第43話:飛盗の戦略
風が強い。長い羽毛に覆われたダージの首が、潮を巻く荒海に見える。ただ宙に居るだけで、囲んだ数人に小突かれ続けているようにも思えた。
強風が雲を千切り、晴れているのに全天が白く霞む。
「長弓、放てぇっ!」
長弓隊の一部が、渾身の力で引き絞る。
まだ遠い。届くはずのない矢が飛び、向かい風に煽られて落ちた。最も威力の強い長弓で、風向きと強さを測ったようだ。
得られたのは、飛盗の高度まで矢は届かないという結果。
「ま。奴らの爪も、下りなきゃ届かねえんだ。問題ないさ」
優位の一つが消えただけ、と。評論する余裕がザハークにはあった。より正確に、正直に言えば暇だった。
突出することなく、危機に陥りそうな部隊の救援に入る。というのが、騎士団長に与えられた役目だから。
「どうせ引き付けねば意味はないのだ。臆するな!」
先頭を駆け、鼓舞の声を発し続ける騎士団長。その遥か頭上に、巨鳥の群れが差し掛かる。
「あ――」
中の四羽が、共同して何かを吊り下げている。巾着状に口を絞った、大きな革袋。綺麗な球に張り詰め、中身が液体であると示す。
「ありゃあまずい」
手綱を弾き、急行を促す。城壁の直上から先頭付近まで、およそ五百メルテ。ダージの翼でも、十を数えるほどの時間は必要だ。
「団長!」
飛空帽が声を増幅する。しかし大勢の動き回る渦中の、騎士団長には届くまい。それでも繰り返し、ザハークは叫ぶ。いくら何でも、初手で指揮官を失うのは良くない。
「逃げろ、そいつは油だ!」
意図をザハークが察したと、飛盗の側も察した。革袋を抱えた四羽が、ザハークの正面を避けて斜めに走る。残りが一列に、進路の壁として立ちはだかった。
相手を選ぶ猶予はない。手近な一羽に、「
「チッ!」
列を突き抜けられればいい。それだけの攻撃だった。相手も刃を交える気のないのが、あからさまだ。
ゆえに目的を達したが、新たな壁が目の前にあった。
「こいつら、俺と遊ぶ気はねえな」
革袋の四羽が、壁の向こうを遠ざかる。睨みつけた視界が、前後に重なった巨鳥で塞がれていく。これではいくら壁を破っても、永遠に追いつけない。
天空騎士団が飛ばなければ、上空で飛盗に迫れるのは一人だけ。だから彼らはザハークをいなし続け、高度を保ったまま攻撃をするつもりらしい。
「クソったれ。こっちがおとなしくしてりゃあ――」
巨鳥たちはザハークの進路を妨害しつつ、等間隔で滑空する。地面で兵士たちの見せた隊列も見事だったが、こちらはその上を行く。
「祭りで見せてやりゃあ、見物料が取れるぜ。
巨鳥たちは、一条の列を成している。ザハークはその目の前に、ダージの炎を並走させた。巨鳥にもその乗り手にも、決して当てぬように。
「旦那、大ハズレでさあ!」
いつの間に迫っていたのか、セルギンの声が響く。だが、列の中には居ない。
「上か!」
セルギンの駆るグレーの巨鳥は、雲の色によく馴染む。最初から、高く飛ぶ群れのさらに上を飛んでいたと見える。
ほぼ垂直に落ちる勢いが、突撃槍の先端に集中する。いかにザハークの膂力を以てしても、あれを逸らすのは難儀だ。
「うわっ、落ちる!」
「どうした、もっと羽ばたけ!」
その脇で、俄に飛盗たちが騒ぐ。美しい滑空の姿勢を保てず、十メルテほども高度を落とした。中にはすぐさま上昇を指示して、巨鳥を疲弊させる者も居る。
「ダージ、
セルギンの向ける突撃槍が、先を震わせた。仲間たちの混乱に、気を取られている。
すかさずザハークは、急降下の側面に回り込む。そして続けざま、グレーの巨鳥の尻を追いかけた。
「
高度は既に、三十メルテ。追う尻までは、五メルテ。その状況にあって、セルギンは加速する。
「どんな曲芸を見せようってんだ!」
「こんなのはどうでしょうや!」
二十メルテ。
十メルテ。
あとどれくらいと勘定をする間に、見える物の全てが地面に差し替えられていく。このときザハークとセルギンは、もうほとんど横並びになっていた。
激突まで、残り五メルテ。
「くうぅっ!」
ザハークは右への旋回と、急上昇を合図した。ダージは首を仰け反らすように、身体全体も捻って要望に答える。腹の羽毛が、地面から砂塵を巻き上げた。
「上がれ!」
セルギンの動作は、ほんの一瞬遅れた。左への旋回と、急上昇を同時に行う。
ダージよりも巨鳥のほうが、僅かに太い体躯を持つ。比例して翼も大きく、渦となった風で地面を引き剥がす。
少し欠けた長い尾羽の先が、土の表面に波模様を描いた。
「さっきのは旦那、どういう魔法ですかい?」
一気に五十メルテほども上昇し、向かい合う。
「大したことじゃねえ、春風を作ってやったのさ」
水平に動かした手を、向きを変えず垂直に落とす。セルギンが問うたのは、飛盗たちが失速した原因だ。
ダージの炎で、彼らの前に広範囲の暖かい空気を作った。するとそこは、風の谷間のようになる。薄くなった空気を、翼が掴めなくなってしまう。
「――ああ、言われてみりゃあ。やってくれやすね」
さすが巨鳥に慣れているだけあって、すぐに理解したようだ。分かったところで、普通はそんな現象を自分で起こそうとしないけれども。
「何、お互い様だ」
ドン、と。少し先の地面で爆音が轟いた。親しげに話しはしても、笑ってはやれない。
騎士団の長弓隊の居た辺り。人の背丈の二倍も炎が上がり、引いた後には焼け焦げた人間が累々と倒れる。
例の革袋には、煮えた油が入っていたはずだ。それを篝火に落としたのだろう。少し離れた者も、炎を背中に負って逃げ惑う。
「どうしても
戦闘が始まって、まだいかほども経っていない。だというのに、騎士団は一つの小隊を失った。飛盗の側に、まだ損害はない。
問うて、自然体に槍を構える。
「旦那が隠れててくれりゃあ、そうなりやせんがね」
対するセルギンは、突撃姿勢に抱え込んだ。
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