第52話:望まぬ再会

 神官の指よりも太い、大仰な鍵。それで開けられたのは、部屋の奥の何でもない壁だ。


「偽装されてる?」

「誰もがなにもかもを知れる。それはむしろ不健全だ、との教えがあります」

「どの口が言うんだよ」


 怖ろしい蛇人に見下ろされ、扉を開ける。さぞ緊張するのだろう。神官は手を震わせ、ザハークのほんの少しの動きにもビクッと反応した。

 発する言葉も全て詰問に聞こえるらしく、問うていないことまでぺらぺらと喋る。


「この奥か」

「は、はい。神官長のお部屋の並びが、懲罰房となっております」

「――趣味のいいこった」


 この部屋へ着くまで通り過ぎた、たくさんの居室。その裏に、人が二人並んで歩ける隠し通路があった。

 聞けば神官長の部屋には、いくつかある隠し扉からしか行けないらしい。また、進むうちに昇りの階段も見つけた。上階との境は押し上げる格好の板扉になっている。

 ――つくづく後ろめたい建物だぜ。


 やがて南側の通路の中央辺りへ差し掛かった。教義らしい言葉の羅列が、延々と続く壁に書きつけられていた。

 無垢の木の色に、液垂れも気にせぬ筆致。黒い色が、血の乾いたようにさえ思えてしまう。


「まだ居るのであれば、その部屋に」


 神官の一人が、手にしたランタンを捧げて方向を示す。表向きの通路と同じ扉が、たしかにあった。


「サリハ!」


 駆け寄り、取っ手を握る。が、押しても引いても動かない。閉じ込めているのだから、錠がかかっていて当然だ。


「鍵は!」

「は、ははっ!」


 開けるよう言ったものの、待ちきれなかった。握った取っ手を根本から折り、扉の表面に傷を付ける。そこへ短刀を当てがい、思いきり蹴りつけた。

 厳重ではあるが、扉そのものが薄い。べキッと鈍い音を立て、斜めに割れた。


「サリハ、無事か!」


 なおも遮る扉だった物を蹴り開け、部屋へ踏み入った。

 何もない。

 椅子もテーブルも、灯りも。城で与えられた部屋の半分しかない空間に、手足を縛られた踊り子の倒れている他は。

 背中越しに、神官たちの逃げていく気配があった。しかし構う理由もない。


「おい! 生きてるか、おい!」


 跪き、なるべく動かさぬよう頬を叩いてみる。と、冷たかった。

 ドクン。胸の鼓動が高く、大きく打った。触れている物の手触りと裏腹に、熱い血潮が身体中を駆け巡る。


「おい、本当に死んじまったのか。おい。おいったら、おい!」


 肩を揺すり、手を持ち上げた。

 狸寝入りなら、どこかに不自然な硬直などが表れる。寝たふり病人のふりの暗殺者など、今まで何人と出遭ったか分からぬほどだ。

 けれどもそんな気配はない。そしてやはり冷たく、見た目通りの肉の重さを感じるだけだった。


「くっそ……」


 最後に首すじへ手を触れようとした。どんなに肥満体型の者でも、そこで脈を取り損ねることはない。

 だから最後になってしまった。脈がないと分かれば、サリハの死を認めぬわけにいかないのだから。


「いったい何ごとかね」

「それが神官長さま――」


 聞き慣れぬ声がしたのは、そのときだ。振り返ると、逃げた神官が部屋の入り口へ戻っている。

 それにもう一人、同じ白いローブだが、凝った刺繍の肩掛けを羽織った男。どうやら神官長のようだ。


「おや、死んでしまったか。昨今の若者は軟弱で困るね。私の若いころは二、三日の瞑想など当たり前だった」


 騎士団長と同年配。五十前後だろう。短く刈られた白髪、髭の手入れもいい。痩せてどこか公爵を思わせる風貌。

 その口が、嘲りに笑う。


「へえ? お前がここへ入れたのか。世話もするなと、お前が指示したのか」

「ふむ。そうするよう仰ったのは公爵閣下だが、直接に指示したということであればね」


 握ったままだった手首をゆっくりと置き、立ち上がる。

 殺気は隠さない。まず短刀を、次に身体を、無防備に立つ神官長へ向けた。


 ――すぐに殺すわけにはいかねえ。公爵のことを知ってるなら。

 そうでなければ、ふた言目くらいには屠っていた。

 少なくとも笑い病の原因を知らねば、公爵当人とて殺せない。あの男が居なければ、治せぬ可能性のあるうちは。そんな理屈を呪文のように頭へ浮かべた。

 そうでなければ、ふとした瞬間ごとに屠っていた。


「ああ、でもそうか」

「ん、何かね?」


 危害を加えぬ理由を探していたのに、見つけてしまった。思いつきを「そうか」と漏らし、神官長が愉快げに首を傾げる。


「腕の一本くらいなら、死にはしねえな!」


 サリハが死んだと理解して、抑えきれなかった。普段のザハークにはないことだ。

 ある程度親しくなった者が、自身の失敗の巻き添えとなる。その経験も二度や三度でない。もちろんその度に憤ったが、どれもこれほどではなかった。

 きっとこの男や公爵が、この上なく腹立たしいからだろう。きっとあまりに隙だらけで、油断をしてしまったのだろう。

 ザハークにはそんな風にしか、自分の感情を解せない。


「実に聞いた通りだね!」


 パァン、と薄い陶器の割れる音がした。それはザハークの跳ねた先。神官長の跳び退いた足元。

 一瞬にも満たぬ短い空白の後、暗い闇色の炎が立ち昇った。

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