第60話:騎士長の誇り

「おいおい、何だこりゃあ」


 想定外だった。

 通路から錠も備えられぬ扉を開け、いざ公爵と対面。と、思っていたのに。


「柱だらけですね」


 広大な空間があった。背から下ろしたサリハの言う通り、数えきれぬほどの柱が等間隔に並んでいる。

 床は整然と正方形の石畳で、背後の左右へは石壁が延々と続く。どういう造りか、ほんのりと明るい。それでも地下には違いなく、果てはあるはずだけれど。


「労力を減らすのにとか、言わなくて良かったぜ――」

「労力を、何です?」

「何でもねえ、独り言だ」


 見上げるサリハは放って、歩き始める。怪訝な表情に答えてやる暇はない。

 敵は、すぐそこだ。


「えぇぇいやぁぁっ!」


 攻撃による隙など構わぬ。渾身の一撃が決まれば、相手は死ぬのだから。そういう気迫と力のこめられた一撃が、左手の側から振り下ろされた。


「ザハーク!」


 足音はほぼないに等しかったが、踏み切りと気合いに驚いたのだろう。サリハの悲鳴が暗がりを貫いた。


「ぬぅん!」


 無事を答えてやる余裕はなかった。十分な高さを跳び、手にあるのは長大な両手剣。受けた短刀が軋み、折れる。

 甲高い断末魔の後、破片が遠く飛んでいった。残ったのは柄から先、十サンテ余り。


「立ち直りの早い野郎だ!」


 強引に受け流し、がら空きとなった腹へ蹴りつける。防御をかなぐり捨てていた敵は、まともに受けて跳ね飛んだ。


「ぐげっ――」

「サリハ、動くなよ。危なけりゃ、通路に戻ってろ」

「は、はい」


 床を滑った敵が、自らの吐瀉物をかぶる。しかし構わず跳ね起き、息も荒く両手剣を構えた。

 サリハの声は、安堵の色をしている。敵の存在そのものより、ザハークに被害のないことが優先されるようだ。


「思った通り、この隠し部屋をも見つけたか。だが残念ながら、閣下はもういらっしゃらぬ」

「ああ、やっぱり居たのか。親切に教えてくれてありがとうよ、騎士長殿」


 天空騎士団の騎士長は、己が余計なことを言ったと気づいていなかったらしい。ザハークの返答に舌打ちをして、滴の垂れる顔をさっと拭う。


「知ったとて、意味のないことよ。貴様の特等たる所以は、竜にある。生身であれば、ただの薄汚い蛇人に過ぎぬ!」

「ん? ああ、その通りだな」


 訂正すべき点はなかった。だから素直に認めたのだが、騎士長は気に入らぬ風で唾を吐き捨てる。


「貴様、どこまで私を馬鹿にすれば気が済むのだ!」

「何でだよ。合ってんだから、いいじゃねえか」


 片や、手入れの良さそうな両手剣。片や、徒手空拳に近い。次の攻防の機会は、騎士長に委ねられている。

 いかなザハークにも、あの重い刃を受ける奇術の仕込みはない。


「誇りはないのかと言っている。貴様は曲がりなりにも、我が隊を一撃の下に砕いた。私はそんな貴様の弱みを突いたのだ!」

「だから焦って悔やめってのか? むしろお前の言い分に困るくらいだぜ」


 きっと、負けたことがないのだ。騎士長は歯軋りまでもして、忌々しさを表情に示す。


「俺にものを教えた人間も、随分と勝手な男だった。教わったのは、手段を選ぶ贅沢なんて弱い奴にはない、ってくらいだがな」


 自身の一生という強敵に勝つ方法を教えてくれた。そんな師匠も、戦う相手に拘って帰らなかった。

 だから目的の達成に必要ならば、ザハークはどんな手段も選択出来る。

 どれだけ馬鹿にされようと生き残ったほうが得、と考えるのは容易いことだ。


「やかましい、どこまでも我慢のならん奴だ。金輪際、会わぬようにしてくれる」

「ああ、そうしようか」


 じり、じり、と。互いに僅かずつ間合いを変える。ザハークは遠く、騎士長は近くへ。

 今の時点で、両手剣は届く。ただし致命傷を狙うには足りない。あと半歩離れれば、騎士長が攻撃を仕掛けるのに二動作が必要となる。

 それは両手剣よりも素早く動かせる、拳という武器に有利な間合いだ。


「はあっ!」


 突如。騎士長は間合いの調整を諦めた。手足の長いザハークに有利と、見切りを付けたのだろう。

 一撃必殺を狙って大振りの構えだったのも改まっている。素早い横薙ぎを避けると、勢い殺さぬ斜めからの斬撃が降ってくる。

 その次には両手剣の重量を乗せた回し蹴りが側頭を狙い、また横薙ぎが襲った。


「くっ、あんた、槍より上手いな!」

「やかましいと言っている!」


 同じパターンが繰り返されはしない。横薙ぎに次ぐ横薙ぎ。かと思えば突きが入り、切り下ろしのフェイントも加わる。

 間合いに劣る腕を使うことと、流れの止まる縦方向の攻撃はない。動き続けることで反撃を許さぬ作戦に、ザハークはその通りされるがままだ。


「騎士とは、主の盾。主の剣なのだ!」

「ああん?」


 騎士長は鎧を外し、綿入れ姿となっていた。おかげで長く体力が続くだろうが、両手剣はサリハの体重よりも重かろう。やはりいつまでもは持たぬはずだ。


「主を捨てることは、己を捨てること。私は生まれながらに、そう決められていた」

「気に入らなきゃ、道を外れることも出来たろうよ」


 段々と、斬撃の勢いが落ちていく。軌道も安定せず、石の柱をかすめる数が増えた。


「まあ分別付くころには、そうも言えなくなっただろうがな。でもそう言う割りに、王さまは見捨てたんだろ?」


 大きく振りかぶった一撃が、柱を穿つ。食い込ませたまま、騎士長は肩で息をした。


「身分ある者の良識とは、ひと筋縄でいかぬのだ」

「庶民で良かったぜ」


 ザハークを仕留めずして、再び公爵と見えることは出来ぬ。その覚悟が、苦しげな視線に炎を宿し続けた。

 戦士として、十分な鍛錬は積んでいる。だが如何せん、実戦の場数が足りない。技術でなく、攻めどき、攻めどころの勘が鍛えられていない。

 ザハークに勝てないことを、騎士長も理解しているようだ。


「待ってやる。ここから動きもしねえ。好きに打ち込んできな」

「……戯れ言を。後悔するな」


 息を整える時間を、ザハークは悠然と待った。半身に構え、どんな動きも見逃さぬ用意だけはして。

 三十ほども数えたころ。騎士長は剣を正面に構える。すうっと大上段へ持ち上げ、大胆に間合いを詰めた。

 最初の奇襲からは見る影もない、弱々しい斬撃が振り下ろされた。

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