第71話:未知の場所へ

 仮にも国王を監禁するなら、地下牢ではあるまい。三階の独房か、五階の自室だろう。

 そう見込みをつけ、ラエトは階段を駆け上る。たくさんの奴隷を引き連れて。


「さて、公爵を――」


 追わねばならない。サリハに言いかけたとき、足元が揺れた。


「ざ、ザハーク!」


 大きな揺れに、サリハが抱きついてくる。厨房から、食器の床に落ちる音が響く。廊下に飾られた壺や像も、いくつかが倒れた。

 ザハーク一人ならば、歩くこともどうにか出来た。しかしサリハは、支えなしで立ってもいられない。

 

「座れ、頭を低くしろ!」


 その場へしゃがみ、揺れの収まるまで待つ。三十を数えるほどもかかったろうか、ようやく止まっても、サリハの身体が震えたままだ。


「い、今のは……地面が揺れるなんて」

「地震だな。聞いたことねえか?」

「地震。これが。恐ろしいものですね」


 努めて平静に答えた。初めての経験なら、怯えるのも仕方がない。警戒すべきこともあろうが、不安を煽っても益がない。

 だいいち、ザハーク自身が驚いていた。


 ――浮遊島に地震なんざ、どういうこった。

 この国、コーダミトラは浮いている。だからサリハは、地震を経験していない。

 国家を揺るがす騒ぎの中、その初めてが起きた。これを偶然と考えては、めでたいとしか言えまい。


「なに。地震なんか、ダージに乗ってりゃ関係ねえ」

「キュッ」


 サリハと二人、ダージの背へ跨る。破壊された正面門から出ると、外は陽が暮れかけていた。

 まだ薄墨を霧で吹いたほどだが、神殿から立ち昇る光が眩しい。目の前に手を翳し、影を作らねばならぬほど。


「ザハーク、神殿が。光の泉が変です!」


 サリハも指さして叫ぶ。

 彼女が驚くのも無理はなかった。この街の夜景を見たのはまだ数えるほどのザハークでさえ、明らかにおかしいと分かる。

 光の泉から立つ光が、いつもを糸筋とするなら。今そこにあるのは、大樹と呼ぶのが相応しい。


「あれほど明るいなんて、今までありません」

「チッ! モグラが何かしやがったな」


 地下通路が向くのは、山頂の方角だった。だからと千五百メルテ余りも先まで、地下を掘る暇人が居るとは想定しない。

 だが現実に、何かが起こっている。公爵、あるいはイブレスの仕業と考えるほかあるまい。


「ダージ、疾走れムスターク!」

「ギュワッ!」


 急ぐよう頼んだダージが、遮る物のない空を翔ける。一瞬ごと闇を増す天に、真白な矢を放つがごとく。

 それは間もなく、光の大樹に突き刺さる。ザハークとサリハは、光の泉の直上へ至った。


「おいサリハ。こいつはどうなんだ」

「これは――こんな泉は見たことがありません。こんな、ミトラとゲノシスが混ざり合ったような」


 見下ろす泉は、およそ円形。周囲に何者の姿も見えなかった。眩い光は全周から湧き上がり、意志あるように天頂を目指す。

 ただしそれは、泉の外周部に限られた。中央は、闇の色に染まっている。炭で拵えた円柱を沈めたように。


「分かんねえなら考えても仕方ない。行ってみるまでだ」


 そんな問いかけをして、「行かない」と答えられるはずもない。けれどもイブレスが巫女を辞めると言うのなら、サリハにもその自由があるはずだ。

 何があるか、危険なのかも分からない。誰も知らぬ場所へ嬉々と飛び込むのは、ザハークだけの悪癖に過ぎないのだから。


「行きます。行かなければいけません。どうかザハーク、私を運んでください」

「応よ、任せろ」


 ザハークの好奇心に付き合うどころか、サリハも前のめりに、自分の意思で行くと言った。これ以上の答えはない。仮に煉獄へ繋がっていても、責任は取れないが。

 手綱を引き、脚をやや前に向け締める。するとダージはゆっくり、下降姿勢を取った。


「行くぜ」

「いつでも」

「ダージ、突っ込めアタスリヤ!」

「ギュエッ!」


 泉の中へ飛び込め。ザハークの頼みに、ダージは答える。背中にはぎゅっと、サリハの体温が押し付けられた。


錐揉みダーレン!」


 光の泉に分け入った、闇の泉。両者は混じる様子もなく、くっきりと線を引いたようだ。底がどれほどの深さかも、まるで果てしない。

 白き羽毛の竜は、蛇人の男と踊り子の女を乗せ、流星のごとく突き進む。

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