第4話 䛅吾 泉(こうご いずみ)

䛅吾こうごいずみは俺の幼馴染で、恋人だ。同じクラスで、隣の席。たまに弁当を作ってきてくれたりくれなかったりするくらいには仲が良く、おそらく一般的な高校生カップルとしては珍しいであろう程には気安く話せる。特徴は腰まで届く長さの真っすぐな黒髪と色素の薄い肌。声は低めで、会話の中でたまにのぞかせる嗜虐的な笑みは変な扉を開きそうになるほど美しい。

正直、幼馴染でなければ付き合うことはできなかあったであろう優良物件なので、俺としてはとても満足している。


「お、健司じゃないか。ちょうどいいところにいた。実は先生から雑用を頼まれたんだけど、一人だけで行うには少し手間がかかって困ってたんだ。君さえよければだけど、ちょっとだけてをかしてくれないかな?」

「お?泉か。手伝うことは別にいいけど、いったい何をすればいいんだ?」

「おや?内容を聞く前に請け負うなんて不用心な。これで私が君に死体の遺棄でも頼んだらどうするつもりだったんだい?」


ガラガラと教室の引き戸を開け、待たされていた俺の元にやってきた幼馴染、䛅吾こうごいずみは突然おかしなことをのたまいだす。


「お前が俺の助けを借りてまで遺棄したい死体なら死体遺棄の罪くらいかぶってやろうとは思ってる」

「……そこまで言われてしまうとこちらとしても少し照れるね……まあ安心してくれ、死体を処理したいわけじゃなくて、これを運ぶのを手伝ってほしいだけだ」


そう言いながら彼女が人差し指でとんトントンと小突いて示したものは今日の放課後までが提出期限だった授業の課題だった。


「あいよ。そんじゃあ五分の三くらい持つから適当に分けておいてくれ」

「ああ。悪いね、待たせた上にこんな面倒くさいことまでさせてしまって」

「気にすんなって。どこまで?」

「職員室まで。ここに戻ってくるのも面倒だし、鞄も持っていこう」

「りょーかい」


待っている間に済ませておけばよかったのにすっかり忘れていた帰り支度を手早く済ませ、隣の席にかかっていた支度済の彼女の鞄を持ち、課題の置かれている教卓に向かう。

待っていた彼女に鞄を渡し、代わりにそこそこ重量のある課題の山を受け取って歩き出す。


「そういえば泉、運ぶこと自体に不満はないんだが、なんでお前が頼まれたんだ?うちのクラスの教科雑用って特に不真面目でもないだろ?」


本来、課題の回収やプリントの配布などは各教科に一人ずつ割り振られている教科雑用係の仕事であり、当該生徒が休みでもない限りほかの生徒が行うことではない。


「ああ、それなら簡単なことだ。現社の竹中先生のところに質問しに行ったときに頼まれたんだよ。あの先生は面倒くさがりだからね、なんのついでだかわからないが、ついでにもってくるようにたのまれた」


要はただパシラれただけということだろう。彼女がお礼より先に謝ったことからもそれがわかる。


その後は特に会話をすることもなく、かといって沈黙で気まずくなることもなく課題を届け終え、家の近くまで一緒に帰った。


「あ、そうだ。今週の金曜日、晩御飯を作りに行くっておばさんと話してあるから、なにか食べたいものがあったら教えてくれ」

「そうだな、それじゃあ泉の作ったロールキャベツがたべたいかな」

「ロールキャベツだね、了解。とびっきいおいしくて愛情がたっぷり入ったものを作るから楽しみにしててくれ。あ、楽しみだからってはしゃいで風邪をひいたりしないでくれよ?」


お互いの家への分かれ道になっている小さな交差路の前で、彼女はそういって小さく笑う。


「ひくわけないだろ。子供じゃあるまいし」

「そうならそれはそれでいいよ。それじゃあまた学校で」



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ひいた。そして見事にこじらせてしまった。


「あはは、まだまだ子供だったみたいだね、言わんこっちゃない」

「うるせーな……わざわざからかいに来たならかえれよ……」


熱でぼやける頭で、額に乗せられた濡れタオルの心地いい冷たさを感じながら先日の言葉をほじくり返してからかってくる彼女になんとか言い返す。


「大したことがなさそうならそれでもよかったのかもしれないけど、予想以上に苦しそうな君を前にして何もせず帰るほど冷たい恋人じゃないつもりだよ。君の楽しみにしていたロールキャベツは冷蔵庫に入れて残しておいてもらうからまた今度ご賞味願うとして、今日の君の晩御飯はこの人肌程度に冷ました卵雑炊だ。ほら、あーん」

「……うまい……でも自分で食えるからわざわざこんなことしなくても」

「はい、あーん」


抵抗することは許されず、次々と口の中に運びこまれる卵雑炊をたべる。だしと塩だけでつけられた味は優しく、風邪で弱った胃腸のことをいたわりながらも食欲を誘うものだった。


