3

 からからと下駄を鳴らして君が笑う。

 白地に桔梗色の花模様、若草色の帯に淡黄の帯飾り、唐紅の簪。袖から覗く腕や下駄に嵌められた素足がやけに生々しくて、綺麗だった。

 そういえば前に投稿した動画にこんな女の子いたな。もしかして意識してくれたのかな。自分の甚平も合わせてまるでその動画の二人みたいだなと思う。その曲は夏祭りが舞台の、僕が初めて書いた恋愛もので、彼女も気に入っていたのかよく口遊んでいた。

 まぁその二人は、結局離れ離れになってしまうのだけど。

「帆澄くんどこから行く?」

 結局、曲作りは全く進まずに迎えた日曜日。何となくこの日までには形にしよう、なんて決めていた締切に堂々と遅刻して、もういいや取り敢えず今日は楽しもう、なんて自棄になっている部分もある。

 それでも、彼女の浴衣姿を見れば、曲の事なんて頭から抜けてしまった。

「灯花はどこ行きたい?」

 見慣れたはずの街並みはとりどりに色付いて、真冬のイルミネーションのようなその景色に、異世界にでも来たんじゃないかと錯覚しそうになる。眩しいくらいに綺麗な視界がその中心に捉えているのは、いつだって彼女の姿だ。

 これもあれも、と行きたいところを述べる彼女は、取り敢えず行こ! と人混みへ駆け出した。あ、と思った時にはもう僕は彼女の手を掴んでいて、彼女は驚いたように僕を振り返った。

「帆澄くん?」

「あ、えっと⋯⋯人多いから、逸れないように」

 下手な誤魔化しにも彼女は騙されて「そっか。ありがと」なんて笑った。ただ素直に手を繋ごうと言えたらいいのに。

 自分から繋いだはずなのに、片手だけから伝わる温度に思わず顔が熱くなる。

 二人分のラムネを買って乾杯して。瓶を返せば五〇円返ってくるんだって。じゃあ後で戻ってこようか。なんて遣り取りをして。彼女は見掛けた水風船釣りをして、綺麗でしょ、と白縹のそれを僕に自慢した。

 並んだ屋台を一通り見て回って、何か食べる? と聞いたけど彼女は「ごめん。食べてきちゃったからお腹いっぱい」と苦笑した。空になった瓶を戻しに行く途中、林檎飴の屋台を見掛けて思わず声を漏らしてしまった。

「林檎飴?」

「えっあ、えっと、」

「じゃあ私瓶戻してくるから、買ってていいよ」

 僕の手から瓶を取った彼女はすぐに背を向けて行ってしまった。折角だから、と列に並ぶ。自分だけ買うのは申し訳なくて彼女の分も買おうとは思ったけれど、お腹いっぱいと言っていたから却って迷惑かもしれないと考え、せめてもの配慮で最初に見ていた大きい方ではなく、それより少し小さい方を選んだ。戻ってきた彼女に「大きい方じゃなくて良かったの?」と訊かれてしまい、正直に「僕が食べ終わるの待ってたら退屈でしょ」と言うと、彼女は笑った。

「そんな事気にしなくていいのに。でもありがとう」

「いいえ」

「あ、じゃあ林檎飴一口ちょーだい?」

「えっ僕もう口付けちゃったよ?」

「いいよ、気にしないし」

 彼女が気にしていないならいいか、と林檎飴を近付けると、彼女が齧ったのはほんの少しだった。僕も気にしないように次の一口を齧る。

 ふと視界に入った彼女の頬が紅いのは、提燈の所為か、それとも。

「ねぇ灯花、」

 僕の声と、花火開始を告げるアナウンスが重なって、多分、彼女に僕の声は聞こえていなかった。

「帆澄くん始まるって。行こ!」

 屋台の並びを出て開けた場所へ出る。

 始まりの合図とばかりに大きな打ち上げ花火が鳴って、色とりどりな火花が夜空に消えた。燥いでいた彼女は花火に夢中で、静かに「綺麗だね」と呟いた。僕は花火よりも彼女に見惚れてしまって、そうだね、って返したけど多分それは、彼女に対して綺麗だと言いたかったんだと思う。

「⋯⋯あ、」

「帆澄くん?」

 不意に浮かんだ、ワンフレーズ。ギターの弦が弾かれる音。

「えっ帆澄くん!?」

 僕は彼女の手をとって、花火を背に歩き出した。

 学校に向かって。

 今日は花火大会。うちの学校には天文部があって、彼らは学校の屋上で花火を見ると言っていた。

『当日は門も開いてるし、見たい奴は学校来ちゃえよ!』

 クラスメイトの男子が巫山戯て言っていた。門が開いているなら校舎も開いている。それなら軽音楽部の部室もそうだ。

 案の定、空き教室を借りただけの部室は鍵なんて掛かっていなくて、僕は置きっ放しになっていたエレキギターを拝借した。窓の外では遠くで花火が光っている。黙って入ってきた事が先生にバレないように電気は付けなかった。椅子を一つ取り出して、彼女をそこに座らせる。スマホの録音機能をオンにして、ギターを構える。

