晩夏、夜空に咲く花灯り
星終
1
──馬鹿にした人間全員、ぶっ殺してやる。
頭の中で繰り返されるその感情が、僕の指先を突き動かすようだった。
小さい頃から音楽が好きだった。ギターを弾いて高らかに歌って。そうすれば両親は忽ち笑顔になる。
『帆澄、また歌が上手くなったな』
『帆澄の歌声はみんなを笑顔にするわね』
今思えば、幼い僕が音楽を続けたのは両親のその笑顔の為だ。毎日のようにギターの練習に励んで、初めてオリジナル曲を作ったのは中学二年の秋頃だった。パソコンなんて持っていなかったからギターとボーカルだけの、簡易的且つ寂しいそれは今や改良に改良を重ね、高校の軽音楽部のメンバーにも手伝ってもらって漸く完成した。
高校生になってから、オリジナル曲は全てバイト代で買った自分のパソコンにソフトをダウンロードして打ち込んで作っている。僕はギター以外の楽器はてんで駄目だけれど、打ち込みなら自分で弾かなくても音が出るのだからみるみる完成されていく僕だけの楽譜。感動した。
僕は自分の作る曲が好きだった。それもそうか、嫌いだと思う曲なんてそもそも作らない。それは今も変わらない。けれど焦燥感や憤怒に駆られて作る最近の僕の曲はどれも、汚らしい、穢らわしいもののように思えてしまう。
ミュージシャンを目指したいんだ。
専門学校のパンフレットを見せながらそう告げると、両親は苦笑した。
『帆澄、冗談を言っているのなら止めなさい。もう進路について真剣に考えなきゃいけない時期なんだ』
『そうよ。もう四月から受験生なのよ。その自覚を持たなくちゃ』
『何言ってるの? 僕は本気で、』
『本気なら、』
理解が出来なかった。僕の歌を好きだと言った両親が、僕の夢を冗談だと笑うなんて。父親の台詞が脳にこびり付いて離れない。
両親も担任の先生も口を揃えて「夢を見るな」と言う。
音楽を職業にしようとは思わないかな。普通にサラリーマンになって、趣味で音楽をやっていく。べつに本気じゃない訳じゃないよ。趣味として、本気で音楽をやっていくんだ。それで十分だよ。
部活のメンバーの言葉を思い出す。それで十分って何だよ。普通にって何だよ。何でそんな、音楽を仕事に目指す事が悪いみたいに言えるんだよ。
音楽は何も悪くない。僕は何も悪くない。
認めてくれない、周りが悪いんだ。
□
昼休みの喧騒を背に屋上へ向かい、ギターを構えタブ譜を広げる。風で飛ばされないよう昼食に買ったお握りを置いた。
九月とはいえ、夏休みが明けたばかりの日射しはまだ強くて、高く昇った太陽は容赦なくコンクリートに熱を与えるから、日陰を選んでも床は素手では触りたくない温度をしている。ズボン越しでもはっきり感じる熱には知らぬ振りをした。
ピックで弾いた弦が掠めるような音で鳴く。アンプがあればもっと迫力が出るのにな、なんて贅沢を思う。
タブ譜を辿って、歌詞を辿って。指を動かして、唇を動かして。
「ねぇ、それ何て歌?」
僕の歌は、そんな、少し舌っ足らずな声に邪魔された。
「⋯⋯誰?」
「え、そこから? 出席番号隣なのに」
「えっと⋯⋯ごめん」
「いいよぅそんな気はしたもん」
同じクラスだと言う割にその声や喋り方はもっと幼く感じた。
両手を膝に付いて中腰になって僕を見下ろしていた彼女はその膝を伸ばす。その拍子に風に靡いたスカートが、仄めかすように白い太腿を見せた。
「私は若草灯花。出席番号は君の一個前だよ、和倉帆澄くん」
「わかくさ、」
「とーか。帆澄くん歌覚えるの早いのに、人の事覚えるの苦手?」
「そうかも」
部活のメンバーでさえ覚えるのに半年程掛かった。申し訳なさしかない。彼女の事も、同じクラスで出席番号が隣なのに認知出来ていなかったというのはさすがに失礼極まりない。
僕の内心など露知らず、彼女は「ねぇねぇ何の歌?」とそればかりを僕に問うてくる。
「何の、とかないよ。僕が作った歌」
「今のを?」
「そう。部活じゃ大体僕が歌作ってる」
「ひぇー凄い! 天才!」
彼女は馬鹿にしてこないどころか、凄い凄い、と何度も僕を褒めちぎった。
「⋯⋯言い過ぎ」
褒められ慣れたはずの僕は、顔を背けながらそう言った。
「ねぇね、私にも弾かせて?」
「ギター?」
「うん」
僕の真似をして隣に座り、こちらに広げた両手にギターを持たせる。暫くそれを構えたまま、それだけで満足そうににこにことしていた彼女だが、すぐに僕の方を見た。
「これどうするの?」
「⋯⋯貸して」
やっぱりか、と思いながら再度ギターを構え、この指でここの弦を抑えるんだ、と一つ一つ説明していると、難しいと感じたのか「これ弾いて!」とさっきのタブ譜を指差した。仕方がないからイントロだけ弾いてやると、ちょうど歌詞が始まるタイミングで彼女が歌い出して、慌てて続きを弾く。一番が終わって彼女の歌と共に演奏を止めると、彼女は「この歌好きぃ」と微笑んだ。
「ギターはもういいの?」
「うん!」
「そう⋯⋯。てか歌、何で知ってたの」
「んー? あっ。⋯⋯全然、覚えてないよ」
「は? 今歌ってたじゃん」
「んん⋯⋯」
この歌はまだ部員にも聴かせていない。学校で歌ったのも今日が初めてだし、他の部員が口遊んでいたとか、部室で演っているところを見たとか、そんな事はないはずだ。
つまり彼女は、さっき僕が一人で歌っていた、そのたった一回でこの歌を、歌詞を、メロディを、その全てを覚えたという事になる。
「私ね、歌とか文章とか、そういうのすぐ覚えちゃうんだ。⋯⋯気持ち悪いよね」
しょんぼりしたように、どこか申し訳なさそうにそう言われて、少し戸惑ってしまう。その動揺が「気持ち悪いと思ったんだ」と勘違いさせてしまう事を恐れ、僕は成る丈平静を装った。
「べつに思わないよ、びっくりはしたけど。凄い事じゃん」
「ほんと!?」
彼女は一瞬嬉しそうな顔をして、しかしすぐに表情を曇らせた。
「でもお母さんとか先生は気持ち悪いって言うよ⋯⋯?」
「自分が出来ないから、嫉妬してそう言ったんじゃない?」
「そっ、か⋯⋯じゃあ、私って凄いんだ!」
僕の適当を真に受けて、誇らしげに胸を張る彼女。
「うん。凄いよ」
それは本音。羨ましいとさえ思う。
彼女は、ありがとう、と言って笑った。
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