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 翌日から、僕は昼休みを彼女と過ごすようになった。嫌々ではない。約束している訳でもない。ただ僕はいつも通り屋上にいて、そこに彼女も来るようになった。

 僕の作った歌を次々と覚えていく彼女は、音程の正確さは勿論、日を追うごとに加えられるアレンジで、僕が求めていたそれ以上のものを披露してくれる。特に録音したり動画に起こす訳ではないが、寧ろそうしないのが惜しいくらいに、僕は彼女の歌声に魅せられていた。

 九月中旬に差し掛かった頃、部活を引退した僕は放課後、すぐに帰宅して曲作りに専念した。彼女の為の歌を作るのだ。

 勉強しろと言う親の声はヘッドホンで遮った。進路はどうするんだと言う担任は「大丈夫です」と遇った。

 今までの僕の歌は全て僕の為だけに作られたものだ。誰かの為に歌を作りたいと思ったのは初めてで、そういえば誰かに自分の歌を歌ってほしいと思ったのも彼女が初めてだ、と気付く。

 例えば動画サイトに投稿した歌が誰かに歌われた時、多少なりとも嬉しさは感じた。でも誰にも、また歌ってほしい、とは思わなかった。それは決して、歌ってくれた人が下手だった訳ではない。寧ろ僕よりずっと上手で、原曲の稚拙さが申し訳ない程だ。

 それでもまた歌ってほしいと思わないのは、〝僕の歌が好き〟と云われるよりも〝好きになった歌の作者が偶然僕だった〟と云われたいという思いが根底にあるからだ。最悪、僕の歌は好きだけど僕自身は嫌いと云われてもいい。そう思っているからだ。

 そんな僕が彼女に拘るのは、僕が彼女の歌声を好きだからで、彼女自身の事も、好いているから、だと思う。

 帆澄くんと呼ばれる反射で彼女の事を灯花と呼ぶようになった。彼女はよく笑うから普段はあまり笑わない僕も笑えるようになった。

 きっと僕は、彼女が好きなんだと思う。

 たった二週間程度で芽生えた感情の正解。

 ただ、気付いたところでじゃあ告白しようなんてなる訳もなく、変化といえば毎日昼休みの時間を待ち遠しく思うようになった事だけだった。


 だけだった、のだけど。


「花火、大会⋯⋯?」

「そう!」

 彼女はいつもの笑顔で、近所の国営公園主催の花火大会のチラシを見せてきた。

「私こういうの行ってみたかったの。もう高三だし、高校生終わっちゃう前に。一緒に行こ?」

 正直訳がわからなかった。友達と行けばいいのに。家族と行けばいいのに。何でそれを差し置いて、僕?

 しかし混乱する脳とは真逆に、僕の身体は正直に働いた。

 彼女からチラシを受け取る。

「花火やだ?」

「いや⋯⋯。一緒に行くの、僕でいいの?」

「勿論!」

 そんな笑顔で即答されたら、断る理由はなくなる。

 九月最後の日曜日に行われるそれについて、浴衣を着て行こうだとか屋台はどれを見たいだとかって燥ぐ彼女を、僕は笑いながら、それでも楽しみにしていた。


    □


 月末の楽しみとは裏腹に、曲作りは全く進んでいなかった。

 上手くいかない、と思う程に自分の才能のなさを思い知らされる。焦って何でもいいからと音を紡ごうとするも、汚い音を吐き出す弦が指に痛いだけだった。

 それに彼女に歌わせたい歌を、こんな風にして作ろうとしている自分に腹が立って仕方がなかった。

 ここまで上手くいかないのは、初めてだった。

 パソコンで打ち込もうとやり方を変えても結果は同じ。何をしたって無駄な気がして、苛々が募って、僕は深夜に家を抜け出した。明日は土曜日。学校はないから幾ら夜更かししたって問題はない。警察に見付かって補導されたりでもしなければ、好きなだけ気晴らし出来る。

 もう大分冷え込んできた九月下旬。半袖短パンでは肌寒くて、せめてパーカーでも羽織ってくるんだったと後悔する。素足を嵌めたサンダルが乾いた音を立てて地面を蹴る。その音が途切れたのは、家から三〇分程歩いたところにある歩道橋の上だった。

