人型思考実験(仮)

エテンジオール

第1話 九忘 咲良(くぼう さくら)

初めて彼女の微笑みを見たとき、いつまでも見ていていと思った。僕以外の人、彼女の友人に向けられたそれであったが、それは僕の心に大きな衝撃を与えた。

とても魅力的な表情だった。はにかんだような、笑っているような表情。一目惚れだった。


我を失った僕は、半ば無意識のうちに彼女のところへ行き、突然交際を申し込んだ。

彼女は困ったような表情を見せ、断った。



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そんな初めまして数ヶ月が経ち、ついに僕、徳村忠とくむらただしは彼女、九忘くぼう咲良さくらと付き合うことになった。

毎週金曜日に欠かさず告白し、毎日欠かさず挨拶しにいき、空き時間を見つけては彼女との話に困らないように話題作りに励む。友人と距離ができ、クラスメイトたちがドン引きするレベルにはストーカーチックな日々であったが、彼女からの“日に日に君の存在が大きくなって言ってる気がする”“なんか付き合うのも悪くないんじゃないかって思えてきた”などの言葉を心の支えに続けてきたかいはあった。紛うことなき勝利だ。たとえ毎週繰り返される公開告白にうんざりとしたクラスメイトたちが“早く付き合えよ”と彼女に若干の圧力をかけることを狙ったわけではない。結果的にはそうなってしまったし、そうなればいいなとは思っていたものの、狙っていたわけではないのだ。

困った表情でOKを出す彼女と狂喜乱舞する僕の姿に、クラスメイトたちはみんなドン引きしていた。


それが昨日の話。金曜日の日課の翌日で、今日は土曜日だ。公開告白の直後に取り付けたデートの日である。駅前で待ち続けること一時間、待ち合わせ時間の10分前に彼女はやってきた。


「待たせてごめんね!ひょっとしてずっと待ってた……?」

「いや、さっき来たところだよ。それにまだ待ち合わせ時間前だし」


少しヒールが高くなったサンダルをパタパタと鳴らしながらやってきた彼女と憧れのやり取りをする。これがしたくて炎天下の下の広場で待ち合わせをしたようなものだ。


「……嘘だよね?すっごい汗かいてるし、顔も赤い。ずっと待っててくれたんでしょ?ほら、そこに自販機あるんだから水飲も?」


フラフラする頭のままで彼女に手を引かれて、自販機まで歩き、水を飲む。体全体に水が染み渡り、生き返るような心地だった。


「ありがとう。ところで九忘さん、今日は飛びっきりかわいいね」

「あはは……ありがとう?」


いつもの制服もかわいいが、今日の彼女は白のワンピースに麦わら帽子、サンダルに桃色のバッグと、童貞の夢を詰め込んだような格好をしているのだ。暑さのせいかうっすら紅潮した頬と、褒めたことによって浮かべられた、僕を一目惚れさせた笑顔。


「……っと、とりあえず移動しよっか」

「そうだね」


危なく理性を失いそうになりながら、何とか持ち直して彼女をカラオケ店までエスコートする。高校生はワンドリンクで3時間無料かつ持ち込み自由で有名なカラオケチェーン店だ。


「徳村くんは飲み物なににする?オレンジジュース?コーラ?」

「ウーロン茶にしようかな九忘さんは?」

「私もウーロン茶にしようかな」

「OK、じゃあ注文しちゃうね」


彼女がウーロン茶を好きなことは前もって知っていたので、同じものを頼む。


「徳村くん先に歌う?」

「いや、後でいいよ」


彼女が最初に入れた曲はそこそこ有名なボカロ曲だった。アップテンポな出だしから、耳さわりのいい、けれども音程がガバガバな歌が始まる。


「九忘さんって、ひょっとしてカラオケとか苦手?」

「……カラオケは好きなんだけど誰かの前で歌うのは苦手……でもどうしても徳村くんとカラオケ行ってみたくって……嫌だった?」

「九忘さんの歌声好きだから嫌じゃないよ」

「そっか。よかったぁ……」


その後交互に歌を歌っていると3時間が過ぎた。九忘さんが採点で平均点を超えることは1度もなく、飲み物を間違えるなどの事故も起こらなかった。





「そろそろお昼だけど徳村くんは何か食べたいものとかある?」


カラオケが終わって、時刻は一時半すぎ。お昼ご飯を食べるにはちょっと遅いかな?という時間帯だ。


「実は……とか言って高級レストランの予約を取ってたりしてればがかっこよかったんだけど、残念ながら学生には難しかったよ……無難にハンバーガーかうどんかイタリアン風ファミレスかな」

「私の手持ちで考えてもそれくらいがいいな。高級レストランなんて行ったら緊張で味がわかんなくなっちゃいそうだし」


そう言って彼女はクスリと柔らかく笑う。


「それじゃあイタリアン風ファミレスにしてもいいかな?」

「もちろん」


彼女の了承を得て、すぐ近くにある目的地に入る。店員に人数を伝え、案内された席に着きメニューを開く。


「僕は生ハムのピザとドリアにしようかな。九忘さん、ドリンクバーはいる?」

「さっきカラオケでいっぱいジュースを飲んだので、今は水だけでいいです。そうですね、私はアーリオオーリオにします」


メニューが決まったので注文し、料理が届くまで話して、食べる。会計時に一悶着あったものの、無事に食事は終わった。


「それじゃあ徳村くん、今日はここまでで」

「無理に前日に誘ったのに来てくれてありがとうね。たのしかったよ」

「私も楽しかったです。……また誘ってくれますか?」

「もちろん。九忘さんさえよければ」

「それじゃあまた誘ってください。ではまた月曜日に学校で」

「うん。名残惜しいけど、またね」


彼女はコロコロと笑い、小さく手を振りながら去っていく。

僕の初デートは、楽しさと緊張と少しの寂しさの中で終わった。



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ただしくん、今日ちょっとこれから友達に勉強教えることになってるから待っててもらっていいかな?」


ある日の放課後、彼女は僕に、はにかむように笑いながらそう言った。それに対して了解の旨を伝え、スマホに目をやると今度は横から周りから聞こえないように小声で話しかけられる。


「そういえば忠、そろそろお前が九忘くぼうさんと付き合い始めて一年じゃないか?」


話しかけてきたのは僕の一番の友人、僕の半ストーカー行為に引きながらも友達でいてくれたタケシだった。


「そうだね。来週だよ」

「そっか。なんかプレゼントとかサプライズとか考えてるのか?なんかやれそうなことがあれば手伝うが」

「うーん……どうしようかな……」

「悩むなんて珍しいな。九忘さんのことならなんでもすぐに決めて取り掛かるのがいつもの事なのに。なにかあったのか?」

「うん。……実は、九忘さんと別れるかもしれない」

「はぁっ!?」


突然大声を出して立ち上がったタケシに、教室に残っていた全員の視線が集まる。たけしはそれに気づき、全体に謝りながら座った。


「……どういうことだよ!ちょっと前まであんなにイチャイチャしてたくせに!」


小声で注目を集めずに怒鳴る、という器用なことをタケシがする。


「九忘さんが何考えてるのかがわからなくなったんだ」

「喧嘩したとかじゃなくてか?」

「うん。たとえば、タケシは僕が今突然九忘さんに向かって先に帰るって言ったらどうなると思う?」

「理由を聞くか、寂しそうに了承するかのどっちかじゃないか?今となっちゃ九忘さんの方もお前にぞっこんだし」

「どっちもハズレ。正解はね、笑うんだよ。何も聞かずに当然のように笑顔で見送る」

「いやいやそれはさすがに変だろ」


タケシは訝しげに僕の方を見る。論より証拠なので、僕は直接彼女に話しかけに行った。


「……つまり、63⊕3=5になるのこんな感じの説明でわかるかな?」

「ごめん九忘さん、悪いけど今日はもう帰るね」

「忠くん。わかった、またあしたね」


はにかむような笑顔で、彼女はそう返事をする。僕は彼女の元から離れ、タケシのところに戻った。


「見ての通りだよ」

「……確かにおかしくはあるが、別れるまでのことか?」

「そう思うかもしれないね。でも、今の笑顔も、誕生日プレゼントをあげた時の笑顔も、借りたノートにコーヒーをこぼした時の笑顔も、デートの約束を破って2時間待たせていた間浮かべ続けていた笑顔も、全部同じなんだ。この一年、彼女のことを誰よりも見続けた僕が、些細な違いすら見つけられないくらい、同一なんだ」


僕がそう言うと、タケシはおかしなものを見るような目で彼女の方を見て、怯えたようにこちらに視線を戻した。


「最初のきっかけこそ、九忘さんの笑顔に対する一目惚れだったけどさ、少しずつ知っていくにつれて内面の方 が好きになっていったんだ。それがおかしくなったから、僕はもう無理かもしれない。とりあえずもう一回話し合ってから決めるつもりだよ」


僕はそう説明してタケシの前から立ち去る。

教室から出るまでの間、彼女はずっと、はにかむような笑顔で僕を見続けていた。





のんびりと腰を落ち着けて話すために、彼女を僕の部屋に呼んだ。急の呼び出しにもかかわらず、彼女ははにかむような笑顔で受け入れた。


「それで忠くん、話って何かな?」

「単刀直入に言おう。君のことがわからなくなったから別れて欲しい」

「え、やだよ?」


はにかむように笑う。


「だって、忠くんは私のことが大好きだし、私も忠くんと一緒にいられるだけで幸せだもん。別れる理由がないもの」


はにかむように笑う。


「何をしても同じ反応なのが嫌なんだ。怒ってる時は怒って欲しいし、喜んでいる時は喜んで欲しいんだ」

「……?私にだって喜怒哀楽はあるよ?今だって変なことを言う忠くんにちょっと困りながら怒ってるし、この前先に帰られた時は悲しかってもん」


はにかむように笑う。


「じゃあどうして笑うの?」

「そんなの幸せだからに決まっているじゃない」


はにかむように笑う。


「何をしても幸せなの?」

「そうだよ。とっても幸せ」


はにかむように笑う。


「僕が君のことを嫌いになっても?」

「それはとっても悲しいな。でもすごく幸せ」


はにかむように笑う。


「殴られても?」

「痛いだろうね。とっても幸せ」


はにかむように笑う。


「どうしたら他の表情を見せてくれるの?」

「むりだよ。だって幸せなんだから」


はにかむように笑う。


「あなたといるだけで幸せ」


はにかむように笑う。


「あなたを見ているだけで幸せ」


はにかむように笑う。


「あなたを感じられるだけで幸せ」


はにかむように笑う。


「あなたに与えられる全てが幸せ」


少しずつ近付いてくる。

はにかむように笑う。


「幸せなの」


僕が気圧され、後ろに下がっていく一方で距離を詰めに来る。

はにかむように笑う。


「あなたがくれれば」


彼女の手が僕の方を押し、僕は驚くほど容易く床に倒れた。彼女が馬乗りになる。

はにかむように笑う。


「愛情も、喜びも、楽しさも、苦しみも、痛みも、悲しみも、憎しみも、性欲も、お話するのも、見てるのも、見られるのも、デートで待たされるのも、一緒に歩くのも、呼吸するのも、隣で料理を作るのも、料理を作ってあげるのも、どうしても食べれないものを作っちゃって吐かれるのも、一緒に泣くのも、一緒に笑うのも、優しくされるのも、乱暴にされるのも、冷たくされるのも、全部幸せなの」


はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。はにかむように笑う。


「ひぃっ……ぁあああああぁぁぁ━━━━っ!!」


僕の顔を覗き込むように笑い続けるそれを、勢いをつけて床に押付け馬乗りになる。


「積極的な忠くんも幸せ」


はにかむように笑う。


「……っ!!」


咄嗟に手が動いた。気がついたら、全力で首を絞めていた。目の前にいるそれを、野放しにしていてはいけないと思った。首を絞められながら、抵抗するでもなくぼくを抱き寄せようとするそれの存在を許したくなかった。


「……ごめん…………ひぃっ!」


血が回らなくなって紫色になった顔で、呼吸ができず話せない口で、彼女は確かに“しあわせ”と言ってはにかむように笑った。

その手からは力が抜けていき…………………………………………























クワス算

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