第65話:忠実なる剣士

 正面の自然体。剣先を石床に向けたトゥリヤは、仕切り直しと示すように深呼吸をした。

 次に動いたのは、切っ先を掬い上げての突き。細身の刺突剣エストックならともかく、重量のある片手持ちの長剣ブロードソードでは本来あり得ない。


「この国に何が起きるか、教えろと?」


 突きに継いで突き。刃を返し、撫で切りかと思えばまた突き。外れた先が石壁でも、お構いなしの攻勢。

 重心を取るのに上げた反対の手が、リズムを刻むように艶めかしく動く。緩急著しいステップが、燃えるようなメロディーを奏でる。返事をしたくとも、息をする暇さえ与えられなかった。


「その程度を察せぬ愚か者が、イブレスさまに近づこうなどと。笑止」


 怒りや嘲りは、その顔にない。笑止と言いつつ、笑みなど欠片もない。

 邪魔だから排除する。排除とは邪魔者を、ザハークを殺すこと。単純明快な殺意だけが伝わってくる。


「売った」


 たった、ひと言。売ったと告げただけで、トゥリヤの舞踏は止まる。


「ほう?」

「闇の炎を売ったな。相手は知らんが、どうせ東だ。横流しの犯人が巫女さんってのは間違いねえが、主犯は公爵自身だったって落ちとはな」


 公爵は厳戒令を発し、他国からの干渉を訴えた。にも関わらず使者らしき姿は現時点までない。だから最初は、国の乗っ取りをする隠れ蓑としての嘘だと考えた。

 だがやはり、これから食う果実を採る手段に見えなかった。公爵のやり方は果樹の根を腐らせ、かろうじて付いた実さえ棍棒で叩き落とすものだ。

 極め付きは、大量に隠し持つという闇の炎。

 もしもの備えとして。例えば自在にならぬ騎士団長もろとも、騎士団を消し去る手段にすると思った。けれどもこの広い隠し部屋にさえ、闇の炎は蓄えられていない。

 つまりそれは、既に浮遊島から出されたということだろう。


「南は喧嘩っ早いが、馬鹿ばっかりだ。あの公爵と巫女さんを受け入れる代わりに、国を一つ買おうなんて考えねえ」

「さて? それは誘導尋問のつもりか」


 いつでも突きを繰り出せる姿勢で、トゥリヤは笑った。ほんの僅か、口角の辺りを引き攣らせた程度に。


「ハッ。俺もお前と同じで、真実なんかどうでもいい口だ。サリハの依頼を叶えるのに、悪人が誰かって事実が必要なだけでな」

「最もどうでもいいのは、貴様の言い分だ。そう言いながら、少しでも何か知ってやろうという魂胆が気に喰わん」


 たしかに知りたかった。女剣士は、どうするつもりか。

 黄昏の巫女という職から逃げるイブレス。王の補佐に飽きでもしたのか、巫女の先導をする公爵。

 忠実を通り越して狂信的とも言えるトゥリヤが、イブレスを他の者に任せて平気なのかと。

 けれどもそれは、つい先ほどまでだ。ずっとザハークに冷徹な態度を向け続けた女の、初めての意識的な笑みが全てを物語った。


「ああ、そうだ。貴様はたしか戦場以外で女と戦わないとか、ふざけたことを言ったな。今はどうだ」


 やはり。推測の正しいことを、ザハークは確信する。トゥリヤはイブレスを追う気がない。ザハークには敵わぬと、自身の力量を見定めている。

 だからと諦めて投げやりになってはいない。これはトゥリヤの、全身全霊をかけた時間稼ぎなのだ。


「今は――もちろんここは、戦場だとも」

「ならば戦え。特等などと煽てられる貴様の実力を、私に見せてみろ」


 伸ばしていた腕を縮め、腋を締め、トゥリヤは剣身にもう一方の手を添えた。眼を瞑り何ごとか呟いたのは、崇める者への祈りに違いない。

 その眼が再び開かれ、「どうか」と問われては。ザハークに断る言葉は存在しなかった。


「分かった。叩き潰してやる」

「ほざけ」


 忌々しい素振りでフッと息を吐き、女剣士はサリハに眼を向ける。

 残った扉の向こうへ伸びる通路に立ち、悲しげな顔でこちらを見つめる踊り子。ザハークとトゥリヤと、両方へ偏りなく首が動く。


「サリハさま、私には定められた使命がありますれば。貴女に心を砕くことが出来ませんでした。許せとは申しません。なぜなら私は、イブレスさまにお仕えした自分を誇っているからです」


 サリハも何となく察したようだ。必死に首を横へ振り、思い留まるように腕を伸ばす。だがそれも、トゥリヤは剣の一振りで拒む。


「では我流ながら、私の技を見るがいい」

「気にすんな。俺も誰に習ったわけじゃねえ」


 祈る姿勢から、トゥリヤは剣を高く掲げる。一見無防備な体勢でも、先の鋭い剣閃を見た後では飛び込めない。ザハークは右の平手を突き出し、半身に構える。


「我が女神に捧ぐ。剣舞ソレア!」


 くるり。トゥリヤが一回転したと思うと、姿を見失った。宙に残った体温の残像を追って、ただ足を屈めただけと知る。

 存分にバネを溜めた姿勢から、女剣士は跳ぶ。ザハークの備えた右腕のさらに右へ。

 単に死角を衝くのだけが狙いでない。武器を持たず、間合いに劣るザハークの得られる反撃の機会は限られている。それはトゥリヤの攻撃を捌いた、次の一手として。

 その攻撃を担う右手で捌かざるを得ぬ状況にすれば、ザハークの手順を二つ遅らせられる。これが威力一辺倒でない、この女の戦い方なのだろう。


「まだ甘いぜ!」

「そう思う貴様こそだ!」


 剣身を掴み、武器を封じようとした。だが出来ない。トゥリヤの操る剣は、ザハークの眼にも十二本にまで見えた。

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