第67話:倒れた者は
「傷は」
「チクチク痛えが、問題ねえよ」
軽傷とは言えなかった。特に背中の傷は、きちんとした処置をせねばなるまい。だがとりあえず、適当な布でも巻いておけばいいだろう。
「当てがう物も他にありません。不快かもしれませんが――」
何をするか察したときには、下衣の布をサリハは引き千切っていた。
裾を絞った、ふわりとした生地。それをまた歯で裂き、包帯の代わりにする。おかげで彼女の左脚が、付け根の付近まで露わとなった。
「風邪、ひいちまうぜ」
「平気です。いつもお腹を出していますし」
慣れてはいても、自身の格好を改めて言うのは恥ずかしいらしい。踊り子は頬を染め、手当てに没頭するふりをした。
「ゲノシスに護衛剣士という役目は、特にありません。トゥリヤはイブレスさまと同じ歳で、双子のように育っただけです」
「ああ……」
羞恥を隠す為の世間話、ではないはずだ。
片や、生まれながらに生き方を強制された巫女。片や何も出来ず、見守るだけの存在。
意味するところの深さにうまく返事が出来ずにいると、サリハは黒い包帯の終端を結んだ。
「どこまで行っちまったかな。急がねえと」
埋もれた扉を瓦礫越しに見やって、足止めされた時間を思う。ザハークならば、千メルテ以上も進めたはず。
もたもたしている猶予はない。竜笛を取り出し、ダージを呼んだ。
「あの子を? こんなところへどうやって」
「あれでダージは、なかなかお転婆でな」
天井が崩れたものの、城の地下には変わりない。見上げても、またどこか分からぬ部屋があるだけだ。
さておき、ダージに乗るには長剣が邪魔になる。ちょうど都合の良い得物の、当てもあった。
「大事な剣を返すぜ。代わりにこっちを借りてくが」
トゥリヤの腕へ長剣を抱えさせ、握ったままの短刀を奪う。中身を失った、師匠の短刀を入れた鞘へ押し込むと、少し緩い。
剥き身で持ち歩くよりは良かろう。紐で適当に縛る。
「何も言わねえのか」
「正しいこととは思いません。でもトゥリヤなら、持って行けと言ってくれる気がします」
死人から物を剥いだのに、サリハは黙って見ていた。何か言いたげではあったので問うと、なかなか面白いことを言う。
「他の奴ならともかく、俺だからな。この女なら、戦って奪えとか言うさ」
「それで生きられるなら、そうしてほしいものです」
「おいおい、痛い目に遭うのは俺だぜ」
トゥリヤが生き返る奇跡だけを想像して言ったのだろう。ザハークの苦情に、「あっ」と口を塞ぐ。
「ハッ、冗談だ。サリハからすりゃ、そうだろうと思うぜ」
「すみません」
縮こまるサリハの肩を、そっと叩く。どう納得したものか、彼女も頷いた。
それからすぐ。石壁を崩す、派手な破壊音が響いた。一度では済まず、二度、三度。その度に音源が近づき、方向がほぼ真上からと知れる。
崩されているのは石壁でなく、石床の誤りだった。
「わざわざ五階の上から?」
「壁に穴を空けると、余計な奴まで入ってくるだろ」
「そんな配慮まで。賢いのですね」
一つ上の床へ下り立ったダージに、サリハの褒め言葉を伝えてやる。と、「ギュエッ」などと気に入らない風で声を上げた。
「何でしょう」
「当たり前だ、だとよ」
「まあ。それはたしかに、私が失礼をしました」
謝罪の苦笑には、まだまだ悲しげな色が残る。けれども今度は「キュウッ」と、一転して機嫌良さげな声にサリハも笑った。
「さあ、機嫌の良くなったところでダージ。一発頼むぜ」
公爵の逃亡したであろう、扉の辺りを指さす。するとダージは首を向け、「カッ」と顎を開いた。
普段よりも抑えているらしく、オレンジの混じる閃光が床を撫でる。
しかしそれだけで床は抜けない。ひと呼吸を置いて、ダージの鉤爪付きの足が鞭のように打たれた。
「すごいです。いとも簡単に」
「俺の相棒は世界一さ」
人がくぐるには大きすぎたが、まあまあちょうど良い穴が空いた。ガラガラと崩れ落ちるのが止むまで待ち、慎重に砂煙の向こうを覗く。
すぐそこへ、何者かの体温が見えたのだ。
「待ってろ。誰か居る」
「誰か――わ、分かりました」
サリハとダージと、動かず待つよう言い置いた。新たに口を開けた暗い通路へ、一歩ずつ瓦礫の山を下りる。
あまり小さな破片のない、しっかりとした足場。手に入れたばかりの短刀を、いつでも抜けるよう身構えた。
「おい、まさか」
山を下りきったところで、何者か
姿を認めてから、まったく動かない。急激に体温が低下していくのも、気になった。
けれども何より、ザハークの知った顔だ。
「セルギン!」
飛盗の総領を倒したのは、公爵だろうか。詮索はともかく、他に誰の気配もない。
ザハークは僅か残りの数歩を、全力で駆けた。
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