第2話 歩郷 弘美(ほきょう ひろみ)
僕の幼なじみ、
いや、正確には、僕の幼なじみの佐藤花子
腰の辺りまで伸ばされた軽くウェーブのかかった明るい金髪に、赤い屋根の上に二、三センチ積もった雪のように白い肌、桜色の唇に、左右で色が異なる虹彩。
それらがバランスよく配置された顔は当然のように整っており、西洋人形を見ているような錯覚に陥る。
「サヤちゃんサヤちゃん、そのネイル可愛いね」
「でしょでしょ!でもさぁ〜、つけてから気づいたんだけどあたしが持ってる服とあんま合わないんだよね……」
「あ〜、確かに……じゃあさ、私のと交換しない?」
「するする〜!」
話を終えた彼女、弘美は無造作に自分の爪を剥がし始める。ベリッ、ベリッ、と嫌な音を立てながら1枚ずつ剥がしていき、自分の右手が終わったら今度はお友達のサヤちゃんの右手の爪を剥がし、自分の爪があったところに押し当てる。
最後に自分の爪をサヤちゃんの指に押し当て、左手でも同じことをした。
「おぉ〜、いい感じ!ありがとね!また明日!」
「はいはーい、またね〜♪バイト頑張って〜」
数分後、サヤちゃんの爪はすっかり弘美に馴染んでいた。まるで最初から本人の爪であったかのような自然な様子でそこにある。
「みてみて昭君、サキちゃんと交換したんだけど、このネイルすっごくかわいくない?」
そう言いながら、以前までのパステルカラーでキラキラしていたものと違い、落ち着いた色合いのネイルを見せてくる。
「ああ、うん、似合ってるんじゃないかな?」
「え~、なんかちょっと適当じゃない?」
何がおかしいのか、けらけらと笑う彼女。
「まあいいや。それよりさぁ、なんか気づくことない?」
「また目の色が変わったこと?今度はいったい何と交換してきたの?」
「前回蛇と交換したら視力一気に落ちてやばかったって話したじゃん?今回はちゃんと人間の目に戻したんだけどさ、蛇の目ってさすがにみんな嫌みたいで、片方だけならって人を二人探したんだけど色が違うからオッドアイになっちゃった」
しかも片っぽはアルビノだか何だかでほとんど見えないままなんだよねぇ~、と笑う彼女。
彼女は、
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事の始まりは、数年前。僕の幼さゆえの羞恥心、あるいは天邪鬼のようにひねくれた心からきた言葉だった。
まだ僕たちが小学生の頃のこと。当時佐藤花子だった彼女は今とは違って地味で内気で気弱で若干メンヘラ気質な少女だった。
内気さから周囲との間に無意識のうちに壁を作り、それを嫌だと思ってようやく作った友達は彼女のことを当然のように下にあつかい、いじめのようないじりを受ける日々。周囲がそれを楽しみ、周りからも嫌がっていないと思われていた中で気弱な彼女が嫌と言えるはずもなく、毎日自室のベッドの中で泣いていた。
それはある夏の日に、エアコンが壊れたことを理由に僕が部屋の窓を全開にして隣の家から聞こえてくる泣き声に気が付くまで続いた。
窓越しに声をかけ、しばらくかけて泣き止ませる。話を聞いて、自分なりに思い付いた解決策を伝える。当時の僕がしたことはそれだけだったが、どうにもそのアドバイスがうまくいったようで、彼女はそれ以降やたらと僕について回るようになった。
「あ、あのねっ!わたし、あきくんのことがすきですっ!!」
「……ごめん、花ちゃんのことは嫌いじゃないし、むしろ友達としては好きだけど恋人にするのはちょっと違うかな」
今となってみればかわいらしい限りだが、当時の僕は周囲からからかわれたことや、全面的に慕ってくる彼女を困らせてやりたい悪戯心、やたらと行動を把握、制限したがる言動に対する腹いせ、それと今の関係を変えたくないという気持ちがほんの少し生じてしまい、ついついこんなことを言ってしまった。
「ちがう……ですか……?」
「うん」
「好みじゃないとかじゃなくて……?」
「うん。むしろ花ちゃんが花ちゃんじゃなかったらオッケーだった」
「そういう目で見れないとかでもなくて……?」
