第39話:王と巫女
「あんたの仲間だろう。心配じゃないのか」
「仲間と言いますか、巫女と踊り手。私に何かあったときの予備ですね」
「役割りの話はしてねえんだよ」
迎えた朝。サリハの部屋の前で、またイブレスと顔を合わせた。もちろんトゥリヤも。
「心配はしますとも。だからザハークさんが、夜通しそこに居ることを何とも言わなかったのです。小用に行くたび、顔を合わせるのだもの。恥ずかしいのを堪えました」
「――ああ、そうかい」
ラエトが美しいと言う、柔らかく微笑んだ顔。造作は整っているだろう。けれども本当に美しい人間は、心配をするとき歪むものでないのか。
「あんたはどうなんだ。仮にも護衛剣士だろうが」
「間違えないでもらいたい。私は黄昏の巫女の護衛だ。サリハさまを守るのもやぶさかでないが、イブレスさまを放ってまではな」
女の部屋の前に居座る男が、どう見られるか。風聞は弁えている。しかしその女が居ないのだ。昨夜のうち、トゥリヤに扉を開けさせもした。
「私には私の役目があります。疎かにすれば、この島は地に落ちる。どちらが優先か、子どもでも分かるでしょう。あの子は昨日、勤めを放置したんです」
神殿へ行くのは止められていると、昨日聞いたばかりだ。
珍しく眉を顰め、言い捨ててどこへ行くつもりか。イブレスは階段を下っていった。
「くそっ」
昨日、トゥリヤは言った。「
なぜそんな言葉が出たのか、不穏な憶測しか出来ない。だがどう考えてもおかしいと言いきれるほどでもない。
ザハークが心配しているようだったから、気遣ったまで。などと言われれば終いだ。
――俺は心配してんのか。
人に言っておいて、自分には今さらだった。ただ、帰らなかった師匠を待つ思いとは違う。
あの気ままな男は、もしかすればどこかで生きているかも。と、考えなくもない。生き方がそうであったし、それだけの強さを持っていた。
しかしサリハは、獣を前にすれば無力だ。野山ではもちろん、街にも獣は居る。悪意を抱えた人間という猛獣が。
「サリハを知らねえか。昨日から見ねえんだ」
考えても分からぬことは置き、騎士の詰め所へ行った。ちょうど騎士団長が居て、腰掛けた目の前へ向かう。
「サリハ殿? さあ、見かけんが」
「昨日、俺が出て行くときは城に居た。しかし帰ってきたら居なかった。城門は出てねえと思うんだが」
「それは分かるまい。調べさせよう」
目配せを受けた騎士が、部屋を出て行く。たしかにザハークも、ずっと部屋へ張り付いていたわけでない。あちこち見に行く間に、すれ違った可能性もゼロでなかった。
そうであれば、またおかしな行動だが。
「助かる」
「これくらいはどうということもない。しかしザハーク殿、明後日は大きな戦いになる。女に現を抜かしている場合でないぞ」
出会い頭に驚くのはさておき。いつも騎士団長は、ザハークに機嫌が良かった。それが今は、極めつけに厳しい顔を浮かべた。
「何だ、そんなに巫女たちが気に入らねえのか」
「そうではない」
否定に弁明が続かない。潔いと言ってやりたいが、そうでもないようだ。僅か外れた視線と、噛み締められた奥歯が感情を語る。
手持ち無沙汰に組まれた腕の中で、さらに指先が苛々とリズムを奏でた。すると周囲に居た騎士たちが、さも用事ありげに退室していく。
「……国王陛下だ」
「ん?」
「陛下はイブレス殿との婚姻を希望なされた」
「へえ、駄目なのか?」
自身を選ばれた人間などと言ってのける王だ。やりたいと言えば即座に実行するだろう。けれども事実は、そうなっていない。
「巫女は不可侵だ、ミトラに仕える者だからな。それにゲノシスの民であることを、納得せん者も多い」
「追放された奴の血が、王家に混ざっちゃ敵わんか」
なぜ知っているかとも聞かず、騎士団長はゆっくりと頷いた。
「でもそれだけなら、嫌ってやるのは可哀想だが?」
「望みが叶わぬとなって、陛下は明らかにやる気を失くされた。戴冠されたころは、先王陛下と比べられても腐ることなどなかったのだが」
「前の王さまは優れてたんだな」
すぐに肯定されなかった。頷けば今の王を貶すことにならないか、考えたらしい。しかし結局、「まあな」と短く声がある。
「巫女であるから、神殿には通ってもらわねばならん。しかしその為に、城へも出入りすることとなる」
「巫女さんは王さまの気持ちを?」
「誰も伝えてはおらん。が、知っているはずだ。街の者も知るほどだからな」
イブレスに責めるべき点はない。だが騎士団長とすれば、王の目につかぬようしてもらいたいところだろう。
あの巫女が、そういう配慮をしているようには見えない。
「さっきもどこかへ向かってたな。神殿へは行けないんだろ?」
「一階の端に、簡易の祭壇がある。勤めであれば、そこだろう」
――なるほど、仕事熱心なのは嘘じゃねえのか?
ならば理由が何であれ。特にザハークなどと無関係な者にかまけたサリハに、怒りを覚えても不思議はない。
それからしばらく、城門の出入りを調べた騎士が戻ってくる。やはり結果は、誰もサリハを見かけていなかった。
「ありがとうよ。もしその辺で居眠りしてるのでも見つけたら、馬鹿な蛇人が探してたと伝えてやってくれ」
「うむ。気にはかけておこう」
去り際にはさすがに、騎士団長も請け負ってくれた。他国への備え、来襲するという飛盗への備えがあっては、何も出来まいが。
――知ってんのは、あいつしか居ねえ。
詰め所を出て、ザハークは確信した。サリハは何者かに連れ去られた。そしてどこかに監禁されている。
ただし、
考えられる当てに向かい、ザハークは階段を上る。
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