「ほら、食べ終わったら薬を飲んで今日は早めに寝るんだよ?それじゃあ私はそろそろお暇するから。お大事に、健司」



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彼女が看病してくれたこととの因果関係は定かではないが、翌日の朝目を覚ますと風邪はすっかり治っていた。頭痛も、発熱も、倦怠感もなくなったので、この調子なら月曜日からは学校に通えそうだ。


「健司~!起きてて風邪が治ったなら降りておいで~!」

「はいよ~!」


下の階から母の呼ぶ声が聞こえたので返事をして階段を下りる。


「おはよう。顔を見たところ大丈夫そうに見えるけど具合はどう?」

「おはよ、見てのとおり問題なし」

「そう。なら昨日泉が作ってくれたロールキャベツが冷蔵庫に入ってるから食べちゃいなさい」


母に言われるままにロールキャベツを冷蔵庫から出し、レンジで軽く温める。そうしていると寝間着姿で頭に寝癖が付いたままの兄が二階から降りてきた。


「お?健司朝から泉の作ったロールキャベツとか贅沢だなぁ。俺も昨日の分残しておけばよかったかも」


ある意味いつも通りの我が家の風景だが、なぜか俺はそこに違和感を覚えた。


「……兄貴、今泉先輩って言ったよな?」

「んあ?確かに言ったがと突然どうしたよ」

「いや、泉は俺の同級生だろ?なんで兄貴の先輩になるんだ?」

「そんなのおまえ、学校の先輩だからに決まってんだろ他に俺が先輩って呼ぶ理由なんてあるか?」

「いや、それはおかしいだろ。俺のクラスメイトだぞ?兄貴のがっこうのせんぱいにな学校の先輩になるはずがないじゃないか」


兄は当然俺よりも年上だ。その学校の先輩なら、必然的に俺より年上になるが、クラスメイトである泉はもちろん俺と同い年である。

話がかみ合わない。


「なあ母さん、兄貴がなんかおかしいんだ泉が自分の学校の先輩だとか言い出すんだよ」

「何言ってるの健司、泉はあんたのクラスメイトで、ケンイチの先輩じゃない何も変なことなんて言ってないわよ」

「……は?ってかまて母さん、泉は女子だろ?なんで君付けで呼んでるんだよ」

「ええそうよ。泉君は男の子よ。そんなの当り前じゃない……どうしたの健司、調子が戻ってないならおとなしく寝てたほうがいいわよ?」


困ったように言う母。


「別に俺の先輩がおまえのクラスメイトでもなにもおかしいことなんてないだろ。どうした?ひょっとしてまだ意識がしっかりしてないのか?」


心配そうに俺の顔を覗き込んでくる兄。二人の表情にふざけている様子は一切ない。


「……ごめん、疲れてるみたいだからこれ食ったら部屋で寝てるわ」


二人から変な目で見られながら可能な限り早く食事を済ませ、自分の部屋でベッドに横たわりながら考える。

大前提として、俺が知っている䛅吾こうごいずみは女子で、物心ついたころにはもう知り合いで、小学校以降半分以上同じクラスになっていた腐れ縁でもある恋人だ。断じて男ではないし、もちろん兄の学校の先輩などでもない。それは昔から変わらないことだ。

では母と兄はなぜあんな突拍子もないことを言い出したのか。二人がふざけているという可能性もあるが、話したかんじやこれまでのことを考えるといまいちピンとこない。それよりは本人たちの目にはそう見えているといわれたほうがまだ納得ができる。

とはいえ今日から突然そんな状況になったなんてことは考えにくいだろう。いや、この状況自体がおかしなことだし考えにくいことではあるのだが、それよりは前からこんな感じで、これまで気づいていなかっただけというほうがまだ納得できる。(あるいは、そもそも俺の頭が風邪でやられておかしくなっただけなのかもしれないが自分自身を疑うよりは世界を疑ったほうが精神衛生上いいので考えないようにする)

とはいえまあ、頭がおかしくなったにせよこれまでからおかしかったことにようやく気付いたにせよ、その原因が昨日の発熱にあることは間違いないだろう。

と、意味のない原因究明はおいておくとして、今現状で考えるにはあまりにも思案材料が足りない。





二日経ち、学校が始まる。ここ二日間は家族と顔を合わせるのが少し気まずくて極力部屋に引きこもったまま過ごしたが、学校で彼女とその友人たちが話している内容を聞いて、この間のことが夢だったんじゃないかとどこかで期待していたことは裏切られた。


「おはよう䛅吾。そういえばこの前話してた髪染めなんだけどさ、どうしてもお前みたいなきれいなにならないんだよ」

「え、なになに䛅吾さん、ヘアカラーの話してるの?俺も䛅吾さんみたいなにしようと思うんだけどさ」

「䛅吾!教科書のここがどうしてもわからないんだけど……」

「あっ!泉!今日もイケメンだねえ!」

「泉、この黒曜石見てくださいよ!先輩の目の色とそっくりじゃないですか!?」


次々に彼女にかけられていく声。それぞれ全く別の特徴を話題に挙げているにも関わらず、不思議と誰も違和感を覚えることがないようで、成り立つはずのない話題が成り立ってしまっている。

