第66話:相容れぬ矜持

 掴みかかった手が空を切り、報いに斬撃の嵐が襲った。十二本の刃がほぼ同時に、ザハークの右半身を切り裂く。

 いかに大勢で一人を囲ったとて、直接に手を出せるのは三人が限界だ。それが両手に剣を握っても、六本。尋常にはあり得ぬ攻撃に、為す術がない。


「ザハーク!」

「出て来るんじゃねえ!」


 はたたと散る血飛沫が、背を押したらしい。サリハは身を乗り出し、悲しげな叫びを上げた。


「巫女の掟も忘れさすとは、どうやって籠絡した!」


 サリハに眼を向けた為に、トゥリヤを見失った。居場所を知らす嘲りと共に放たれたのは、背中の側から必殺の突き。


 ――ああ、これほどか。

 ギリッと、硬い物を切っ先が貫く音がした。革鎧もろとも、鱗が剥がされたようだ。

 先の連撃。そしてこの一撃。女剣士の女神イブレスを守る為に、トゥリヤがどれほどの研鑽を重ねたのか。痛いほどどころか、痛みを以て知れる。


「籠絡、だと?」

「サリハさまは頑固な方でな。ご自身が納得せねば、どんな勧めも受け入れない。となれば貴様が、いかがわしい手段で騙したのだろう」


 剣を奪うつもりで、背の筋肉を締めた。が、傷のせいでうまく力が入らない。女剣士が「ふんっ」と声を出すだけで抜かれてしまう。

 刃と連れて、血が噴き出す。手のひらほども床を染めた。


「悪ぶるんじゃねえ。心配しなくても、イブレスは俺が止めてやる」


 刃を抜くのに、トゥリヤは体勢を崩した。その隙に素早く前転で距離を取り、最初と同じ半身に構え直す。


「誰が頼むか。貴様こそ粋がるな、どちらに分があるか思い知っただろう」

「ああ、十分過ぎるほどな。お前の剣を掴んで止めようなんて、甘かった」

「お利口さんだ」


 間合いは、およそ七歩。助走もなく跳ぶには遠い。

 トゥリヤには一足で届く距離のはず。避けるのなら、後ろにまだ猶予があった。


「優劣は決まった。これで終いにしてやる」

「そいつはありがたい。女をいたぶるのは、風聞が悪い」

「抜かせ」


 無傷のトゥリヤは、トントンと軽く跳ねた。縦であったものが、段々と左右に振れ始める。

 幅が大きく一歩分ほどにもなった。即ちあの高速で繰り出される斬撃が、そのどちらを初手とするかはトゥリヤ次第だ。

 切り下げ、切り上げ、切り落としに水平切り。逆方向からと突きを加え、斬撃は九つ。それが二倍に増えたと言って良い。


 ――終いってんだから、一つしかねえがな。

 初手を見極めるのは諦め、必殺の一撃のみを止めるのに集中した。そうすることが、ずっと望まれていた決着をさすことにもなる。


「ハアッ!」


 跳ねた。

 ザハークの左。突き出している右手を無視して、トゥリヤは自身の利き手に渾身の力をこめる。

 連撃ではなく、体重と突進を乗せた捨て身の突き。来るであろうと予測した、必殺の一撃が初手だった。


「意外と素直じゃねえか!」

「あああああっ!」


 雄叫びが威力を増したか、トゥリヤの長剣はザハークの肉を切り裂く。胸を庇った右腕をだ。

 貫通した切っ先が、革鎧の胸へも届く。切り裂きには強靭な硬革も、突きには意味を成さない。


「ぐうぅっ……!」


 息の根を止めんとする進撃が、ザハークに唸り声を発しさせた。

 苦悶に声を上げるなど、いつぶりだろう。だが、その甲斐はあった。握り締めた拳に繋がる腕の筋肉が、長剣を止めた。


「ふぅっ! この馬鹿力がっ!」


 トゥリヤが鍛え上げたのは、速度を主体とした剣術。その為に、長剣も軽く作らせたのだろう。最後の頼みと狙った一撃も、会心の威力とはならなかった。

 女剣士の言った通り、優劣は定まっている。生き死にをのみ問われる場で、トゥリヤの刃はザハークに届かない。


「諦めろ!」


 剣を奪い取り、左手に握る。剣先を封じ、膂力に勝ってはいても、不自然に簡単だった。


「まだまだぁっ!」


 女剣士は、自ら柄を手放したのだ。意味を失くした得物を奪い合っても益がない。素早く判断を下し、腰に付けた短刀を抜く。

 逆手に振り下ろす先は、ザハークの眼。そこだけは、どれほど優れた肉体も守ること叶わない。


「ふんっ!」


 白刃が、一人の命を奪う。振りぬかれた向きは、垂直でなく水平。

 深く。はらわたが刻まれて飛び出るほどに、深く切りつけた。加減をする猶予などなかった。

 宙を飛び、反り返り、石壁に打ち付けられる。だだだっと、背を磨り下ろすように落ち、トゥリヤは蹲った。

 ちょうど腹を庇い、片膝を突いた姿勢で。


まだ・・生きてる」


 どうなったのか。問うサリハの眼に、死が目前と答えた。彼女は息を呑み、すぐさま駆け寄る。


「トゥリヤ……」


 両膝を折り、踊り子は女剣士を抱きしめる。戦い疲れた騎士を労る、優しき主君のように。


「サリハ、さま――」

「ごめんなさい。何も出来なくて」


 既に閉じていた眼を、トゥリヤは開けた。しかしそこに、もう光はない。焦点の合わぬ視線を泳がせ、首を振った。

 水平に、二回。ゆっくりと、ゆっくりと。

 最後に力尽き、項垂れる。ザハークに勝負を挑み、噛みつかんばかりだった表情のまま。


「迎えに来るから」


 十を数えるほど。サリハは騒がず、村の同胞を抱きしめたままでいた。

 やがて立ち上がり、もう一度トゥリヤに触れる。頬をそっと撫で、瞼を閉じてやった。


「ザハーク、お願いです。イブレスさまを、公爵閣下を止めてください」

「そのつもりだ。代金はもう、先払いで貰っちまったからな」

「先払いで?」


 その問いに、ザハークは視線で返した。サリハにでなく、物言わぬ身となったトゥリヤへ向けて。

 僅かも共有出来なかった矜持だが、イブレスへ届ける報酬には十分だ。

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