が言った『強くなってる』『あの時』というのは何処かで会ったことあるような話し方だ。

 初めて会う人間に今の二つの言葉を使わないだろう。

 強くなってるなんて一度俺の実力を見ているような言い方だし、あの時というのは絶対に何処かで会っているということ。

 いったい何処で……。

 彼女たちのような歳の子と深く関わったことはない。

 それでも思い出せ。俺の直感がそう告げている。

 二人組。姉妹。寡黙な少女と饒舌な少女。


《契約者に報告! 契約者のみを対象に桁違いの殺気が向けられています! ただちにその二人から離れてください!》


 ここまで【ユグドラシルの枝】が焦っているのは初めてだ。

 そして、俺はその忠告を聞く前に二人の少女からかなり距離を取っていた。もう反射といってもいいかもしれない。

 全身を駆け巡る悪寒。せっかく風呂に入ってサッパリしたのに冷や汗も相まって不快感を感じる。それでもあんな殺気を向けられて正気でいられるだけ褒めてほしい。


 よし、一旦落ち着こう。冷静に考えるんだ。

 何故ここに実技演習に現れた黒ローブの二人がいる?

 というか何故今まで気付かずに話していた? 顔は知らなかったけど普通声でわかるだろ。

 いや、今更考えても仕方ない。考えるべきはここをどう乗り切るべきかだ。

 警戒は怠らずによく観察してみる。

 あの二人は大きな爪を基調とした武器を使っていたはず。

 でも今はそれがない。隠すには大きすぎるから別の場所にあるとかか? とりあえずそう考えておくことにしよう。


「おっ? 兄ちゃん、随分とやる気のようだが『カーティス姉妹』に挑むのか?」


 考え事をしている時は話しかけないでほしい。

 やはり彼女たち──『カーティス姉妹』との決闘は冒険者ギルド内でも有名らしくどちらが勝つか賭けまで始まっている。

 ちなみにほとんどの冒険者が『カーティス姉妹』に賭けてる。俺には大穴狙いって感じで悪ふざけに賭けている程度か。

 というか勝手に戦う流れにしないでほしい。

 他の冒険者も当然のことながら彼女たちの強さを知っていると思うが──そうじゃなきゃ彼女たちに賭けない──俺は別の意味で彼女たちの強さを知っている。

 あんなおぞましい殺気を放てる人間を相手にするのは骨が折れるな。

 

「おいおい、怖気付いたからって逃げるなよぉッ!」

「そうだそうだ! 俺は兄ちゃんに賭けたんだから勝ってもらわないと困るんだよ! 可愛い女の子なら喜んで御馳走するが、こんな男共に飯を驕りたくないからな」

「馬鹿だなぁ、『カーティス姉妹』に勝てる人間なんているわけないだろ。今晩はお前の驕りになるな」


 だから勝手に盛り上げるんじゃない。野次馬のせいで退くに退くない状況になってしまっただろ。

 まだ【ユグドラシルの枝】を抜いてないから戦闘の意志はないように見えるよな。

 ここは一先ず穏便に済ませるように説得するべきかと思ったら──


「ちょいちょい。私たちは勝負を挑まれてないんだから決闘は無効だよ。まったく、おじさんたちはすぐそうやって私たちと関係ない人を戦わせようとする。そんなに私たちの戦いを見たいならおじさんたちが掛かってきなよ」

「いや、俺たちはもう負けてるし勝てないのわかってるから無意味な戦いなのがわかりきってるからな……」

「じゃあ相手を煽ったりしない! おじさんたちもこんなところで油売ってないで早く依頼に向かいなよ!」


 そう言われると野次を飛ばしていた冒険者たちは急いで冒険者ギルドを出ていった。

 とりあえず助かったというべきか。

 あのまま戦闘に転じていたら確実に負けてたな。

 まず人数の時点で負けてる。二対一は流石に厳しい。しかもあの黒ローブの二人となると話は更に深刻になる。

 戦闘せずに終わったんだ。事態が悪化しなくて【ユグドラシルの枝】も安心しただろう。


《………いえ、例えあの者たちと戦うことになっても負けることはありません…》


 頼もしいけど強がる必要はない。正直に言って、今の俺たちじゃあの二人に勝てないだろ。


《………はい。勝算も低く、有っても一割程度しかありませんでした。ですが一人ずつであれば勝率は七割程度はあります》


 やっぱり数の差を埋めない限りは勝ち目はないと。逆に言えばそれさえどうにか出来れば勝てる可能性があるとも言える。

 だからと言って、勝負するつもりはないけど。


「いやぁ、ごめんねお兄さん。あのおじさんたちよく私たちと誰かを戦わせようとするんだよ、見世物じゃないのにね。ああ、それとお兄さん武器抜かなくて良かったね。もし抜いてたら決闘の申し出がなくても合図と見なして戦うことになったから。その時は多分一撃でお兄さん戦闘不能にしてた」


 笑顔で恐ろしいことを言う子である。

 しかし、本当に【ユグドラシルの枝】を抜かなくて良かった。あの時のすぐに構えなかった判断は正しかったな。

 さてと、なんとか無事に終わったわけだがこのまま帰してくれるなんてことはなさそうだ。

 俺の目の前に出されたのは一枚の依頼書。それを笑顔で突き出しているのだから大体の意味は察している。


「お兄さんさ、私たちと一緒にこの依頼受けようよ。まあ、お兄さんに拒否権はないけどね。もし拒否権したら……わかってるよね」

「………一応聞いても?」

「う~ん、お兄さんを殺しちゃってもいいけど、一番お兄さんに効くとしたら……そうだ! この街の人間を無差別に一人ずつ殺していく。言っておくけど躊躇はしないよ。私たちこの街は好きだけど、この街の人間は凄くどうでもいいんだよね。だから殺しても悲しいとか思わない」


 おいおい、この子かなりヤバい子だな……。

 それを聞いて断るなんてこと出来るわけないじゃないか。

 この街の人を無差別に殺していくとなると無事に守り切ることはまず不可能。相手は二人。つまり一人助けた間に一人は殺されている。

 完全に詰んでいる。正しく俺に拒否権はない。

 確実に何かに利用されているから気が乗らないけど、考え方によっては彼女たち黒ローブ集団の情報を聞き出せるチャンスでもある。どうせならこのチャンスを最大限生かしてやる。


「わかったよ、その依頼を受けてやる」

「やったぁ、ありがとう! そうだ、まだ名乗ってなかったね。私はウィンディ・カーティス!」

「…………エクレール・カーティス……」

「二人揃って最強カーティス姉妹!! これからしばらくの間よろしくね、お兄さん」


 そして、ここから俺とカーティス姉妹との合同依頼が始まるのだった。

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