第38話:違和感は何処へ
「あれは不運というものだ。闇の――あんな不可思議な事態に対処出来るほうがおかしい。そうだろう?」
飛盗の集団に敗北したことを、ラエトは気遣ってくれた。闇の炎が使われたのにも気づいている。
「理由がどうだろうと、負けは負けだ。気を失っちまっちゃあ、何をされても分からねえからな」
「そうか。さすが見事な覚悟だ」
「そんなんじゃねえ、諦めてるだけだ。こんな稼業で、長生きしようってのがおこがましい」
一階の石造りから、二階の木造部分へ。また三階へ至るには、別の階段を使う。目的の場所へ真っ直ぐ向かえないのは、やはりこの建物が城である証左だろう。
勝手知ったラエトは、ろくに方向も確かめず進む。
「それはまあ、分かるが。そうはっきり覚悟を口にしては、ザハーク殿を大切に想う人が寂しがるだろう」
「だから覚悟じゃねえ。目を瞑って歩けば、必ず何かにぶつかるって話なんだよ。幸い俺を、宝物庫へ入れとこうなんて奴は居ないしな」
何を根拠にか、「そんなことはないと思う」などとラエトは言った。
――まあ感想だけなら、どう考えようが勝手さ。
そう思い、「ありがたいね」と聞き流す。若い騎士は満足げに、繰り返し頷く。
「ああ、そうだ。ちょっと寄り道させてくれ」
「構わんが、どこへ?」
「サリハだ。恥ずかしながら出戻ったくらいは言ってやらなきゃな」
「へえ?」
何某かの感情を含ませたひと言だけを、ラエトは返した。意味のありげな流し目に、「何だ?」と問うても明確な返事はない。
「変な奴だな」
本当に意味の分からない態度をする。非難しつつ角を折れ、サリハの部屋の前に立った。扉越しに人の体温は見えない。どうやら居ないようだが、念の為にノックだけはしてみる。
「居ないらしい」
「だな」
まだ昼間だ。昨日はザハークに付きっきりで居たのだから、今日は神殿へ行ったのかもしれない。
――勤めをすっぽかさせちまったか?
真面目な彼女に、悪いことをした。
何にせよ、また戻ったころに声をかければいいだろう。至極当たり前に受け止め、自分の部屋へ向かおうとした。すると向き直りかけた背中で、隣の部屋の扉が開く。
「あら、ザハークさん。お加減は良いのかしら」
「おかげさんでな」
出てきたのはイブレス。それに護衛のトゥリヤも。二人とも、少しばかりの笑みを浮かべる。こめられた意味は全く違うだろうが。
「サリハが居ないんで、神殿へ行ってるのかと思ったぜ」
「いいえ、見ての通りです。飛盗の動きが激しいからと、神殿へ行くのも見合わせるよう言われております」
「そうか。するとどこへ行ったんだろうな」
見回したところで、通路のあちらとこちらしか見える物はない。迷子にもなるまいし、単に小用ということもある。探す理由はなかった。
「もしも見かけたら、ザハークさんが探していたと伝えておきます」
「そこまでじゃないが、まあ言っといてくれ」
「分かりました。もしかすると、私と同じく花摘みかもしれませんしね」
「皆まで言うなよ」
巫女なりの砕けた冗談ではあったのだろう。クスクス笑いながら、「では」と去っていく。空けてやった道を、トゥリヤも着いていった。こちらに一瞥をくれることもなく。
ただ、ぽつりと。ひと言を置き去りに。
「無事に見つかるといいな」
おかしなことは言っていない。訪ねた者が居ないのだから。それでも何か気に掛かったが、いつも突っかかってくる相手だからだろう。去っていく背中に、小さく息を吹いた。
それよりも、ふと。視界の端に、ラエトの表情が気になる。イブレスを見送る視線が、懸想の色なのは相変わらず。けれどもどこか、苦々しいものを感じた。
「どうした」
「ん、何がだろうか」
「いや、好きな女を見る目じゃねえと思ってな」
違和感が好悪のどちらか、告げなかった。するとラエトは「やはり分かるか」と、苦笑の声を漏らす。
「ザハーク殿は知っているのだろう? 良からぬ噂があるのを」
「まあな。俺が負けたのも、あの巫女さんのせいだと?」
「そうではないが――いや、そうなのかな」
半信半疑。騎士として疑っているが、男としては庇いたい。そんなところか。
「巫女さんは関係ないと言ってんだろ?」
「そうだ。でもせめてザハーク殿に、何かひと言くらい」
「関係ないなら、何も言う必要はないさ」
悪かったとは言わずとも、機嫌を窺うくらいはしろ。とでも言いたいらしい。しかしそれがお門違いなのは、ラエト自身も分かっているようだ。
「うん、いや。そうだな、その通りだ。非のないことを気に病む必要はない。イブレス殿は美しいのだから、なおさらだ」
「よく分からんが、そう思うぜ」
他に用もなく、ラエトはザハークの部屋の錠を開けた。出てからどれほども経っていないのに、もう掃除が施してある。
「清掃係は奴隷か?」
「そうだ。四階と五階は侍女だがな」
「誰かの片付けた部屋で横になれるとは、贅沢の極みだな。次に会ったら礼を言っとこう」
「奴隷にそんな気遣いは無用だ」
それだけ言うと、ラエトは去った。やはり錠は開けたまま。
さて、どうして時を過ごすか。考えるまでもなく、まずやるべきは相棒のご機嫌取りだ。すぐさま部屋を出て、廊下の突き当たりに向かう。
――やべえ。美味い物って約束も、あれっきりだ。
「ダージ!」
窓枠へ立ち、頭上に向けて声を張った。姿は見えなかったが、バサッと巨大な羽音がする。
「キュエェェッ!」
何と言っているか、分かりはしない。けれども「元気になったならすぐ知らせろ」と、そんなことを考えている気はした。
それから「貸しが先行しているぞ」とも。
「悪い悪い、この通りピンピンしてる。よそへなんか行ってねえって」
「ギュエッ!」
目の前で文句を言っていたダージだが、手を伸ばすと鼻先でじゃれてくる。長い羽毛を絡ませて、縛り付けようとでもするように。
「じゃあ気晴らしに行くか」
「キュウ?」
「厳戒令なんか構うもんか」
コーダミトラの存亡と、ダージとの友好。
比べるようなものでない。だがどうしてもどちらか選べと言われるとしたら。どちらなのか、結論は決まりきっている。
「さあダージ、お前の城の見回りと行こうか!」
飛空帽もなしに、鞍へ飛び乗る。喜んだ相棒が、鋭い爪で宙を掴んだ。
一つ羽ばたくと、何者も追いつけぬ速さで天頂へ向かう。息が苦しくとも、このほうがダージと一体になった気がする。
雲を眼下に、コーダミトラの端から端へ飛び回った。互いに気が済んだのは、すっかり日が暮れてからだ。
「サリハ。戻ってないのか、サリハ!」
夕食を取ってしばらく。時間を挟みつつ、何度か部屋を訪ねる。しかし小心者の踊り子は帰ってこない。その夜、いつまで待っても。
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