最終幕:復活の女神

第63話:入り交じる声

「ご機嫌麗しゅう、公爵閣下。てめえの忠実な護衛は死んじまったぜ?」


 壁の向こうは、思った以上に広い部屋だった。五メルテ四方といったところか。対面と左右の壁に、一つずつ扉がある。

 公爵の隠れ家としては、用意された家具が寂しい。並んで四人ほどが使えそうな長机、対になるらしい巨大なソファが一脚あるだけだ。


「うん? 誰のことかな」

「俺を殺さなきゃ、あんたの所へ戻れない。他にやりたいことも、出来ることもない。生まれて此の方、そういう道しか知らなかったんだろうな。頭が固いったらありゃしねえ」


 ソファと言っても、あるいはベッドかもしれない。座面が普通の二倍以上もあり、背もたれが遠い。

 脚を伸ばし、半分寝そべるように掛けた公爵の隣には、イブレスが同じくくつろいだ。


「――ああ、騎士長のことか。キャンキャンとやかましいのを堪えて使ったが、結局は口だけの男だったな」

「まあたしかに、もう少し自分ってものを知ったほうが良かったな。だがうまく使ってやれば、ありゃあ化けたぜ」


 騎士長の愚直な性格自体は、嫌いでなかった。味方であれば、友として出会えば、信頼出来たのかもと思う。

 もちろん蛇人を見下すあの男に、望むべくもなかろうが。


「何だ。蛇人の分際で、あれに同情しているのか。それともまさか、私の責を問うつもりか?」


 戦場で、敵と味方として出会った。それはもう、殺し合うしかないのだ。

 ましてや騎士長は、ザハークのように自分の都合で動けない。他人に仕え、駒として使われる身なのだから。


「いや? もったいなかったと教えてやっただけさ。次に生かす機会はないだろうがな」


 一つの命ごと、どれだけ効率よく敵の力を削げるか。それが戦争や軍隊の在り方であろう。

 そんな物の一員に組み込まれるなどと、ザハーク自身には堪えられまい。

 だがせめて、望んだ者は。その駒なりの、有意義な使われ方をされたいはずだ。貴婦人のドレスとして生まれ、いきなり床掃除に使われては立つ瀬がない。


「いや。せっかくの諫言だ、生かすとしよう。覚えていればな」

「何だ? 暇が過ぎて、もう呆けちまったのか。必要なら、遊戯盤ボードゲームくらい持ってきてやるぜ。使わなきゃ、頭もすぐに錆びつくからな」


 対面する距離は、およそ五歩分。ザハークならば、ひと息で手が届く。だというのに公爵は、余裕の笑みを崩さない。


 ――何か用意でもあんのか?

 丸腰だからと、戦って勝てるつもりか。まさかあり得ない。単純に身体の大きさだけでも、大人と子どもの差に近い。

 仕掛けのあることを前提に見回したが、それらしき物はやはりなかった。


「サリハ。あなたは何をしに来たの?」


 公爵にしなだれて寄り添う、イブレスが問う。

 素よりこの巫女は、巫女の厳かさよりも朗らかな笑みのほうが目立っていた。それは個性で、取っ付きやすくていいとさえ最初には思ったものだが。

 しかし今は、別人としか思えない。

 公爵の胸に置いた手。肩に乗せた頭。はだけたローブから覗く脚。斜めに見下ろすような視線も併せて、思い浮かぶ職業は娼婦だ。


「巫女である私が許します。口を聞いていいから、答えなさい。そんな蛇人なんかを誑かして、のこのこと何をしに来たの」


 誰かサリハに、柑橘の汁でも飛ばしたろうか。彼女は正面に向きながらも、直視に堪えないとばかり眼を細め、最後には顔を背ける。

 そうしてまた、思い直して見つめる。そんなことを何度も何度も繰り返していた。


「答えなさい。あなたのその、真面目ぶった態度が気に入らないの。最初に会ったときから、ずっとね」


 巫女の踊り手は、巫女の近くで声を発してはならぬ。以前に聞いた掟に従い、サリハは黙って首を横に振った。


「あんた、巫女を辞めるつもりらしいな。何なら今、この場でサリハに譲ったらどうだ。そうすりゃ心置きなく、話も出来るだろうよ」


 彼女の真っ直ぐな気持ちは尊敬に値するが、話の進まぬのも間違いない。代わりと言っては僭越だが、核心であるところの解決策を提案してやる。


「巫女を譲れ、ですって――?」


 思いつきで言ったのは否定しない。けれども互いが希望するのなら、何も問題ないはずだ。

 という予想に反し、イブレスは声を低くした。悪しざまな言葉こそないものの、明らかに罵る口調で。


「何だ、気が変わったのか? それとも公爵の味方ってのは、はなから芝居か?」

「何も知らないくせに、勝手なことを言わないで」


 公爵に遠慮してか、怒気を抑えている風だ。それでも眼が吊り上がり、苛立ちに奥歯を噛み締めている。


「何も知らないってこともねえさ。あんたらの村には行った。言葉で言い尽くせないくらい、酷い有り様だ。あんたとサリハと、二人して救うんじゃなかったのか」


 ゲノシスの村を見たと告げても、イブレスはさほどの反応を示さない。むしろ呆れたように首を振り、額を手で押さえる。


「ええ、そう。あれが私の生まれた村。誰も彼も生きながら死んでるみたいな、しみったれた村。私は生まれながらに、守れと言われたの。巫女になって村を守れ。そうしないと空が降ってくる。何十倍も歳を取った人たちが、何人も私を囲んで言った。もう決まっていることだとね」


 クスクスと、僅か笑声が零れた。嗚咽めいて、「無理よ――」と静かな怒りが溢れる。


「代わってもらえるなら、代わって欲しかった。血筋と、生まれた日と、そんな理由で決められたの。私が決めたわけじゃない、神聖なる巫女にしてなんて頼んでない。でも誰も、代わってくれなかった!」


 イブレスは天の方向を仰ぎ見て、大きなため息を吐く。公爵は巫女の頭を胸に引き寄せると、髪を梳くように撫で始めた。

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