第70話:動かぬラエト

「こんな狭い廊下で焼き尽くすだと? お前だけが無事な理屈はあるまい」


 頭の回る奴だ。近衛兵の隊長は、ザハークのハッタリを見抜いた。

 厨房になど公爵は居ない。彼らがこの場から逃亡し、公爵を探してくれるなら、手間が省けると思ったのに。


「焼くんでなけりゃ、切り刻むんでも構わねえぜ?」

「たった一人でか。特等がどれほどか、驕ったものだな」


 狭く薄暗い廊下に、武装をした兵士がおよそ二十人。その光景は、あの日を思い出す。


 ――仇が女でなけりゃ、違ったのかな。

 十年ほども経ち、比べ物にならぬほど戦えるようになった。驕りでも慢心でもなく、この程度の人数は問題ない。

 だがあのときは、やはり弱かった。逃げきれたことが、むしろ奇跡だ。


「仕方ねえ。死にたくねえ奴は離れてろよ」


 後ろに注意するようダージに言って、短刀を抜く。ナイフよりは長いが、兵士の持つ長剣の半分に足らない。

 右手の利かぬ今、下手な手加減も不覚の素になり得る。上下逆さまに、片刃を外へ向け、利き手・・・に握った。


「行くぜ、有象無象ども!」

「来い!」


 歩けば四十歩余りの距離を、七歩で跳ぶ。近衛兵は僅かに立ち位置を変えただけで、動かなかった。正面で上段に構えるのは、隊長の男。

 真っ直ぐ突っ込むザハークは、格好の獲物だろう。タイミングを合わせて振り下ろせば、簡単に仕留められる。


 ――俺がもっと正直者だったらな。

 相手の間合いの半歩外。そこで最後の跳躍を踏み切った。進行方向は変えない。直線をただ突っ込む。

 欺いたのは、跳ぶ速さだ。ザハークの脚力なら、この距離を五歩で跳べる。最後の一歩だけ、本来の速度に増した。


「っ!」


 革の喉当てごと、頸動脈を切断する。隣の男に蹴りを放ち、反動で反対の男を切った。

 二列目が切りかかり、屈むことで間合いを失わせる。肘を顎へ打ち、回し蹴りを並びの二人に浴びせた。

 拾った長剣を奥に投げつけ、蹴りで怯んだだけの兵士たちに止めをさす。これでまだ七人。


「ば、化け物――!」

「ああそうさ!」


 ほんのひと呼吸で、人数の三分の一を失った。近衛兵は目に見えて浮き足立つ。

 やぶれかぶれに剣を振り回す者など、練習台にもならない。力任せに刃を受け、突き倒してから仕留める。

 これを二人もやれば、兵士たちの恐怖は最高潮だ。


「ひ、退け!」

「隊長が!」

「閣下は!?」

「こんな化け物に勝てるか!」


 向かってくるなら、皆殺しにするつもりだった。しかし恐慌に逃げ出したのを追いはしない。残る十人ほどの近衛兵は、てんでバラバラに姿を消した。


「おい!」


 戻る気配がないのを見届け、扉を殴りつける。向こう側に誰も居ないのは、ザハークの眼に明らかだ。

 障害物を置いて、奥へ隠れているのだろう。大声でなければ聞こえない。


「ザハークだ! ここを開けろ!」


 いくらか待つと、おそるおそるの声が聞こえた。「ザハークさま?」と、奴隷の誰かだ。


「そうだ。お前たちが城を奪ってくれたのに、悪党を逃しちまった馬鹿野郎だ」


 答えると、すぐさま扉が開けられた。もちろん、つっかいを外す手間はあったが。


「みんな怪我はねえか?」

「おかげさまで怪我人は居ませんが――」


 出てきた奴隷は、元気そうだった。水汲みで出会った夫婦の顔も見える。

 けれども「怪我人は・・・・」と付けられた注釈に、意図を感じた。


「誰か、死んだのか」


 嫌な予感。怪我でなければ、死んだ以外に何かあるだろうか。手向かう使用人くらい居たかもしれないし、兵士が残っていたかもしれない。

 何より奥から出てくるのは奴隷だけで、先導したはずのラエトが見えなかった。


「おいラエト! 居ねえのか!」


 奴隷たちは気まずげにするばかりで、はっきりしない。様子を不審に感じたサリハも、ダージから降りて傍へやって来る。


