第78話:見通せぬ生死
「何の因果で、こいつらを運ばなきゃいけねえんだか」
公爵と巫女は気を失っていた。竜の牙に挟まれて移動する心持ちを思えば、彼らにはそれで良かったのだろうが。
また光の泉を抜け、浮遊島の上へ出る。思った通りに、神殿は倒壊していた。建物としての形をかなり残しているが、建て直すのなら完全に破壊せねばなるまい。
――いや、そんなことはどうでもいいんだ。
光の泉へ潜る前。空は夜を間近に迎えていた。あれからかなりの時間を使いはしたが、せいぜい夜半といったところのはず。
だのに眼に映るのは、昼間としか思えぬ青空。島の端のほうまで、草木の緑が鮮やかに萌える。
おかしいと言えば、争いの余韻からか鳥や獣の気配はない。そうして見渡していると、取り巻く岩山の向こう辺りがやけに暗い。
やはりこの国以外は夜を迎えている。どうやらこれが、ザハークの見たかった常昼の天空都市の風景らしい。
――違う。それも違う。いま俺が知るべきなのは。見なきゃいけねえのは……。
分かっている。
優先順位の筆頭が何であるか。視線なり声なりを向けさえすれば、答えの得られることも。
しかし、出来ない。
騎士長やトゥリヤを前にしても、狂えるゲノシスを目の当たりにしても、抱かなかった感情がためらわせる。
怖いのだ。
――おい、いつまで寝てんだ。違うな、お守りはそろそろお終いだ。違う違う。
ミトラの去った後、サリハは声を発していない。ザハークの腰を掴む手も、ぎゅっと固く握られたまま動かない。
――イブレスは生きてる。サリハだって無事に決まってんじゃねえか。
ダージの咥える巫女の身体は、かなり冷えている。
しかし死にゆく者のそれとは違った。疲労で衰弱しているだけだ。失った視力までは分からないが、少なくとも休ませれば生き長らえる。
暴走した女神を降ろしてさえそうなのだ。落ち着いた雰囲気のミトラを呼んで、サリハだけが――。
――死ぬわけねえだろ。
死ぬわけがない。サリハは生きている。いくらでも確かめようのある事実を見ず、ザハークは願いの言葉を繰り返した。
「ザハーク殿!」
無意識に、王城の真上辺りへ戻っていた。こちらはまだ一応は、建っていると称して良かろう。あちこちひび割れが酷く、心許なくあるけれど。
正面の広場に、人々が集まっている。幾らか生き残った騎士と兵士、街から続く人の波。
ザハークの名を呼んだのは、どうやら騎士団長だ。全身を赤黒く汚しているのは、激戦の証らしい。
「よくぞ無事で! よくぞ公爵を!」
「ああ……」
呼び止めてくれなければ、どこへ行けば良いやら分からなかった。きっとどこまでも、ダージが腹を空かして文句を言うまで飛び続けたろう。
早く下りてこい。勝利の歓びに歪んだ顔で、大きく手を振り求められなければ、再び地に足着くことを思い出せたか自信がない。
ゆっくりと、静かに。集まる群衆の只中へ、ダージは下りた。
住人たちは相変わらず、笑い病から抜けていない。だからこそわけも分からず寄り集まるのを、騎士たちが押し返す。
「ザハーク殿。未熟な甥が、国王陛下をお救いしたと。近衛兵の凶刃から、お守り申し上げたと。儂は貴公に、何と礼を言えばいいか。どれだけの言葉を尽くせば、恩に報いられるのか」
「忘れちまえ、そんなもん」
ダージの放した公爵とイブレスは、兵士によって運ばれていく。温めてやらねばなるまいが、声にする気力がない。
「どうした。さすがのザハーク殿も、疲れて足が覚束んか。どれ、先にサリハ殿を降ろしてやろう」
「頼む」
地に腹這いとなったダージの背へ、騎士団長は自ら腕を伸ばした。握る手が解かれ、引かれたサリハが倒れ込む。
「おっと、これは熟睡だ」
さもありなん。永遠に覚めることのない眠りであれば。
いやもちろん、本当に眠っているだけかもしれない。ザハークには、まだ知る勇気が湧かない。
遂に諦め、判断を仰ぐことにした。
違う、丸投げだ。自分に出来ぬことを、何も知らぬ騎士団長へ押し付けた。
「団長さん、サリハの具合いはどうだ」
「ん、疲れて眠っているだけではないのか?」
――何で俺に聞くんだよ。聞いてるのは俺だろうが。
手前勝手な文句を噛み殺し、もう一度問う。
「サリハの息は」
「息?」
「――変に浅かったりとか、何か」
止まっていないか、と。はっきり聞くことも出来なかった。しかしこの答えで、必ず生死は分かるはずだ。
己の心臓の音を、これほどうるさいと感じたことはない。あと何回、この忌まわしい脈動を聞かねばならぬのか。苛立たしさより、息苦しさの勝つのがつらい。
「ああ、サリハ殿の息だな」
視界の端に、騎士団長が何やら動くのが見切れる。検分の間が居たたまれず、ぎゅっと瞼を閉じた。
「ザハーク殿、これは……」
暗くなった視界に、騎士団長の押し詰めた声が鈍く聞こえる。事実を伝える言葉を前に、息を呑んだ宿将。
やはりか。諦めが脳裏を過ぎった。
――また俺は、肝心なとこを取り零すのか。
このままダージを翔けさせ、逃げてしまう手もある。サリハを死なせてしまったなら、そんな姑息さも恥じる理由はない。
ただ、セルギンの依頼を受けた飯屋の夫婦。あの二人が気にかかり、踏み留まった。
「サリハ殿は眠っている」
「ああ、もう分かった」
「いや、そうではない。本当に眠っているだけだ。貴公はまた一つ、依頼を叶えたのだ」
騎士団長が何を言っているのか、理解が追いつかない。思わせぶりな息遣いは、何だったのか。
「何だと?」
「貴公ならひと目見るだけで、生き死にくらい分かるだろう。しっかりと見てみるがいい」
何が真実やら、指針を見失ってしまった。どうにでもなれと、目を見開く。首を回し、ボロボロの黒服を纏ったサリハを映す。
頬にはたしかな赤みが差し、体温も健康な女のものと言って良い。
「歴戦の貴公にも、鍛えねばならん面がまだ残っておるようだな」
不敵に笑う騎士団長に、何とも答えかねる。その顔が傷だらけで返り血に染まっていなければ、きっと殴り飛ばしていたに違いない。
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