第1節 部員たちの日常
第2話 自覚はあるので、これ以上酷くなることはないと思います。
今、教室中の視線が、一つの映像に集約されていた。
映像がより克明になるよう、教室内は薄暗い。それでもその瞬間、ほぼ全員が息を呑んだのが、よく分かった。
それは、凄惨な事故現場だった。
エンジンルームにもはや何かを格納する能力はなく、フロントガラスは粉々に砕け散り、前輪は余所を向いて外れかけている。
そんな元普通自動車の運転席であった場所では、大量の血を滴らせながら、あらぬ方向へ曲がりくねった手足と、原型を留めていない頭部と、自然な厚みが失われた胴体とが辛うじて繋がっていた。
「おかあさん、おかあさん。あれ、いたいいたい?」
五、六才くらいの女の子の無邪気な問いかけに対し、彼女の母親と見られる女性は、返す言葉もない。直後、深刻そうな声音のナレーションが入る。
『惨状を指差す子どもは、一体どちらを哀れに思ったのだろうか』
映像はここで終了した。
分厚いカーテンが開かれ、光量が平常に戻る。しかし、空気は弛緩しない。
皆一様に困惑していた。現代の若者らしく言うなら、ドン引きしていた。
今回の授業の主題は『人間と道具』あるいは『主と従』といったものである。
こんな難儀しそうな話題を取り扱うとなると、この学校の教育方針が些か先鋭的過ぎると言わざるを得ない。相手は、高校生になってまだ五か月しか経っていないのだ。
これが、この私立魔道大学付属高校の特殊性ということだろうか。
ただそれを加味しても、あの惨劇には否定的な意見があってもおかしくないだろう。事故部分は流石にCGなんだろうが、あんなショッキングな一幕に、年端も行かぬ少女を登場させようという発想。狂気を感じる――
と、
まるで、他人事のように。彼だって、同じくただの学生に過ぎないはずなのに。
――こういうのをサイコパス――反社会的パーソナリティ障害とか、社会不適合者とか言うんだろうなぁ。
一颯には自覚があった。自分に、共感性というものが著しく欠けているということを。
それが、どれ程致命的なエラーであるかということを。
その後、授業は無情にも滞りなく進み、放課後。
一颯は、とある部屋の前にいた。
ノックをし、病院などでよく見るような、白塗りのスライド式ドアを開ける。
中は、大学教授の執務室然とした部屋だった。
奥にはどかんと佇む値の張りそうな木製デスク。堆く書類やら書籍やらが積まれ、少しでも刺激すれば崩れ落ちてしまいそうな具合。加えてその付近の床にも、机から溢れたのか同じような山がいくつか出来ていた。
その散らかり放題の手前には、しっかりとした造りの木製テーブルがある。向かい合わせに二脚ずつ、合計四脚の椅子が整然と並べられ、机の上には埃一つ載っていない。
そんな対照的な両者を見下ろすように壁一面を覆う、スチール製の棚の中には、所狭しと資料が詰め込まれていた。
一颯は部屋の中へと入り、ドアを放す。独りでに閉まっていくのを尻目に、四脚のうち、手前側の一つに腰を下ろした。
背負っていた鞄をテーブルの上に置いて、一息。今日もなかなかに密度の濃い授業であったな、と柔らかな背もたれに寄り掛かる。
一颯はおもむろに、鞄の中から一冊の文庫本を取り出した。しっとりとした雰囲気の恋愛小説。この手のジャンルは、一颯の最近のブームになりつつあった。挟んでいた栞を抜いて、視線だけで文字列をなぞっていく。エアコンの駆動音が、だんだんと一颯の頭に届かなくなっていった。
この空間が、今では一颯のお気に入りだった。ちょうどいい具合に狭苦しく、ちょうどいい具合に静かで、一部だけちょっとまずい程度に散らかっている。
ぺり、とページをめくる。手元では今、胸焼けしそうなほど甘々なシーンが繰り広げられていて、しかし、一颯は眉一つ動かさず、淡々とまた次のページへ。
そんな憩いの時間は、少々控えめなノック音によって打ち切られた。
「――どうぞ」
一颯は読んでいた本に栞を挟み、椅子に座ったまま戸の向こうへ声を掛けた。
「し、失礼します……」
おずおずと中へ入って来る、一人の細身な女生徒。ちょうど肩甲骨のあたりまで伸ばされたダークブラウンの髪が、ドアを閉める瞬間、ゆら、と揺れた。
そして反転。瞬間、彼女の動きが止まった。その少々つり上がった瞳が、部屋奥のどこか一点を捉えて離さない。
何かおかしなことでもあったかなと、一颯は視線を追ってみる。
ごみごみとしたデスクの更に奥。閉め切られたカーテンの手前。そこには、悠然と立つ一人の女生徒、
なんだいたのか、と一颯は思った。そうして、薄ぼんやりと、あの女子生徒の陥っている状況にも当たりが付いた。きっと、かつての自分と同じようなことになっているのだと。
一颯の初理への第一印象は、『人の色みたいなものがない少女』である。
人、それも十五、六年も生きた人間には、通常、その積み重ねの結果が現れるもの。一目見ただけであったとしても、身にまとう雰囲気や、見つめ返してくるその瞳に、何かしら感じ取れるものがあるはずなのだ。
しかし、初理にはそれがない。少なくとも、窺えない。加えて、その外見が外見だ。
透き通る程に白い肌。今時には珍しく腰を越えて臀部にまで真っ直ぐに伸びた黒髪。華奢な体躯と整いすぎた顔立ち。そして、制服の上に着た、膝が隠れるくらいの丈の白衣。
そんな諸要素が合わさった結果、圧倒的な存在感を放ちながらも、現実離れし過ぎていて、本当にそこに存在しているのかさえ疑わしい、という訳の分からない感覚に陥った。
透明という言葉を、近年流行りの擬人化文化よろしく人の形にすれば、きっと初理が出来上がるに違いない、と当時の一颯は思った。
そして今、実際に、初理の身体は文字通り透明に近づき始めていた。輪郭がぼやけ、初理の身体で隠れていた奥の風景がじわじわと鮮明になっていく。そうしてついには、初理の姿は完全に見えなくなってしまった。
「……え? えっ、ええっ⁉」
困惑した声を上げながら、あちこちを見やる女生徒。初理のことを幽霊か何かと勘違いしているのか、少し腰が引けていた。
不意に、女子生徒の服装に変化が現れる。
「ふむ……?」
一颯は女子生徒のとある部分を見ながら、何の気なしに呟いた。
「へ? ――っ⁉」
一颯の視線に気付いた女生徒は、ばっ、と先程までスカートがあったであろう場所を手で覆う。とはいえ、彼女の手の大きさだと、完全に隠すのは難しい。太腿のあたりはばっちりと見えていた。
一颯を、涙目ながら鋭い視線が射抜く。ここでようやく、一颯は自分が失敗したことを理解した。僅かな希望に縋る思いで、すうっ、と顔を背ける。
しかし、やはり時すでに遅し。室内に、パシンッ、と小気味良い音が鳴り響いた。
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