第49話:臍噛む老騎士
「ダージ。お前にも頼む、さっき戦った奴だ。あいつに教えてやってくれ」
「キュエッ」
頭上へ留まっていた相棒にも役割りがある。高く飛ぶグレーの巨鳥を指さして言うと、白き竜は舞い上がって行った。
「竜と言え、畜生に分かるのか」
「さあな。少なくとも俺が乗ってないのを、奴が知ればいい」
「セルギンと言ったか。打ち合わせてもおらんのだろう」
ザハークの策に、飛盗たちの動きも重要だった。神殿へ撤退する主力ばかりに関わらず、別動隊にも矛先を向けてほしい。城壁で見物を決めこんでいる、近衛にも手出ししてくれれば上出来だ。
「そもそもが苦し紛れの悪足掻きってやつだ。たまたま察してくれるとか、そういうのに期待するさ。うまくいったら、みんなで拍手でもしてくれ」
「危うげなことを」
「何だ、やめとくか?」
問う横で、主隊の隊列が整ったと騎士団長に報告があった。分かったと頷き、出発の合図よりも先に答えがある。
「過去、二十年。この浮島に昇れた軍さえなかった。分かるか? 五十を目の前に、わくわくとする気持ちが。騎士となり、初めて剣を賜ったあの日に返ったようだ」
「そいつぁ結構。錆びついてないことを祈るぜ」
「女神ミトラの名にかけて、それはない」
力強く言いきり、騎士団長は列の先頭へ立った。旗持ちとなったザハークも、そのすぐ後ろへ続く。
――そう女神女神と繰り返されてもな。
街と国の成り立ちそのものであるミトラに、人々の信仰は厚い。が、それだけの恩恵があるのかと思ってしまう。
もちろんよそ者のザハークに、量れることでないけれど。
「部隊を細切れにされすぎた! これより再編のため、神殿へ向かう! 転進しつつ、隊列を整えよ!」
表向きの理由が、団長の口から命令として発せられる。伝令の一人が留まり、隊列は前進を開始した。
指示通り、進むごとに人数が増す。遥か頭上にダージが居るので、ザハークが付きっきりの護衛をしているように見えるだろう。
飛盗が仕掛けてくることはなく、押し退けるように主隊は進んだ。
「問題は、天空騎士団が見逃してくれるかだ」
「来るなら早いうちがいい。飛盗どもの相手が居なくなってからだと面倒だ」
騎士団長の懸念は、すぐに現実となった。城壁を飛び立った天空騎士の一騎が、まっすぐにやって来る。
まだ合流していない部隊を狙う飛盗の近くを、
「騎士団長!」
進む先の宙へ、斑に黒い巨鳥が浮いた。羽ばたく風が砂を巻き上げ、人間は眼を細めねばならなかった。
飛盗の駆る巨鳥は、大きさを除けば可愛らしい姿をしている。少女が肩に乗せてでもいれば、よく似合いそうな。
対して天空騎士団の巨鳥は、いかにも肉食という怖ろしげな風貌をした。その鋭い眼が、自身の主より格上の騎士団長を見下ろして睨む。
「これは近衛の。見物に飽きたなら、加勢してくれて構わんよ。見ての通り、転進するところだ」
「転進ですと?」
「そうだ。城へ戻るには、飛盗どもの真下をくぐらねばならん。再編する猶予を得るのだ」
言う通り飛盗は、騎士団の先頭を飛び越してしまっている。だから出て来た城門へ戻ることが出来ない。
ザハークの策の第一段階は、これを言いわけに神殿へ潜り込むことだ。そうすれば、きっと居るはずのサリハを救える。
「それは、西へ向かった別隊もですか」
「その通り。わざわざ目標を絞らせてやる必要はないであろう?」
「たしかに、ですが……」
最初に万全だった時点で歯の立たなかったものを、目標が絞られるも何もなかろう。他の誰あろう、騎士団長の指揮した結果でもある。
おそらく天空騎士は、そんなことを考えた。このまま壊滅間際まで陥れば、逆転劇にますます箔が付く。
しかしもちろん、そうと言えるはずはない。神殿への転進をやめさすこともだ。
「分かったならそこを退け! ここは戦場。貴様が居るのは、コーダミトラ騎士団の進軍路である!」
「は、ははっ!」
一喝された天空騎士は、慌てて十メルテほど高度を取る。真上を睨み、文句を言うことは忘れなかったが。
「あの蛇人め、いつまで手をこまねいているつもりだ!」
団長に続くザハークには、気づいた様子もなく戻っていく。やはり飛盗の飛ぶ脇を、味方の援護もせずに。
「ひと声だったな」
「まあな。王宮に並ぶ位列で言えば、儂は第二位だ。十も若ければ、あんな若造は慄いて近寄らせもせんのだがな」
舐められているのはたしかに。ただし年齢のせいでなく、率いる騎士団の酷い体たらくゆえだ。
それを部下の前で言わぬところが、厳しさに徹しられぬ団長の弱さと思う。そうでもなければ、とうの昔に投げ出しているに違いない。
「ないものをねだっても仕方がねえ。とっとと行くぜ」
「無論だ」
それきり、主隊に関わる者はなかった。突出していた戦場の端から、城の斜め上に建つ神殿を目前とした。
その代わり合流した人数は騎士と兵士とを合わせ、二百を切っている。
「別隊のほうが近かったんだろうさ。口うるさいのも居ねえしな」
人数の報告を受けた騎士団長は、「そうか」とだけ答えた。引き結んだ唇が震えるのを見ても、せめても慰めを言うしか出来ることがない。
次に乗り越えるべき障害が、すぐそこに見える。
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