第41話:密会

 ――なんて約束したからって、おとなしくするはずがねえだろ。


 勝手に処分をするなと言ったが、勝手に捜さぬとは言っていない。ただ、闇雲に動けば見咎められる可能性も高い。だからもう一人、この城で怪しげな行動をする者に当てを絞る。

 その為に日暮れを待ち、夕食は丸呑みにした。


「たまにしかやらねえと、結構痛えんだぜ」


 ゴリッ、ゴキッ。鈍い軋み音が、身体の至るところから響く。

 与えられた部屋から出入りせず、隠密行動をする術がザハークにはあった。あらゆる関節を外し、頭骨さえひしゃげさせ、本物の蛇のように細く長く身体を変化させるのだ。

 壁に塗られた漆喰の凹凸や、組まれた石の継ぎ目があれば、どんな高い場所へも辿り着けた。ザハークは天井の木組みへ登り、隣室への通路を探す。最悪でも拳の通る空間があれば、その壁はないも同然となる。


 ――俺にも一応、なけなしの良心ってもんがあってだな。

 世の蛇人は、善人揃いだと思う。この特技を以て盗みを企てれば、当たり前の戸締りなど全て意味がない。だのにそんな手口を、少なくともザハークは聞いたことがなかった。


「その良心を捨てさせたのは、てめえらだぜ」


 公爵と、天空騎士団と。他にどこまで関わっているのか知れぬ者どもに、明確な敵意が零れ落ちる。


 ――そもそもどうして、サリハを攫った?

