第36話 暗闇の戦い
周囲を見渡すも何もない。踏み締めていた大地も鬱蒼とした森も先程まで目を離さず見ていた敵の姿さえ何処にもない。
まるで自分の空間だけが切り取られ別世界に飛ばされたような、そんな感覚がアルクの全身を駆け巡る。
(これはかなり厄介だな。音まで遮断されている)
耳を澄ませば聞こえていたはずなのにそよ風で擦れた樹葉の音すらも聞こえない。であるならば黒ローブが迫ってくる音など聞こえるはずもない。
(視覚、聴覚が機能しなくなったがあの男が言ってたナイフの能力ってやつか。でも五感全てを失われたわけではないな)
利き手に持つ【ユグドラシルの枝】を改めて強く握り、足を肩幅まで開いて地面の感覚を確かめる。右も左も上も下も真っ暗で気が狂いそうになるがここで冷静さを欠いてはいけない。
「──ふぅ」
軽く息を吐き、僅かな動揺を完全に押し殺す。武器の能力であれば武器本体を破壊すれば効果も失われる。それが武器全般に共通する不変の真理。つまり黒ローブのナイフを破壊すればこの状態から解放される。
問題はどうやってナイフを破壊するか。目視できない以上今何処に黒ローブがいるかわからない。しかし、八方塞がりに思えるこの状況に陥ってもアルクは平常心を保っていた。
物事を判断し実行に移すには「視認」「思考」「行動」の一連のプロセスが必要となる。それが今、一番最初且つ最も重要な「視認」が出来ない。動きが見えない相手と戦うのは無謀である。
だがしかし、己の眼で見れないのであれば
いわゆる〝心の眼〟と言えばいいのか。「視認」を「感知」に置き換えて崩れかけたプロセスを修復する。それに少年にはもう一つの眼がある。
(俺もおおよその位置は把握出来てるけど完璧じゃない。【ユグドラシルの枝】はあいつの気配は感じ取れる?)
《可能です。現在は前方十メートル先より接近しています。接触までにかかる時間はおよそ5秒》
脳内に語りかけた声はいつも通り感情が籠っていないものだった。虚無の空間に一人隔離されていることがアルクの心の片隅に不安として残っていた。だが今はその声ですら聞けて嬉しく思う。
張り詰める緊張感。タイミングを見誤ってしまえば自分がこの世に存在しているか否か。いや、存命は十中八九望めないだろう。故に次の一手は絶対に失敗は許されない。
アルクのスキル〝五感強化〟により肌に触れる大気の乱れや敵の圧力を感じ取り、【ユグドラシルの枝】にておおよその居場所を把握する。
そして、少ない情報から居場所を予測し【ユグドラシルの枝】を構え、繰り出された黒ローブの一撃を見事に防いだ。
「なっ──!」
アルクの行動に黒ローブは思わず声を漏らす。余裕を浮かべていた表情も驚愕へと変わった。
「……目も見えないし音も聞こえていないはずだろ? おいおい、まさかこの状況で直感に任せたってわけか?」
「……………」
疑問を投げ掛ける黒ローブだが返事は当然返ってこない。
もしかすると偶然ということもあり得る。そう考えた黒ローブは即座に後ろへ回り込みアルクへと斬り込む。──しかし、男の一撃は一本の枝によって阻まれた。
そのままアルクは男の剣を弾き返し、袈裟斬りからの横薙ぎへと繋いだ。
それらは全て完全に男を捉えているかのような動き。男も一度体勢を立て直そうと退いた。
「なるほど、
黒ローブはアルクのたった四手の動きでそう悟った。
男が使用しているナイフ──名は【強奪剣ゼスティ】と呼ばれ、A級武器に属する。その能力は相手の五感を奪うというものであった。
ただし、発動には相手に直接触れていないといけない条件があり、奪えるのは「視覚」「聴覚」「味覚」「嗅覚」「触覚」の順となる。
実のところ、アルクは黒ローブの変則的な連撃により一度だけ【強奪剣】で肉を軽く斬られていた。そして二撃目は黒ローブから受けた拳。【強奪剣】には握った拳にもその能力は適応される効果があるのだ。
つまり連撃で「視覚」を、殴打で「聴覚」を奪える準備が整っていた。その後能力を発動して相手を一方的に蹂躙する予定だった。
それが五感の一部を一時的に失ったアルクに狂わされた。
日頃からどんな訓練を受けていれば今のような動きができるのか。黒ローブは疑問に思いながらも笑みを浮かべる。
