第50話:神殿内へ

「建物へ入れろとは言っておらん。前庭を貸してほしいのだ。応急の手当てと、動けぬ者を休ませてもらえれば言うことはない」


 生き残った者の具合いに応じて、再編成をせねばならなかった。

 弓が使えずとも、槍を構えることが出来れば頭数にはなる。槍が使えずとも、矢を運ぶ役は出来る。

 そうやってもう一度、用を為せる数を把握せねば、実効を持つ指揮など不可能だ。


「ここは女神の御座すところ。騎士団長さまのお言葉であっても、荒事は持ち込めませぬ」


 城壁と比べれば、神殿を囲む石壁は薄く低い。しかし攻められる方向を限定出来るのは、大きな意味を持つ。

 まして石造りの神殿そのものへ入れば、巨鳥による破壊は難しい。

 しかし神官戦士たちは、敷地への進入を一歩たりとも許さない。


「それを押して頼んでおるのだ。我らが滅びれば、この神殿も盗っ人どもに蹂躙される。それくらいの理屈は分かるであろう!」

「そうならぬ為に、このハンマーはあります。それでも穢されるとあれば、ミトラの加護が潰えたということでしょう」


 両手で持てる長い柄に、鎚頭と鋭い突起ピック。戦闘用の鎚を突き出し、神官戦士は騎士団長を押し返した。

 門を守るのは二人だが、格子扉の向こうに数十人の待機する姿が見える。誰も清潔に洗ってありそうな、真っ白のローブが眩しい。


 ――こいつら、笑わねえな。

 騎士団長が言うところの笑い病。神殿に居る者は、罹患していないらしい。

 国王、公爵、近衛の騎士と兵士。加えて奴隷に、離れた場所へ住む神官。影響にない者たちの共通点が、果たしてあるものか。ずっと考えているが、分からなかった。

 例えば薬物などを、公爵が与えているのだとしたら。奴隷の説明がつかない。


「見事な覚悟だ」


 分かった。と騎士団長は、詰め寄る神官戦士を押し戻した。言葉とは裏腹に突き放す動作であったし、噛み締めた奥歯がギリと鳴っている。


「ならば門の外、外壁の影で我慢するとしよう。それも貸せぬとは、よもや言うまいな」

「それはもちろん、存分にお使いくださいませ」


 勝ち誇ったとしか見えぬ笑みで、神官戦士は頷く。いかに騎士団長の身分が上でも、女神には敵わぬらしい。


「指示した通りだ。外壁に沿って並び、隊を組み直せ。どうにも動けぬ者は、神官どもに預けよ」


 伝令に言って、指示を全員に行き渡らせる。疲労困憊の騎士と兵士は、肩を貸し合ってその通りに動いた。

 役目を果たして満足顔の神官戦士たちは、そそくさと元の位置へ戻る。


「じゃあちょっと、野暮用を済ませてくるぜ」

「間に合うか?」

「さあな、その時は先に行ってくれ。その間に俺は、よそへ逃げるとするさ」

「ふん、貴公にはその自由もある。好きにするがいい」


 冗談のつもりで言ったのに、団長は真面目に首肯する。これを慌てて否定するのも格好が悪く、「やれやれ」と肩を竦めるに留めた。


「まあ、この国の良心が死なねえことを祈ってるぜ」

「煽てるな」


 言い捨てて、外壁沿いを走る。戦旗と兜も置いてだ。

 いくらか進むと、太い石柱があった。支えの役目より、装飾の意味合いの強い物だ。外壁よりも分厚く、これに沿えば見つかりにくい。


「ちっとは慣れてきたな――」


 関節を外すのに、音が鳴るのはどうしようもない。戦場を見下ろして、たったこれだけを聞き咎められれば、それは運がなかったのだ。

 ほぼ凹凸のない斜面を這い、外壁の上に到達する。振り返って見上げれば、ちょうどダージが囲まれるところだ。


「適当なところで逃げろよ」


 呟いても、当然に届かない。だが頭のいい相棒のことだ、その通りにするだろう。

 蛇の格好のまま、壁を飛び降りる。手入れの行き届いた前庭だ。揃いに刈り揃えられた植え込みに隠れつつ進む。蛇の姿であれば、見つかってもごまかしようがあるはずだ。


「居てくれよサリハ」


 総石造りの三階建て。間口も奥行きも、百メルテ近くある。上から見るとほぼ正方形で、中央には屋根がなかった。そこに見えた水場が、光の泉に違いない。

 ダージに乗って、この上は何度も飛んだ。城の中も探し尽くした。ならば残るは、神殿しかないのだ。

 もしも居なければ、この世に居ないと判断するしかない。


「彫刻だらけで登りやすいったらねえな」


 どんな建物も、屋根の付け根辺りに空洞があるものだ。換気用だったり、明かり取りだったり。

 この神殿も例外ではなく、三階の上部に大きな隙間があった。辿り着けさえすれば、人間の子どもでも入れそうな大きさの。

 その穴へ至るまで、壁には隙間なく彫刻があった。セルギンに聞いた神話の様子でも描かれているらしい。

 途中、浮かし彫りの像にも出会った。この神殿がいつ拵えられたものか、とんでもない手間がかけられている。


「自分にばかり銭をかけて、従ってくれる奴らには分けてやらねえ。どっかで聞いた話だな」


 皮肉を擦り付けながら、空洞を抜けた。屋根裏かと思えば、広い空間へ出た。

 建物の幅いっぱいを使った回廊のようだ。上空から見た通り、四角形に中庭を囲んでいる。内側の壁はなく、眼下に泉を見下ろすことが出来た。


「おいおい、見晴らしがいいじゃねえか」


 悪態を吐きつつ、関節を元に戻す。ラエトが奴隷たちを掌握する前に、囚われの踊り子を探し出さねばならない。

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