性別も容姿も年齢も、何もかもが違う特徴が、䛅吾こうごいずみという一人の人間に対してのみ同じものとして扱われている。


「やあ健司、ひどいじゃないか、私があんなにメッセージを送ってあげたのにまるっきり無視するなんて。体調は治ったけど何か様子がおかしいとおばさんに教えてもらった時には心配のあまり家を飛び出しそうになったんだよ?」

「あぁ、泉か。おはよう……」

「……どうやら本当に様子がおかしいみたいだねぇ……しょうがない、不肖、この私が君の彼女として相談に乗ってあげようじゃないか」

「そうか……じゃあ聞きたいことがあるからちょっと校舎裏まで付き合ってくれ」


そう言って席を立ったまま一言も話さず歩き続ける俺に対して少し困惑した様子で彼女はついてくる。


「それで、君の言う通り校舎裏まで来たわけだけど、いったいなんの話だい?まさかいまさらになって愛を叫びたくなったなんて理由で呼び出したわけじゃないだろう?」

「あのさ、たぶん俺は今からすごく変なことを言うと思う。途中でついていけなくなったら切り上げていなくなってもいいし、俺の頭がおかしくなっていると思ったら救急車を呼んでも別れを切り出してくれてもかまわない」


彼女の場を和ませようとする軽口にかまっているほどの余裕など、今の俺にはない。それが通じたようで、彼女の表情は先ほどまでと比べて真面目なものになっていた。


「一昨日の朝からなんだけどさ、なんか変なんだよ」

「兄貴はお前のことを自分の学校の先輩だとか言い出すしさ、かあさんもお前のことを男だって言い出すんだ」

「俺の知ってる䛅吾こうごいずみと違うんだよ。最初は俺の頭がおかしくなったんじゃないかとも思ったんだよ。俺の記憶がおかしくなっただけで、本当は最初から兄貴や母さんが言うような泉だったんじゃないかって」

「でも、さっきの光景を見て違うってわかった。あんな風にみんながみんな違うことを話しているのに、誰も疑問に思わずに話が成り立っているなんておかしい」

「なあ泉、お前がもしわかるなら説明してくれ。これはどういうことなんだ?」


俺の言葉を最後まで黙って聞いていた彼女はその問いかけを聞き、困惑しているような表情を消し口角を三日月のようにあげて笑う。


「ねえ健司、一つ聞きたいんだけど、君の言っていることが本当だったとして、それってそんなに気にしなくちゃいけないことかな?」

「……は?」

「いやね、確かに君の言っていることは正しい。私は見る人によって全く違う人間に見えている。けどさ、全部‟私”を指していることに変わりはないわけだ。会話が客観的に見て成り立っていないのは確かだが、個々人の間で見れば成り立っている。君から見た私がこれまでと別人になったわけでもない。だったらこれまで通りに過ごしていてもよさそうじゃないか。なのに君の話を聞く限り、どうにもこの状態を変えようとする意志みたいなものを感じるんだ」


……これは本当に俺の知っている彼女なのだろうか?


「何も変える必要なんてないだろう?それとも君には、私がこれまでの私と違って見えているのかい?」

「……違って見える」

「そうか。なにがちがうのかな?私は私だよ。君の幼馴染で、彼女だ。それさえ確かならいいじゃないか。たとえ君の兄の先輩で、君のクラスメイトで、隣のクラスの副担任だったとしても。そんなの所詮、君以外の誰かから見た私の姿で、君にはなんの影響もないじゃないか。ほかの人からみて私が何者であろうと、君にとっての私は幼馴染で最愛の彼女であることに何の変化もないんだよ」


彼女は言う。顔の下に三日月を張り付けたまま。


「ちがう。俺の知っている泉は、そんな笑い方はしない」

「笑い方?前からこうだったとも。それと、違うというのなら今の君にとっての私は、いったい何なのかな?」


彼女は笑みを浮かべたまま、尋ねる。


「かわいいかわいい最愛の彼女じゃなくて、小さいころから仲の良かった幼馴染でもなくて、共に学ぶクラスメイトでもないっていうんなら、私が䛅吾こうごいずみじゃないっていうんなら、今の君にとっての"私"はいったい何なのかな?」


そう言いながら彼女の笑みは崩れていく。姿も崩れ、そこに残ったのは黒くてどろどろとした靄のような何かだった。それは言葉を発しながら迫ってくる。


「今のお前は、俺にとってはただの化け物にしか見えないよ。黒い靄みたいな化け物だ」


黒い靄は一瞬動きを止める。


「そっかそっか。君には私が化け物に見えるのか」

「そうか……化け物か……ははっ」


それは自らをあざけるように笑いながらにじり寄り、ポコポコと音を立てながら膨らんでいく。そのまま際限なく大きくなっていき、気が付いたころには太陽が隠れていた。周囲が一気に暗くなる。


「そうか……」

「そうか……」

「そうか……」

「そうか……」

「そうか……」


四方八方のすべてから聞こえる声。光が完全に遮ら荒れ、何にも見ることができなくなった目。

完全な暗闇と、時間がたつにつれて量が増えていく声の中で自分の体の感覚さえもいつしかわからなくなり、そこに至ってようやく俺の意識はなくなった。














私的言語論 カブトムシ

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