「おい!」

「ザハーク殿……」


 弱々しい声が返った。奴隷の最後尾。未だ隠れるようにして、俯いた若い騎士。

 体温を見る限り、不調には思えない。少なくとも大きな出血を伴う怪我ではなかろう。


「何だ、居るのか。お前みたいのがもじもじしても、可愛くはねえぞ」


 年端も行かぬ子が恥ずかしげにするのは、ザハークも可愛らしいと思う。人間であってもだ。

 ラエトが声少ななのは、当然にそれと違う。何かしでかして、悔やんでいる。


「ザハーク殿。私は、考え違いをしていた」

「考え違い? 何のこった」


 話しながら、別のことに気づいた。ラエトは悔やみ、しょんぼりと曇った顔をしている。全くもって、笑っていない。


「私はこともあろうに、奴隷を盾にしてしまった」

「騎士さま、それは違います。あれはパンが、望んでやったことです」


 夫婦の男のほうが、ラエトに慰めを言う。けれども若い騎士は、拒むように首を振った。

 ゆっくり聞いてやりたいところだが、時間がない。「何があった」と、ザハークは奴隷の男に事情を問う。


「そこの門の内側に、私たちは居ました。騎士団が来たら、開けるのだと。しかしやって来たのは近衛兵で、奴隷を指揮する騎士さまに剣を向けました」


 今はダージの塞いでいる、廊下の先。正面門から、騎士団長を迎える準備をしていた。だが城内に残っていた近衛兵に見つかり、ラエトは裏切り者と言われた。

 そのときはまだ「違う、私は指示を受けただけで」と、弁明を口にしていたそうだ。


「騎士さまは、本当の我らの国を取り戻すと言ってくださいました。その為に、私たちの力が必要だと」


 奴隷を侮らず、一人の人間として頼め。決して命令をするな。そうすればきっと助けてくれると言ったのは、ザハークだ。

 ラエトは半信半疑ながら、従ったようだ。おかげで奴隷たちは、こうして戦局を変えてくれた。


「一度は一生を諦めた身です。何をするか教えてくれる騎士さまが居なければ、私たちは無力です」


 だから奴隷仲間ではパンと呼ばれる男が、ラエトを庇ったのだ。改めて顔ぶれを眺めると、たしかに一人足りない。

 厨房で初めて話しかけた、あの奴隷が。


「そうかい、俺はお前たちが心配だっただけでな。こいつが凹んでるのはどうでもいい」

「そんなザハークさま」

「どうも悪いのは公爵だ。王さまは城のどこかへ連れていかれたし、間抜けな俺は悪者を探してる最中だ」


 悪しざまな言葉に、奴隷たちは眉を顰める。しかし構う猶予はない。


「地下に隠し通路があってな。その行き先を知らねえかと思ったんだが」


 近衛兵は隠し部屋に気づいていなかった。ならば騎士も知るまい。駄目で元々だったが、やはりラエトは首を横に振った。


「分かった。じゃあ俺は急ぐ」

「ザハーク殿!」


 サリハを鞍へ戻そうとした背中に、少し力のこもった声が投げられる。振り返ると、ラエトは奴隷たちの先頭へ歩み出ていた。


「国王陛下は謀略に加担しておられぬ。そして今は囚われている。間違いないのだな」

「間違いねえ、保証するぜ」


 ――やっぱりな。

 ザハークはほくそ笑む。この甘ちゃんは、優しくしていても成長がない。騎士団長の教育方針は正しかったのだ。


「奴隷の――いや、諸君。もう一度、私に手を貸してくれ。国王陛下をお救い申し上げる。その暁には、奴隷制度の改善も申し入れる。それが今の私に出来ることだ」

「はい、喜んで!」


 希望に燃えてなどいない。ラエトはまだ、悔しさに唇を噛んでいる。

 それでも走る方向を見つけたのなら。立ち止まっているだけより、万倍もましのはずだ。


「頼むぜ」


 ザハークが肩を叩いたのは、奴隷夫婦の男。「随分と荒療治ですね」と言われた苦情は、聞こえぬふりをした。

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