第3話 変な人って意外にいっぱいいる。あれ、もしかしてあなたも……?

「それじゃあ、この『依頼人』の欄に自分の名前を書いてくれ」


 一颯は赤く腫れた右頬をさすりながら、テーブルを挟んで真向いにいる女子生徒へ一枚の紙とペンを渡す。それらを受け取り、さらさらとペンを走らせる女子生徒。


「これでいい?」


 そう言って紙を見せてくる彼女は、三浦綾香みうらあやかというらしい。一颯は頷いて、紙とペンを返してもらう。そんな様子に何かを感じ取ったのか、綾香は唐突に、


「……藤見君、もしかしなくても私のこと覚えてなかったでしょ」

「いや、覚えてたよ。漢字が分からなかっただけ」


 一颯は至って自然に嘘を返した。これ以上、綾香の機嫌を損ねないための方便である。


 しかし、そんなに簡単に騙されてはくれないらしい。綾香はじっとりとした視線を一颯に向けていた。そして一呼吸置いた後、


「それでさっきのは一体何?」


 と、右――一颯から見て左――の初理をちら、と見やった。一颯の言葉の真偽よりも、今は先程の初理と、そして自分のスカートに起きた現象の方が気になるのだろう。しかし、綾香は初理を直視しようとはせず、一颯に回答を期待しているようであった。


 一方、一颯としてはさっさと『本題』の方に入りたいところ。特に先程のこと程度、いちいち気にしていては、初理とはやっていけないのである。


 だが、綾香の方はうやむやにする気はない様子。仕方ないこと、と自らに言い聞かせて、一颯が代わりに声をかけた。


「白希先輩。先程の現象について、説明して頂けますか」

「……面倒ね」


 心の底から煩わしいという風に、初理は自分のデスクからふらりと立ち上がる。何やら紙束を持って、一颯の傍まで歩いてきた。


「はい。これあげる」

「ん、これは……」


 一颯は手渡された数枚の紙に視線を落とす。目に入ってくる図や文字の数々。おそらく、先程の現象の原因となるものの全てがこれらに記載されているのだろう。しかし――


「それじゃあ、お願い」


 初理はそう言うと自分のデスクに戻り、ヘッドホンを付けて目を瞑ってしまった。初理が思考に没頭する際の、いつものスタイルである。ちなみにあのヘッドホンから音楽は流れていない。あまりに高価な耳栓だった。


「あーっと、悪い。ちょっと待っててくれ」

「え? う、うん」


 綾香に一言断りを入れて、一颯は椅子から立ち上がる。受け取った紙をくるくると丸めながら初理の元へ。そして、初理の脳天に、筒状になった紙を勢いよく振り下ろした。


 ぺしゃっ、という弱々しい音がして、紙がくの字に折れ曲がる。


「……なに?」


 僅かに不機嫌そうな顔が、一颯に向けられた。なに、と聞いていながらヘッドホンをしたままとはどういうことかと、一颯はヘッドホンを取り上げる。


「こんなメモ書きみたいなのじゃ、俺には全く分かりません」


 一颯はそう言って、皺が刻まれた紙を広げて見せた。


「大丈夫よ。一颯ならできる」 「無理です」

「諦めないで」 「嫌です」

「そこをなんとか」 「なんとかなりません」

「じゃあ、私も下着を見せたら言うこと聞いてくれる?」


 初理はそう言いながら自分のスカートの裾を握る。だが初理に、一颯を色香で篭絡しようというような意図はない。綾香に従う一颯を見て、その過程を模倣しようというだけなのだ。


「先輩の下着になんて、一ミリも興味はありません」


 一颯は眉一つ動かさずぴしゃりと言い切った。


「私、今すごい傷ついたわ」

「ならもっと感情を込めるといいですよ」

「……しくしく」


 無表情のまま、擬音を口にしただけの下手過ぎる泣き真似。もはや真似る気もなかったんじゃないかと思えるほど。


「いいですか白希先輩。あそこに座っているのは大事な『依頼人』なんです。粗末に扱った結果、依頼を請けられないなんてことになれば、いよいよこの部も廃部ですよ?」


 一颯の言う通り、現在、一颯と初理が所属するこの『第二魔道具研究部』は廃部寸前。もう少し正確に言うと、学校からこの部に割り当てられる予算の配分がゼロになる寸前なのであった。


 学校からの支援が打ち切られれば、こんな豪華な部屋は借りられないし、初理が日々熱心に行っている『魔道具』の研究、開発も行えない。


 では、どうしてこの部がそんな状況になっているのか。


 そもそも、学校からの支援とはいわば投資。学校はその投資額に見合った『成果』を、生徒の現在と未来に対して期待している。


 だがこの部は、『現在の成果』を学校へ全く示せておらず、『未来の成果』についても少々危うい状況にある、というわけである。


 本来なら、この第二魔道具研究部という名前通り、魔道具の研究結果を『現在の成果』として評価してもらいつつ、将来にも期待してもらえばいい。


 だが、この部に限ってはそれができない。これについて、いくつか細かい要因はあるが、一番はやはり、この部の研究を一手に担う初理の、そのやり方にあるだろう。


 初理は自分の好きな研究を好きなだけ行い、好きな時に止める。他者の都合など、初理にとっては路傍の石に等しかった。


 たった一人の我儘のためだけに金を出す者など、親くらいなもの。結果、綾香のような困っている生徒を助けた結果を『現在の成果』として示すことで、これまでなんとか部を存続させているのだった。


「それはとても困るわ」

「でしょう? ですから、三浦に説明をお願いします」

「……わかった」


 渋々ながら腰を上げ、綾香の元へと歩いていく初理。一颯もそれに続いた。そして、一颯は再び綾香の真向いに、初理は一颯の左隣にそれぞれ腰を下ろす。

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