幕間
第46話:蛇人の餌
ザハークに追放を伝え、見送ったサリハ。残されたベッドには、蛇人の体温が残っている。
身体の輪郭をなぞるように這わせた指先を、唇へ当てた。
自分のいつもの体温より暖かな気がするのは、きっと気のせいだ。それでもとても貴重な物に思えて、反対の手で包み込む。
いつの間にか俯けていた視線を、ザハークの出て行った扉に向ける。両手を胸に強く抱いて。
「ご無事で……」
独りでに落ちた言葉。誰が言ったか、見回してしまうほど。
あの蛇人には、村の人々の運命がかかっている。だから無事を願うのは当然だ。
けれども、なぜ。
一糸も纏わぬ姿を晒してまで、温めてやったのだろう。あの男の身を案じ、想いが通じたとか通じぬとか、気を揉んでしまうのだろう。
「お勤めをしなくては」
考えても解決の糸口が見えず、目の前の現実に逃げた。ずっとザハークに付きっきりで、イブレスに断りも言っていない。
踊り手の黒い服を着て、部屋を出る。するとなぜか、兵士が待ち受けていた。
「あの、何か」
「いや。ザハーク殿が出て行くまで、見張りに立てと言われていただけです」
この国の人々は、妙に笑いっぱなしだ。日に日にとまででないが、ゆっくりと酷くなっているように思う。
ただこの兵士は、それとは違う感情も含んでいるように見えた。
「左様ですか、ご苦労さまです」
しかし続けて何を言われるでもなく、サリハに当てがわれた部屋の前へ戻った。
扉を開け、入る寸前に振り返る。先ほどの兵士は動かぬまま、まだこちらを見ていた。
「ザハークさまに何か――」
卑しいとされる、ゲノシスの住人。城には限られた、使用人でない女。偏見や劣情は、これまでも常に感じてきた。
どうもそれが増したように思う。最近で言えば闇の炎を横流ししていると、噂の流れ始めたときと同じ視線に感じた。
身に覚えがなく、あるとすればザハークに関してだろうか。だとしても、確かめようがないけれど。
「ザハークは二度も約束してくれたんだもの。私が心配なんか、失礼だわ」
自身に言い聞かせる為に言って、後ろ手に閉めた扉へ寄りかかる。
「聡明なるミトラ。思慮深きゲノシス。我が同胞と、ザハークを守り給え」
両手を祈りの形に組み、呟く。と同時に、背中から衝撃を感じた。
荒々しく、扉が開かれる。撥ね飛ばされたサリハは、石の床に転げた。開いた向こうには、騎士と兵士が複数。
あまり馴染みのない顔だったが、知っている。天空騎士団と近衛の兵士たちだ。扉を開けるのに使った足を、そのまま部屋に踏み入れる。
「来てもらおう。理由は分かるな」
「理由? こんなことをされる理由なんて――」
口答えをしようとしたわけでない。「分かるな」と聞かれたから「分からない」と答えようとした。
しかし言い終えるのも待たず「やかましい」と、口に布が噛まされた。
「ほう。素顔は初めてお目にかかるが、なかなか美人だ。それに声も可愛らしい」
天空騎士団の一人が目の前にしゃがみ込み、元々顔を覆っていた布を剥ぎ取った。非道を働く割りに、冷めた顔で見下ろす。
「そう騒ぐな。隣まで痛い目に遭わせたくはないだろう」
何のつもりか問おうとしたが、やはり言葉にならない。その上、イブレスに危害を及ぼすと脅されては、もう声が出せなかった。
◆ ◆ ◆
布で眼を覆われ、移動させられた。しかし目隠しには、あまり意味がない。城を出たことは周囲の音で分かったし、またどこかの建物へ入ったのも同様だ。
極めつけに、光の泉が傍へあった。巫女の踊り手であるサリハは、泉の持つ独特の波動が感じられる。
自身の一部のように。胸が鼓動を一つ打つ度、返事をするかのごとく泉も鳴く。実際の音や振動があるわけでないが、サリハにはしっかりと感じられた。
「おとなしくしていれば、あなたをどうこうとは考えていない。あくまでも餌だ、獰猛な蛇を操る為のな」
目隠しも背中で縛った両手の縄も、外されなかった。天空騎士団はどこかの部屋へサリハを投げ入れ、錠をかけた。
それからどれだけ待っても、誰もやって来ない。神官たちは気づいていないのか、気づいた上で知らぬふりなのか。
動けぬサリハには、時間の経過も定かでない。じっと耐えるしか、出来ることはなかった。
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