「灯花?」

 そこには、紛れもない灯花の姿があった。

「帆澄くん⋯⋯? え、何でここにいるの!?」

「僕はちょっと、散歩⋯⋯。灯花こそ、何で?」

「え、あ⋯⋯私も、散歩だよ」

 誤魔化したな。お互い。

「女の子が一人で危ないよ」

「いつもだもん。へーき」

 見慣れない私服。というか、初めて見る。

 白いワンピースにグレーのストールを羽織っているけれど、それでも彼女は寒そうにしていた。その所為か、舌足らずな喋り声はいつにも増して幼く聞こえる。

「いつも?」

「んん⋯⋯あのね、」

 歩道橋の下を見下ろす彼女は僕の方を見ないで口篭る。言いたくないのか、話しずらいのか。べつに話さなくてもいいよ、と言おうとしたら、彼女は続きを話し始めた。

「お母さん、私の事邪魔なんだって」

「えっ?」

「男の人のがいいって。二人でいたいから、邪魔って」

「⋯⋯」

 こういう時、何も言えないのは僕が口下手な所為なのか。何て声を掛けたってどれも、相手からしたらただの〝言葉〟だと思ってしまう。

「別の部屋とかに、隠れてたら、いいんじゃ、」

 辛い空間ではあっても、それでも女の子が夜中に一人で外にいるよりは安全だと思った僕の打開策は、すぐに否定されてしまった。

「家いたら、男の人、お母さんより私のがいいって言うから、駄目かな」

「え、」

「一回だけね。一回だけ、あったから、お母さん怒っちゃって。だから外にいた方がいい」

「っ⋯⋯ごめ、」

「えっいや全然! こっちこそごめんね、こんな話」

 やっと僕の方を見た彼女は下手な笑い顔で「やだったでしょ」と言った。

 沈黙。

 何を話したらいいのか。先程の話を続けたらいいのか、違う話を持ち出したらいいのか。気の利かない僕は暫く悩んでいて、結局先に喋ったのは彼女の方だった。

「明後日だねぇ、花火大会」

「え⋯⋯うん」

「夏休みとか、お祭り行った?」

「行ってない」

「私も。みんな受験だからね」

「灯花は? 進路どうするの?」

「私もう決まったから」

「そうなの?」

「うん。就職に強い専門学校通うの。もう受験もして、結果待ってるとこだけど多分合格」

 確実に受かるって言われてるところだからね、と笑う彼女。聞けばその学校は、僕が行きたいと思っていたところだった。彼女はその公務員科に通う予定らしい。

「そういえば帆澄くんは受験するの? こういう話した事なかったよね」

「⋯⋯そうだね」

「⋯⋯? 話したくない?」

 夢は口にすればする程叶いやすくなると聞いたことがある。ただ頭の中で思うよりも、口にした方が実行しやすいんだとか。

 でも口にした数だけ嗤われてきた僕は、その反動で八つ当たりするように動いてしまう僕は、夢を叶えられるのだろうか。最近の僕の曲作りは、音楽に対する冒涜に値してしまうのではないだろうか。いつか才能がないとわかってしまった時、僕は他に、どんな道で生きていくのだろうか。

「僕、は⋯⋯」

 隣で彼女が優しく相槌を打つ。

「僕は、ミュージシャンに、なりたいんだ」

 両親に。先生に。友人に。メンバーに。

 何度も告げては馬鹿にされた。夢を見ているだけだと言われた。


 本気なら、もうこの家を出ていきなさい。


 〝普通〟になれと、脅すように告げた父親に、母親はそうねと呟くだけだった。

『テレビに出てるような人達はたまたま運が良かっただけ。誰もがみんなあぁなれる訳じゃないのよ』

『夢を見るのも大概にして。趣味を仕事になんてそうそう出来ないんだから』

『才能がなきゃなれっこないだろ』

『お前、まだ音楽なんかやるつもりか?』

『遊んでないで勉強しなさい。いい? 普通に大学へ通って普通に安定した仕事に就いて、普通に生きていくのが一番なんだから』

 普通じゃない僕が悪いのか。好きな事を仕事にしようとする事が悪いのか。才能がないのが悪いのか。

 音楽は何も、悪くないのに。


「いいじゃん。私、楽しみにしてる」


「⋯⋯え?」

「あれ。ミュージシャンって、テレビに出るよね?」

「う、うん⋯⋯?」

「テレビで見るの楽しみにしてる。出たら教えてね」

 彼女は、笑った。

「今まで作った曲も歌うの? カラオケでも歌えるようになるかな? あ、でも、私以外の人があの歌歌うの、ちょっと寂しいかも」

 えへへ、と笑う彼女は、僕自身よりも、僕の将来を楽しみにしているようで。

「あれ、帆澄くん?」

 そんな風に、言われた事のない僕は、

「泣いてるの⋯⋯?」

「ご、めっ」

「よしよし。泣き止んで?」

 彼女は僕の頭に手を伸ばして、優しく撫でてくれる。その目線は大分上目遣いになっていて、僕と彼女には身長にこんなに差があるんだなと知った。普段は座っているから同じぐらいの感覚だけど、立って並ぶと彼女は僕より頭半分程低くて、そういえば前に一二センチ差だね、なんて話していたっけ、と思い出す。

 暫く頭を撫でてくれていた手の動きが少しずつ鈍くなり、疲れたの? と尋ねると「疲れちゃった」と正直に返されて、それが何故だか可笑しくて笑ってしまった。

「そろそろ大丈夫だと思う。もう帰るね」

「うん。僕も帰る」

 ポケットのスマホを取り出して見れば時刻は三時半を過ぎたところ。彼女はいつもこんな遅くまで外に出ているのか。

「ごめんね、付き合わせちゃって」

「いや。僕こそごめん。みっともない姿見せちゃって」

「そんな事ないよぉ。私は嬉しかった」

「え?」

「帆澄くんあんまり表情変わらないから、私といる時に笑ったり泣いたりしてくれるの、嬉しい」

 気付かれていたのかというちょっとした恥ずかしさと、僕の事を見てくれているのかという嬉しさに浮かれていると、彼女は小さな欠伸を漏らした。

「家まで、送るよ」

「ほんと? ありがとぉ」

 真っ暗な夜道を、街灯を頼りに二人で歩く。時々手が触れ合ったのは、多分、気の所為だ。

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