 すぅ、と息を口から吸う。

 即興で溢れるメロディや歌詞は、拙いながらに灯花への想いを綴ったものだ。

 指を動かして、唇を動かして。それはまるで、初めて言葉を交わした日のように。

 彼女の為に作ろうとした曲の原型は留めていなくて、寧ろそれは僕が彼女に宛てた歌だった。

 後奏が終わると同時に聞こえる一つの拍手。

「凄い! 今考えたの?」

「うん。まぁ」

 花火に夢中になる君を見てたら思い付きました、なんて、恥ずかしくて言えないけど。

「さすが未来のミュージシャン!」

「違うから」

「なるんでしょ?」

「⋯⋯無理だよ」

 人に言われたからじゃない。本当は、どこかで自分もわかっていた。夢を見てるだけだと。甘えているだけだと。現実逃避に、音楽を使っているんだと。

 でも、それでも、


「好きなんでしょ?」


 彼女はいつの間にか立ち上がって、窓の外を眺めていた。

「知ってる? 緑の花火が上がった時にお願いを三回心の中で唱えると、それが叶うんだよ」

「何それ、流れ星?」

「ううん。例えばね、小説家になりたいって思ってたとして、それを『小説家になれました。ありがとうございます』って三回言うの。小説家になれた体で。そしたら叶うっていう、おまじない」

「⋯⋯小説家、なりたいの?」

「ずっと昔の夢の話だよ」

「嘘吐き」

「ほんとだもん。ね、帆澄くんはなってね」

 ほんの少し、彼女の表情が蔭った気がした。

「なりたい自分、ちゃんと目指してね」

 僕は彼女の隣に並んで、花火を眺める。終了までまだ時間はある。緑色の花火が上がる頻度は結構高かった。

「灯花が小説家になれました。ありがとうございます」

「え⋯⋯?」

「僕はこう祈るから。灯花、なってね。小説家」

「帆澄くん⋯⋯」

 次に上がった緑色の花火は大きくて、多分、消え切る前に三回、唱えられたと思う。隣を見れば胸の前で両手を組んで目を瞑って、一生懸命お祈りしている彼女。

「帆澄くんの分は私がお願いしたから。なってね、ミュージシャン!」

「⋯⋯善処するよ」

 彼女は笑って、もう一回弾いてよ、とギターを持たせてきた。

「さっきの?」

「うん。歌は私が歌うから」

「わかった」

 相変わらず覚えるのが早いな、とギターを構え、さっきと同じように弾く。もう所々忘れてしまっていたけれど、時折彼女の鼻歌が聞こえてそうだこの音だ、と思い出す。

 息を吸った彼女の吐いた歌詞は、僕が口にしたものとは全く違うものだった。全く違う、でもどこか、対になるような、そんな歌詞だった。

 驚いて演奏がちぐはぐになってしまって、それでも彼女の綺麗な歌声は続く。無数に咲く火花が照らす、浴衣姿の彼女の瞳が濡れて、涙が零れた。止まらない歌声。止まれない演奏。

 一曲、全て歌い終わって、彼女は涙を拭った。

「⋯⋯とう、」

「帰ろうか、帆澄くん」

「え」

「帰ろう」

 ギターを元あった場所に戻して、スマホも持って、僕らは教室を、学校を後にした。

 田舎の高校なんて大体みんな徒歩や自転車で行き来出来る距離に住んでいる奴らばかりで、わざわざ電車で一時間以上掛けて県の中心部に出る奴も同様にこちらまで来る奴も少ない。それは彼女にとっても同じようで、僕も彼女も、家までは歩いて帰る。

 建物や木の隙間から花火が覗く。今度は、彼女は花火を見なかった。

「さっきの、灯花が考えたの?」

「うん。だって聴いたばっかりだもん」

「そっか。凄いね」

「えへへ。ありがと。でも帆澄くんのおかげだよ」

「僕?」

「帆澄くんが素敵な歌作ってくれたから」

 あれ片想いの歌? と訊かれ、そんな感じ、と濁す。

「片想いが片想いのままじゃ嫌だから。だから相手の女の子も、その人の事が好きなの」

「⋯⋯へぇ」

「でもねぇ、二人は両片想いのままなの」

「え、どうして?」

「そう簡単に叶わないのが恋でしょ」

 少女漫画じゃないんだから、と笑う彼女。

 からん。からん。

 下駄が鳴る。花火の音と混じって。

 ひゅー。どん。どどん。

 時折人の笑い声が聞こえた。

 煩い。煩い。

「ねぇ、来年もきっと来ようね」

 煩い煩い煩い煩い。

「二人で」

 煩いっ。


「⋯⋯っ!?」


 別れを惜しんだ右手が彼女の腕を引いた。

 そっと抱き寄せた身体。一二センチの勇気は、思っていたよりずっと自然に出たものだった。

「ほ、ずみく、」

 触れた唇越しに彼女の声がする。

「折角、両想いなのに、そんな哀しい結末なんて要らないよ」

「え⋯⋯」

「あれは僕の歌だよ。僕が、灯花を想う歌だよ」

 彼女が目を見開いて、またそこに涙が浮かぶ。

「灯花の事が、好きなんだ」

「⋯⋯っ」

 彼女の返事を聞くよりも先に、背後で大きな音が鳴る。振り返れば、夜空いっぱいに幾つもの火花が咲いていた。

 袖を掴まれて彼女へ視線を戻すも、彼女は花火を見つめたまま。彼女は静かに、涙を流していた。彼女の頬にそっと指を這わせて、涙を掬うように拭った。

「私、も」

 その手を両手で握って。つう、と頬に涙が伝って。それで、笑って。

「帆澄くんの事が、好きだよ」

 彼女の一つ一つがこんなにも美しく見えるのは、多分、花火の所為だけではないのだろう。

 夜空に消える火花に、歌い、叫べば伝わるのなら。

 何百回だって歌ってみせる。何度この声を枯らそうとも、君に届けてみせる。

 この歌を、咲かせてみせる。

 人気のない暗い街路で二人、もう一度唇を重ねた。

 街灯もない田舎の夜道を照らすのは花の火の灯りだけ。きっと、僕らの征く先を照らすのだって、今日のこの想い出だけだ。

 それでも、今はただそれで良かった。


 今はただ、それだけで良かった。

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