 有効性はともかく、ザハークを操る為の布石だ。羞恥を押して命を救ったことが、利用できると考えたに違いない。


 ――じゃあなぜ、俺を意のままにしたいんだ。

 その点に皆目、見当がつかなかった。特等などと呼ばれても、この国の者には縁のない存在だ。


「っと。やっぱり居たな」


 並んだ部屋の壁は、ほぼ同じ造りをした。何の苦もなく、七つ先の天井へ到達する。身体を長く伸ばしたまま、木組みからはみ出さぬよう、下を覗く。

 すると当然、この部屋を与えられたイブレスとトゥリヤが見えた。ザハークが一瞬で終わらせた夕食を、テーブルに着いた巫女が優雅に食す。


「イブレスさま。今宵も向かわれるのですか」


 淡々と事務的に尋ねたトゥリヤは、自身の食事を後回しにしている。一歩離れて立ち、イブレスが何を求めようと即座に応じられる構えだ。


「ええ、もちろんよ。飽きもせず、毎日聞くのね。ふふっ、妬いているの?」

「私も同じく、もちろんと答えておきましょう」


 からかうイブレスに、トゥリヤは苦笑を返した。

 はっきりとした上下関係があるものの、四角四面でもないらしい。主と従を超えた親しい関係があるようだ。


「こう続けて城に居られるのは、滅多にないことよ。公爵閣下に忘れられないようしなくてはね」

「イブレスさまが仰るほど、彼の御仁を信用しきれません。それに例の蛇人です。あの男は何を考えているのか読めません」


 ザハークの話題が出ると、イブレスは食事の手を止めた。持っていたパンを置き、少し気鬱な風に息を吐く。


「ザハークさんは、公爵閣下がうまくすると仰せよ。何をどうするおつもりか全然分からないけれど、逆らうことも出来ない。ゲノシスの民を救う為にはね」

「それももちろんです。あの男が何らか犠牲になるのは、知ったことでありません。懸念するのは、あの男の嗅覚。何も考えていないようで、なかなかどうして」


 ――随分と見下されたもんだ。

 思わず笑ってしまいそうだった。嫌われるのは日常だが、その内訳を詳しく聞く機会は少ない。

 貶されていても、くすぐったいものだ。


「何より、私が全力を以てしても抑えきれません。あれは厳重に鎖を掛けておかねばならぬ、魔獣のようなものかと」

「その評価をきっと、ザハークさんは喜ぶわね」


 喉の奥から「うふふっ」と、イブレスの笑声が鈴に似て鳴る。

 それからしばらく、ザハークには関係のない雑談が続いた。いや中に一つ、ラエトの名が含まれていた。声に発したのはトゥリヤだが。

 巫女の答えは「叔父君ほど頼りがいがあれば、あの視線に答えようもあるのだけど」というものだ。

 意味を考えればあまりにも残酷で、この点だけは聞くのでなかったと悔やむ。


「じゃあ行ってくるわ」

「くれぐれもお気をつけて」

「大丈夫。誰も居ない道順を作っていただいたから」


 裏路地を抜ける猫のしなやかさで、イブレスは部屋を出た。夜が更け、街の者たちは残らず眠っている時分だ。

 ここまで聞いただけでも、公爵とイブレスが繋がっているのは明白だった。しかしサリハがどこに居るかまでは、知らぬ可能性も高い。

 公爵の部屋へ行くのだろうに、巫女は階段を下りた。しかし別の箇所を上り、騎士団詰め所の裏を抜けて四階へ至る。

 宣言の通り、見張りの死角が巧妙に重ねられていた。


「公爵閣下に、お呼び出しを頂戴しています」


 騎士の中でも門番役は固定されているようだ。四階の廊下を塞ぐ騎士は、イブレスを素通りさせた。

 頭上を這う巨大な蛇には、気づく様子もない。


「閣下。私です」

「おお、イブレス殿。入られよ」


 公爵の私室がノックされると、すぐに返事があった。今日も訪れるのを凡そ予測していたのだろう、待ちかねた声色だ。


「入り口の騎士の他には見つからなんだかな」

「ええ、もちろんですわ」


 迎え入れた公爵は、飾り立てたいつもの服でなかった。そのまま眠ることの出来る、厚手のローブだ。

 対して普段通りの漆黒のローブ。イブレスが胸に飛び込むと、両腕の内へ閉じ込める。そのまま廊下に首を出し、不審な影に気を遣った。

 やがて扉は堅く錠を掛けられ、男女は寝所へと向かう。


 ――元気なもんだ。

 睦事は長く続き、ザハークは一部始終を見届けた。同様の監視をしたのは、初めてでない。


「はあ――レミルさま」

「何かな」


 未だ整いきらぬ息を吐きながら、甘えた声が耳許へ近づけられた。男は仰向けのまま、視線だけを向ける。


「あと、二日なのですね」

「そうだ。例の賞金稼ぎも策略に乗った。これで駒は揃う」

「あの穢らわしい蛇人が、どうして必要なのです? レミルさまがこの国の主となるのに、どんな関わりがあるのでしょう」


 公爵が、この国の主になる。これは国王を廃する、反乱の企てであるらしい。

 だが反乱自体は、さほど珍しいものでない。ザハークも依頼されて、いくらか加担したこともある。


「蛇人で、特等の賞金稼ぎ。目立つ特徴を持つゆえにな。柱になってもらうのだ」

「と言うと?」

「あの蛇人は、兄上の騎士を問題にしなかった。イブレス殿の護衛にも、敗北を演じてもらった。それが飛盗には、手も足も出ない」


 ――ああ、なるほど。

 ザハークの心の声と同じ響きが、眼下でも繰り返される。


「なるほど、そしてレミルさまの部下が飛盗を滅す。素晴らしいお考えですわ!」

「何、稚拙な謀りよ。そう褒められるようなものでない」


 聞いただけで感心するような。あるいは飽きてしまうような、込み入った展望などうまくいった試しはない。

 馬鹿にされかねぬ単純な目論見こそ、真に警戒すべきと思う。難しくものを考えられないこの国の人々には、なおさらだろう。


「叶いましたら、どうか私のお願いも」

「分かっておる。他ならぬイブレス殿の頼みを、どうして忘れようか」

「お慕いしております」


 二人の声が「うふふ」「わはは」と。閉ざされた室内にだけ、こだまする。

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