第6話 上反 宰(じょうたん おさむ)

上反じょうたん おさむは理性的で、そして冷酷だ。

いわく、彼女には罪悪感というものがない。

いわく、彼女には慈悲というものがない。

いわく、彼女には心というものがない。

その性格ゆえに彼女がよく言われる言葉のトップスリーである。

あくまで合理的に、どこまでも論理的に物事を進めようとする彼女は当然のように成績もよく、日々最適に行動するため運動能力も平均より高い。

努力をすることが人として当然であるという価値観ゆえに怠け者を嫌い、自分の要求を満たせないものは躊躇なく切り捨てる。

目の前で知らない人が困っていたとしても無視して通りすぎるのも当然のこと。

グループワークで遊んでいたりふざけていたりする生徒に対して仕事を割り振らずに、最終的に評価をつけることができなくするのは当然のこと。

体育の教師が昔から伝統的に引き継がれてきた準備運動をすると、科学的に根拠がないと指摘し、逆切れした教師がならお前が授業を進めてみろというと本当に授業をしだし、しかもそれが生徒に好評で教師の資質が問われる事態にすることも当然のこと。

どこまでも無駄を嫌い、無意味を嫌い、無能を嫌う彼女は当然ほかの生徒にやさしくすることも仲良くすることもなく、勉強を教えてほしいと言われれば時間の無駄だと断り、カラオケに誘われるとお金の無駄だと断り、食事に誘われると必要性が見いだせないと断った。

そしてそれらのことを理由に、彼女にはロボット説すら出ている。




「というわけで、ロボットみたいな宰さん、今日は何の用かな?」


放課後の公園に、彼女は不定期的に訪れる。彼女一人では解決できない疑問が現れた時の、小さいころからの習性だ。小さいころに自分をいじめてくる年上の少年たちにどうすれば対抗できるようになるかと僕に尋ねた時から変わっていない数少ないことの一つある。あの頃の、自分の名前が男の子みたいだとからかわれたことを嘆く少女の姿は、もうそこにはない。


「なあ健吾、私は昔と比べて確かに変わったが、私にはここにいるのが私だという自覚がある。あのころとの類似点なんてほとんど残っていないのにも関わらずだ。となると私が私であるという根拠、私の根本とでもいうべきであろう物はどれだかわからなくなってしまうわけだが、私はどのようにして私の根本を見つければいいと思う?」


コギト・エルゴ・スム、デカルトの提唱した自我の実在を認識するための思考の後で、自我の絶対性が見いだせなくなった時に生じる疑問だ。哲学的なことなので正解はない。


「僕は的確な答えを教えることはできないけど、普段君がしていることと同じことを試してみたらいいんじゃないかな?なんだっけ?"不要なものは切り捨てる""大事なものをひとつ決めてそこから考える""無理なら答えを見る"だったっけ?」

「その中だと、答えを見ることはまず除外されるな。根本が見当たらないから大事なものも分からない。そうなるといらないものを切り捨てればいいのか。ありがとう健吾、おかげで初心に帰れた」


彼女は一人でぶつぶつ呟いて何やら納得すると、僕にお礼を言って立ち去った。



彼女の奇行が目撃されるようになったのは、その翌日からだった。



朝学校に来ると一人で参考書や本を読んでいた彼女が、突然それをやめた。

お昼になると携行栄養食を食べていた彼女が突然お弁当を作ってくるようになった。

徒歩で通学していた彼女が電車を使うようになった。

一度もおしゃれなんてしたことがなかった彼女がうっすら化粧をするようになった。

先生の手伝いをするようになった。

クラスメイトと話し、勉強を教えるようになった。

変わることのなかった鉄面皮が、ただ表情筋が退化しているだけになった。

髪を切り、染めた。

しゃべり方を変え、人に媚びるようになった。

人が、変わった。



そして彼女は、また公園にやってきた。


「ロボットみたいじゃなくなった宰さん、今日はいったい何の用で来たのかな?」


そこに、かつてこの場所を訪れていた彼女の姿はなかった。


「あのね健吾、あの後さ、健吾も知ってると思うけどわたし頑張って変わったんだよ。自分らしさが何か考えて、自分であるために必要なものを考えて、そうじゃなかったものは変えてみたの。少し変わったかな?って思うものはあったけど、私自身から見てこれだ!って思うようなものはなかった。それで、もうこれ以上変わるものがなくなって、私は何だったんだろうって思って、やっと思い出したの」

「何を思い出したの?」

「わたしがあのころから唯一変えることがなかったことは、困ったときにはあなたに相談するってことだったんだよ。変わっていないことはそれだけだった。最後に残ったのはこれだけだった。だから、わたしがわたしであるための根本は、困った時にはこの場所であなたに相談することなんだよ」


彼女は的はずれな答えを、事実と信じ込んで話す。


「それは違うと思うよ、宰」

「……え?」

「だって、君はいじめられていた頃から君だった。いじめを解決する前も、君だった。君が真実だと思っているそれは、順番に否定して行って最後まで残っただけの偽物だ」


僕は彼女に伝える。彼女が信じた最後のものが、真実ではないと。ただの幻想でしかないと。


「じゃあ……私って、なんだったの……?」



















「君は、ただの幻想からっぼだよ」



















オッサムのカミソリ

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人型思考実験(仮) エテンジオール @jun61500002

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