第61話:隠し部屋
薪を割ろうとするような、真っ直ぐの剣筋だった。ザハークはその幅広い刃を、前回しの蹴りで弾き飛ばす。
くるくると円を描きつつ、両手剣は床を滑っていく。得物を奪われた騎士長は、前方へバランスを崩してつんのめった。
体勢を戻そうとするでなく、彼は大きく息を吐いた。もう疲れたと、身体が正直な気持ちを示す。
「楽にしろよ」
がら空きの首へ、後ろ回しの蹴りを叩き込んだ。くぐもった、鈍い音が鳴る。吸いつけられるように、騎士長は石床へ沈む。
焦点を見失った視線が、まだザハークを追おうとしていた。しかし喘息のような呼吸が抜けるばかりで、指一本とて動かない。
「名前。聞いといたほうがいいか?」
正面に立ち、見下ろす。紡いだばかりの糸束のように、騎士長の首は一回転していた。もう、いくらも持つまい。
恨みを向けてきた相手は、名を残したがるものだ。死した後も、記憶がザハークを縛るとでも思っているのだろうか。
騎士も名乗りたがるものであるから、彼の名を聞いてやるべきかと思った。たまたま敵対しただけで、ザハークには好く理由も嫌う理由もないのだ。
「……ふ、ふざ……け」
ふざけるな。だろう、たぶん。
それが希望なら、もう掛ける言葉はなかった。とどめを刺すことさえ、誇り高き騎士長は嫌がるに違いない。ザハークは「そうか」とだけ答え、歩き始める。
「唯一、師匠から貰ったんだがな」
走って、サリハが追いついた。物言いたげだのに、言いあぐねている。会話の糸口になるかと考えて、折れてしまった短刀の柄を見せた。
「だから、殺したのですか」
「だから、じゃあないな」
苦笑で答えると、彼女も困って頷いた。しかし「では正解を」と問われたとして、答えられない。結局のところ、戦っている敵同士だからだ。
賢明なサリハのことであるから、何となくで伝わるだろうか。そう思い、まずは証拠に短刀の柄を放り捨てる。
あっけなくも、師匠に繋がる品は暗がりに消えた。
「あの男の価値観に合わせてやったつもりだ」
「騎士長が死にたがっていたと?」
「ちょっと違う。負けたら、って単純なもんでもねえが。こうなったら死ぬしか道がない、って場所があるんだよ。きっとな」
ザハーク自身の納得がいくように、言葉を繋ぎ合わせた。自己弁護の方便になってしまったかもしれない。だとしても大した問題ではないけれど。
――俺は奴と戦って、殺した。それだけのことだ。
「分かる気はしますが、分かりません。ザハークも、そんなことを思うのでしょうか」
「ないない。俺が考えるのは、どうやったらうまい物が食えるか、面白い物はどこにあるか。それだけだ」
「それなら理解したことにします」
サリハはそれきり、騎士長の倒れたほうを振り向かなかった。ザハークと足先を揃え、同じ速度で歩く。
「どこへ向かっているんでしょう」
「もちろん公爵のとこだ」
問われたのは、上階への階段を通り過ぎたからだ。この隠し部屋に公爵は居ないと聞いたのだから、当然ではある。
「俺は捻くれ者でね。そこにはない、なんて言われたとこから探したくなるのさ」
「ザハークが捻くれているとしたら、きちんと考えたのを恥ずかしがって内緒にするところです」
――おやまあ、見透かされちまった。
騎士長の嘘をどうして見抜いたか、サリハは考えているようだった。周囲と足元とへ注意を払いながら、「うぅん」と唸る。
「闇の炎、ですか? 公爵閣下は、たくさんの闇の炎を抱えていると聞きました。誰にも知られず置くなら、ここしかありません」
「まあ、そんなとこだ」
間違っていないと聞いて、サリハは微笑んだ。しかし一瞬のことで、すぐさま元通りに引き締める。
「そんなに緊張してちゃ、疲れちまう。怖ろしげに作っても、そんな可愛い顔じゃ和ませるだけだ」
「かっ、可愛いなんて」
ザハークに見えぬよう、彼女は顔を逸らす。そこまで照れなくともと思うが、気持ちが紛れたならそれでいい。
「潜めそうな場所がありませんね。何か邪な感じがして、気味が悪いです」
部屋へ入ったのと対面の壁に当たり、その壁に沿って歩いた。サリハが感想を言ったのは、最初の角に至ったときだ。
まだ半分も進んでいないが、直線の壁に囲われた長方形の空間と思われる。歩測に依れば、城の半分近い面積があった。
よく磨かれた石壁が、微かな光も反射して煌めく。等間隔に並ぶ柱も簡素な彫刻が陰影を濃くして、一本ずつが神像のようだ。
邪神の神殿と紹介されれば、信じただろう。
「たしかにな。でもその邪な感じってのは、このことか?」
「何です?」
細かな凹凸のある壁。その一カ所に手をかけた。睨んだ通り、力をこめやすいよう、そこだけ完全な平面がある。
引いてみると、滑らかに動いた。ザハークの膂力には、重さがないと思えるほど。
「これは――石壁そのものが引き扉になっているのですか」
「らしいぜ?」
隠し部屋の角部分へ、石壁の一部が吸い込まれていく。サリハの言うように、その部分が戸袋になっているのだ。
「ご対面だ」
普通の扉が二枚分の入り口が現れた。目の前はまた壁だが、その向こうにヒソヒソと話す声が聞こえる。
一人は公爵に違いあるまい。予測されるもう一人と、顔を合わす心の準備が出来ているか。無頼な賞金稼ぎは、優しい踊り子に問う。
「私は私の使命を果たします」
「なら俺も、依頼を果たすだけだ」
二人は並んで、目隠しの壁を回った。
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