第28話 セセロンの森

 既に時が正午を回り太陽も西へ傾き始めた頃。木々の隙間から吹く涼しげな風が肌に伝わる。新入生は教員の案内のもと、クラス毎に実技演習のスタート地点に訪れていた。

 予想はしていたが、いざ実物を目にすると圧巻してしまうほどの木々が至るところに聳え立っている。奥を覗こうにも遥か先は光が射し込んでいないのか闇のように暗い。

 移動中もそうだったが、現地に到着すると生徒たちの緊張がいっそう強くなった。緊張が伝染し新たな緊張を生む。

 それに比べて俺たち──いや、ロザリオときたら……。

 緊張している様子はまったく窺えない。エディの方は他の生徒たち同様、緊張しているようだがそれほど酷くはない。適度な緊張感を持ちつつもやる気は十分に満ちている。


「間もなく時間になります」


 懐に忍ばせてあった時計を確認してリオンは生徒たちに告げた。そのまま合間を挟むことなく言葉を続ける。


「実技演習開始前に再度確認です。今回の実技演習の制限時間は七十二時間。これを超えると失格となり減点対象になります。ですが、例年を見てもクリア者は全体の半分以下です」


 息を呑む生徒たち。その様子を一瞥して不安を払拭させるようにリオンは言葉を添えた。

 

「そんなに気負わなくても大丈夫ですよ。確かにクリアすれば相応の評価は与えられますが、結果が全てではありません。そこまでに至る過程も重要なのですから先走らず自分たちのペースで進んでください」


 再度時計を確認。開始時刻となったのか時計をパタンと閉じて一呼吸挟む。


「時間になりました。最後に一つだけ。これから皆さんを襲う恐怖や不安は今まで経験したことがないものでしょう。ただ、その場で立ち止まるほど皆さんは落ちぶれていないと信じています。誇り高いゼムルディア王立学院の生徒であればこれを機に成長しなさい。皆さんの努力は決して裏切りません」


 激励を送ると生徒の瞳はやる気に満ちていた。それを見て周りに気付かれない程度に微笑むリオン。


「それでは実技演習を開始します。皆さん、無理せず自分の出来ることを精一杯行ってクリアを目指してください」


 開始の宣言をすると生徒たちは一斉にセセロンの森へ侵入する。

 これに出遅れたのは俺たちのパーティだけだが、わざと自分たちの出発を遅らせていた。


「随分様になってきてるね。最初はあまり乗り気じゃなかったのに今ではすっかり生徒たちを想う立派な先生になってるじゃん」


 俺は生徒たちを見送るリオンの横に立ち、少し皮肉を混ぜながら言葉にした。それを聞いたリオンも口を開く。


「最近は学院での仕事も悪くないなと思いますよ。生徒たちの成長過程をこの目で見れるのは教育者として喜ばしいことです。それよりもアルク様たちも先を急いだ方が宜しいのでは? 案の定ユリウス君は実技演習に不参加でアルク様のパーティは少ないのですから」


 本来であれば実技演習において特別な事情がない限り四人一組のパーティーが絶対だった。

 俺たちも特別な事情といえばそうなのだがクラスにユリウスが在籍している以上は四人一組のパーティーを作らなければならなかった。

 だから俺たちのパーティーにはユリウスの名前も入っている。これで当日ユリウスが来たらエディは萎縮しロザリオとも戦いが勃発しそうだったから結果的には良かったのだろう。


 あと俺たちが出発を遅らせている件は──


「それもそうなんだけどロザリオがハンデが必要だって聞かなくて。エディはエディで一番を狙ってるみたいけど」

「左様ですか。確かにアルク様からすればこの程度の森では話になりませんね。むしろ躓かれると私が今までアルク様に教えてきたものは何だったのかとショックを受けてしまいます。朝稽古の時間を増やすことを視野に入れなくてはいけません」


 うわぁ、睡眠時間が削れるのだけは勘弁してほしい。

 俺は鬼教官の言葉に苦笑いを見せる。リオンがやると言えば本当にやるのだからこの言葉に嘘ではない。


「ははは、これ以上俺なんかのためにリオンの時間を割かせるわけにはいかないからね。リオンも教育者としてやる気が出てきたところだし他の生徒の教育に専念してもらいたいなぁって。訓練の相手だったらロザリオでも何とかなるからさ」


 感情が籠っていない笑いで遠回しに提案を避けようとするが、リオンは顔色一つ変えず俺に告げた。


「いえ、生徒の教育など二の次。優先すべきはアルク様です。そのためであれば私の時間など全て捧げますよ」


 仮にも教育者なのに…。その立場としてあるまじき発言をさらっと言ってのけるリオン。しかし他人と主人、どちらを選び取るかと問われたら当然な判断でもあるか。


「もうそろそろいい頃合いか。アルク、行くぞ」

「置いてっちゃうよ~」


 視線をセセロンの森入り口に移すとロザリオとエディが手を振りながら待っていた。


「お二人が呼んでますよ。アルク様も早く向かってください」


 リオンは俺の背中を押されてロザリオとエディに駆け寄った。幼い頃から見てきたその横顔は今までで一番楽しそうな顔をしていた。



 ◆ ◆ ◆



 セセロンの森に侵入してすぐにエディが問う。


「アルアルはアルスフィーナ先生と何話してたの?」

「ちょっとした世間話だよ。別に深い意味とかはない」

「ふーん。私はてっきり近道とか教えてもらってるのかと思ってた」


 この森に近道というものは存在しないだろう。強いて言えば一歩ずつ正しい道を進んでいくことだな。


「こういうのはあれだけど身内だし贔屓されてもおかしくないかなって。一部だけど他のみんなも噂してたよ」 

「まあ、姉弟って設定したんだからそう捉えられるのも仕方ないよな」

「ん? 姉弟って設定? どゆこと?」


 あっ、やばっ。

 うっかり口を滑らしてしまった。誤魔化そうとエディから顔を背けるが残念なことに彼女は興味を持ってしまったようで深く追求させた。


「おっとぉ、ここまで言って隠すのは無しだよ、お兄さん。このままだと私、気になって二人に迷惑をかけちゃうかもなぁ~」


 口調が変わっていることは無視するとして、エディの言う通りこのまま秘密にするのも支障を来すかもしれない。そう思ったので俺は自分の本当の名前と過去を包み隠さず話した。

 それを聞いてエディは──


「へぇ~」


 と、空気が抜けたような返事一つだけだった。俺の他に何かないのかと言う表情を見てエディは言葉の補足する。


「まあ、オルガン家は私も知ってるくらい有名だけど、アルアルの両親は最低だって断言できるよ。あっ、アルアルがオルガン家の人間だったらアルアルって呼べないのか」

「いいよ。今まで通りに呼んで」

「オッケー。でもアルアルは凄いよね。両親に縁を切るなんて言われても強く生きてるんだもん。私は無理だね、生きていけないよ」

「俺も最初は死にそうな思いをしたよ。けど色々あって今はこうしてここにいる。ロザリオやエディにも出会えたんだから落ちこぼれの俺を追放した両親には感謝しないとな」


 自虐混じりで言って心配しなくても大丈夫だと笑って返した。

 

「話は終わったか? だったら次はこっちに集中しろ」


 ロザリオの言葉で俺たちは武器に手を取る。

 余裕綽々で話していた俺たちも何者かが視線を送っているのに気付いていた。出方を窺うために隙を見せていたが警戒されているらしい。


 そして、痺れを切らしたのは相手の方だった。


 茂みの奥から草木が揺れる音を上げ近付き、一時の静寂の後に黒い影が俺たちに向かって飛び出した。

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