「お前、最高だよ。視覚と聴覚が遮断されても抗い続ける奴は初めて見た。だからこそ、お前をここで殺してしまうのが惜しい」
そう呟きながら再び男はアルクに斬り込む。何とか防ぎきれているが手探りで対応しているアルクには厳しい状況であることに変わりない。
だが、時間が経つにつれアルクは暗闇のなかでも動き回れるコツを掴み始め、動きが洗練されていく。そして一手、また一手と剣を交えていく度に男の次の一手が先読みできるようになってきた。
今となっては通常通りの動きを見せるアルク。視覚と聴覚が遮断されているのに大したものだと黒ローブは称賛の言葉を送った。
次の瞬間、アルクの前に突き出した【ユグドラシルの枝】が【強奪剣】に命中した。
黒ローブの【強奪剣】は激しい連撃の末に酷く消耗していたのだろう、偶然生まれていた小さな亀裂が原因でブレード部分から崩壊していった。
「……よし。視界も聴覚も戻った。これで、そのナイフの効果は消えたみたいだな」
失われた感覚を取り戻したアルクは黒ローブを見据える。
「流石の俺もここまで手こずるとは思わなかった。けどお前が俺に勝てるなんてことは絶対にない。何でかって? それは俺が本気を出していないからだ。確かにお前は強い。だが俺よりは弱い。弱い奴に本気を出すのも大人げないだろ?」
「…………」
「だが今回は特別だ。ここまで頑張ったお前に俺の本気を見せて──」
「ああ、あれだ。〝弱い奴ほどよく吠える〟ってやつだ」
「……………ああ?」
意気揚々と喋り続ける黒ローブだったがアルクの言葉に表情は険しくなり眉をひそめる。
深くフードを被っているせいで黒ローブの表情を読み取れないアルクは声色だけで気に障った事を言ったなと思うが気にせず続ける。
「お前が本気を出していないから俺は生かされている? 残念だけどそれは違う。俺も本気は出していない。いや、どうすれば自分の制限が外れるかわからなかったから出せなかったというのが正しいか」
「……何が言いたいんだ?」
「負けたのは本気を出していなかったからだ、なんて言い訳にしてもダサすぎるぞ」
ここで初めて黒ローブの感情が大きく揺らいだ。冷静に振る舞っているがアルクの言葉に激しい怒りを抱いている。
「お前の言い方だと俺が負けるみたいな感じだな」
「そうだよ。お前は俺に負ける。思い出したんだ、俺の相棒が言った言葉の意味を」
それはアルクと黒ローブでは決定的に異なる大きな差。
アルクは身に染み付くほどそれを知っていて黒ローブは一度もそれを経験したことがない。故にアルクは黒ローブだけには負けないと確信に至ったのだ。
「いくつか教えてあげるよ。俺はまだまだ弱い。けど弱さは悔いるべきものではあるが決して恥じるべきものではない。弱いということはそれだけ伸び代があるということだからだ」
アルクはいつだって弱かった。
オルガン家にいた時は落ちこぼれ。どんなに身体を鍛えても武器の恩恵がある限り強くなることは出来ない。
だがしかし、諦めかけた時もあったがそれでもアルクはここに立っている。
「敗北は勝利よりも得られるものが多い。勝利はただ勝ちという事実だけが残る。しかし敗北は何故負けたのかを考え、反省し、次に生かすことで強くなるための着実な一歩になる」
アルクはいつだって負けてきた。
兄妹にも敵わず、最強と呼べる相棒を手にした今でもリオンに勝つこと出来ない。
だがしかし、アルクはその敗北を糧にして【ユグドラシルの枝】と仲間やリオンと共にここまで強くなった。
「お前は言った。自分は一度も負けたことないと。それは確かに凄いことかもしれない。俺を鍛えてくれる最高の師匠でさえ負けを経験しているって言うんだからな。そんな彼女とは何回も勝負してその度に負けてきた。でもその敗北の積み重ねが今の俺を作っている」
アルクは最も勝てる可能性がある形状に【ユグドラシルの枝】を変化させる。そしてアルクが構えたのは自身の身長と同じぐらいの長さを持つ〝棍〟だった。
「つまり何が言いたいかっていうとだな、敗北からの成長を知らないお前が何千何万と負けてきた俺に勝てると思うなよ」
アルクは黒ローブに棍と形状変化させた【ユグドラシルの枝】を向ける。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます