第6話


 11


 四歳の頃、私は天王寺公園にやって来て父親とキャッチボールをしていた。母親は麦わら帽子を被って公園のベンチに腰掛けていた。父親は私が投げたカラーボールを地面から拾ってこう言った。


「母ちゃん、今の見たか? ケンジもしかしたらめっちゃ才能あるかもしらん」

「ほんまやな。父ちゃんの才能引き継いでるんとちゃう」


 次に父親が下投げしたボールが、私のビニール製の黒いグローブを通り過ぎて顔面に直撃した。私はアホみたいに泣いた。


「ケンジ大丈夫や。カラーボールやしあれくらい痛ないやろ。母ちゃんちょっと来てえ」


 12


 正月の時のこと。

 私と両親は、兵庫県の神戸市にある、父親側のおじいちゃんとおばあちゃんが住む家に集まっていた。決して大きな一軒家ではなかったが、和風な民家のようで私は結構気に入っていた。


 父親には妹が二人おり、その二人の家族も集まってきて大変賑やかな集まりだった。子供はぜんぶで六人ほどいたが、私が一番年長者であり、他はまばらにちびだった。

 おじいちゃんは耳が悪く、常に補聴器をつけていて、おまけに頑固だったが、孫たちには優しかった。昔からよく仕事をやめて家族を路頭に迷わせていたらしい。


 野球と将棋が好きで孫たちにはよく、将来プロ野球選手かプロ棋士になって欲しいと言うのがおじいちゃんの口癖だった。だが最後には必ず巨人にだけは絶対に入るなといつも付け足していた。


 私はおばあちゃんにとても気に入られていた。私はおばあちゃんの膝の上でよく頭を撫でられながら母親に「ケンジはほんまおばあちゃんに目元がそっくりやな」と「おばあちゃんに似て優しいマイペースな子や」とよく言われていた。


私もおばあちゃんのことが好きだったが、何故かおばあちゃんに似ていると言われるのだけは酷く嫌悪感を覚えていた。


「くっさ。誰や屁こいたん」


 父親がそう言って、おばあちゃんをニヤニヤと見た。以前からの習慣のようにそれに倣って妹たちもおばあちゃんを見た。


「くっ」


 私もあまりの臭さに鼻を抑えた。そしてその臭いの元が自分の股間辺りから漂ってきて、強烈な個性ある臭いを醸し出している。

 私はおばあちゃんの膝の上から離れて、すぐにおばあちゃんを見た。


「なあに」


 おばあちゃんは聖母マリアのように澄ました顔をしていた。


「お母さん、またやったな」


 妹の一人が鼻をつまみながら言った。


「ほんまお母さんは昔から……」


 呆れたようにもう一人の妹が言った。


「ケンジ気ぃつけや。おばあちゃんは昔から無音の屁こきが得意中の得意なんや。おい、誰か窓開けてえ」


 皆がおばあちゃんを見て笑っていた。お婆ちゃんは何も言わずただ、ニコニコしていた。本当は、私が屁をこいたのに。


 13


(緑地公園にて。おばあちゃんと私と犬のサクラが散歩をしている)


 サクラ・わんっ! わんわんっ!


 おばあちゃん・おだまり。


 サクラ・うぅぅ。


 おばあちゃん・ケンちゃん。そんな後ろばっかり歩いてないでこっちおいで。


 サクラ・わんっ!


 おばあちゃん・おだまりサクラ!


 サクラ・わっ……う、うぅぅ。


 私・噛まへん?


 おばあちゃん・大丈夫。


 私・ほんま?


 サクラ・わんっ! わんっ!


 おばあちゃん・サクラっ! 大丈夫。怖くないよ。


 私・うん。


 おばあちゃん・ケンちゃん。


 私・なに。


 おばあちゃん・あめちゃんあげる。


 私・ありがとう。


 おばあちゃん・美味しい?


 サクラ・わんっ! わんっ!


 おばあちゃん・おだまり! 


 私・う、うん……。


 おばあちゃん・ケンちゃん。


 私・なに。


 おばあちゃん・あれ。クワガタムシじゃない。


 私・ほんまや。とってもいい?


 おばあちゃん・育てるの?


 私・わからへん。


 おばあちゃん・じゃあ見るだけにしてあげ。


 私・うん。


 おばあちゃん・ケンちゃん。


 私・なに。


 おばあちゃん・夜ごはん何食べたい?


 私・お菓子とウィンナー。


 おばあちゃん・お菓子はごはん食べてから食べ。


 私・うん。サクラって何歳?


 おばあちゃん・サクラはもうおじいちゃん。フフフ。


 私・ほんまに?


 サクラ・わんっ! わんっ!


 おばあちゃん・しっ、しっ! 驚いた?


 私・うん。凄いなあサクラ。


 おばあちゃん・おばあちゃんと一緒くらい長生きさん。ケンちゃん、触ってみる?


 私・いい。怖い。


 おばあちゃん・そろそろ帰ろっか。


 私・うん。


 サクラ・わんっ! わんわんっ!


 おばあちゃん・サクラっ!

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