「うん。見ようと思えば見れると思う。でもやっぱり違うんだよね」
「そう……ですか……。ごめんなさいっ!突然変なこと言いだして!」
そういって彼女は走り去っていく。
その後数日間行方不明になり、見つかったころには彼女はもう彼女ではなく
「あきくん、わたしじゃだめって、わたしだからダメっていいったよね……?」
「すっごく悲しくて、すっごく辛かったの。気がついたら神社にいてね、神様にお願いしたの。わたしじゃない誰かに変われますようにって」
「そしたらね、神様叶えてくれたの。わたしと他の人を交換できるようにしてくれたの」
「だからね、わたし変わるから。わたしが変わって、あきくんがわたしでもいいって思ってくれるようになるまで、頑張って変わり続けるから……」
そう語る彼女の瞳の奥には暗い何かが広がっていた。
枯れた井戸を覗くような、冷たく吸い込まれるような恐ろしさ。僕の知っていた彼女には存在しなかった闇。
それを見たとき、僕は察してしまった。彼女は、僕が好きだった、困った表情を見たかった佐藤 花子はもうどこにもいないのだと。自分の子供っぽい衝動が、彼女を殺してしまったのだと。
だからこれは罰で、罪滅ぼしだ。彼女を殺した僕が、彼女ではなくなった化け物と結ばれることは許してはいけない。そんなことをしてしまったら、彼女が報われない。
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「そんでさ、そのときにびちょびちょになった教科書なんだけどさ、冷凍庫で凍らせてから重石のっけて乾燥させたら綺麗になったの!やばくない!?」
「そんなになおるものなんだね……」
「…………あのさ昭君」
「……なに?」
「あたしさ、結構頑張ったと思わない?」
「そう……かもね」
彼女は色の違う二つの瞳で僕のほうを伺いみる。その瞳の奥にはあの時から変わらない暗闇が広がっていた。
「がんばったんだよ。どこまで変えたら私のことを見てくれるようになるのかもわからないから、片っ端から変えていったの。名前も、家族も、家も、髪の色も、髪質も、声も、目の形も、目の色も、歯並びも、食べ物の好みも、物事の考え方も、思いつくものは全部変えた。もう変えてないものなんて、昭君に対する気持ちくらいだよ。ねえ、これ以上何を変えれば昭君はあたしを見てくれるようになるの?」
「ねえ、どうして?どうしたらいいの?」
暗闇が広がっていく。
「あたしじゃなかったらいけるって言ったのはうそだったの?」
毛先から少しずつ黒くなる。
「……嘘だったんだ。ごめん」
「……え?」
「だから、全部嘘だったんだ。花ちゃんを恋人にしたくないって言ったことも、花ちゃんじゃなかったら恋人にできるって言ったことも、そういう目で見れないって言ったことも」
「ねえ、ちょっと、何を言ってるの?」
「僕はさ、花ちゃんのことが好きだったんだ。あの時はただ、困った表情を見たかっただけだったんだ」
「ねえ、まってよ!それじゃあなに?あたしの努力は全部無駄だったってわけ!?」
白目が、爪が黒に染まっていく。
「ああ。無駄だった。君は僕が好きだった花ちゃんじゃない。ただの化け物だ」
彼女の顔から表情が抜け落ちる。
「そっかぁ……」
「化け物……、かぁ……」
上向きの三日月が顔に浮かぶ。
「あたしはわたしのまま、あきくんのために変わってるつもりだったのに、昭君の中ではあたしはずっと前からわたしじゃなくなってたんだね……」
「なら、もういいや。もういらないや」
彼女は唐突に僕の頭を抱え込む。真っ黒で空洞のようにも見えるその目にのぞき込まれ、僕は吸い込まれるような感覚に陥った。
「昭君が見てくれない、認めてくれないあたしなんてもういらない。こんなもの、もういらない。昭君を振り向かせるのももうあきらめる。だからさ、代わりにあなたをちょうだい?」
テセウスの船
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