第35話:待ち受ける者

 王城から遠退くごと。斜面しかない街の、高度を下げるごと。貧しい家並みが、ますます貧しくなっていく。

 南東の端で石畳も途切れ、貧民街へ紛れ込む。最初に来たときと同じく、人の姿はない。ここだけは厳戒令があろうとなかろうと、同じらしい。


「セルギンを探してる! 誰か知らねえか!」


 気配も殺されているが、ザハークの目には見えた。

 外れて立てかけられた扉の向こう。風除けにも頼りない布が、はためく裏。雨を溜める、大きな壺の陰。

 潜む人々が、残らずこちらを注視している。


「まずいことになってるらしい! 助けてやりたいんだ!」


 あの男の呼びかけでなければ、姿を見せてはくれぬのだろう。しかし危険が迫っていると言うと、密かに相談をする素振りがあった。

 少し待ってみたが、しかし出てこない。


「何か知ってんじゃねえかと思って来ただけだ! 何も知らねえなら、音を二つ鳴らしてくれ!」


 露店を出せない今、街にセルギンの居場所はない。だからもしかすれば、ここへ潜んでいるかと考えた。

 けれどもこれだけ言って無反応とは、少なくとも本人が居ることはなさそうだ。


「そうか、邪魔したな」


 しばらく待ったが、音が鳴ることはなかった。蛇人が訪れるなど、そうそうあるまい。忘れられたわけでもなかろう。

 諦めて、また斜面を下り始める。南の乗降場まで、歩けば一日仕事だ。その方向へ。


「ダージに叱られるな」


 振り返ると城の上空へ、ダージが飛んでいる。相棒に見つからぬよう、物陰を伝ってここまで来た。

 あれを見れば何も知らぬ者は、まだザハークが城に居ると思うはずだ。街で警戒していた兵士たちは、飯屋の前で見失っている。

 だから誰も、ここを歩いていると知らない。たった一人を除いて、だが。


「おっと。やっぱり見送り付きか」


 貧民街に人影があるかも判別がつかなくなったころ。進む道の両脇へまばらに立つ樹木に、背を預ける人物を認めた。それも左右へ、一人ずつ。

 固く重ねた革の鎧、腰には反り身の長剣。旅人なら雑多な荷物を入れる袋を持つはずだが、それらしき物はない。

 二人が全く同じ出で立ちというのも、全く以ておかしい。だいいち厳戒令の最中、浮遊島へ上げてはもらえないだろう。


「賞金稼ぎのザハークだな」

「そいつは答えに困る。実力不足で廃業しようか迷ってたところだ」


 白々しく伸びなどして見せながら、前を通り過ぎようとした。

 右手に立つ束ねた銀髪の男が剣を抜き、進路を塞ぐように突き出す。

 反対には、短い芝のような赤髪の男。その剣もまた、退路を断たんと突き出される。

 どちらの剣も、鞘走りの音が聞こえなかった。


「むやみに人へ向けちゃいけませんって、習わなかったのか?」

「習ったさ。だから人間には・・・・向けていない」


 次の瞬間、二つの刃が交差する。ザハークの首があった位置で火花が飛ぶ。


「そいつは失敬!」


 しゃがんで躱すしかなかった。そして左右を塞がれる以上、前後のどちらかへ転がり出るしかない。

 きっとそう予測した刃が、当てずっぽうで振り下ろされる。地面までも切り裂かん勢いで。

 だが。ザハークは低い姿勢から、右手に蹴りを放つ。銀髪は避けたが、軸足を無理に浮かせてバランスを崩した。


「反撃ってのは習わなかったみたいだな!」


 立ち上がると同時、短刀を抜く。その勢いままに首元へ切りつけた。

 並の相手なら、たたらを踏みながら躱るものでない。しかし銀髪が翻り、後転で距離を取った。


「廃業に迷うなら、手伝ってやろうと言うんだ。ありがたく厚意を受け取れ!」


 地面に着いた刃を赤髪は、傾けて切り上げる。切っ先が砂を巻き込み、ザハークの目を狙った。


「くっ!」

「もらった!」


 間違いなく砂粒がかかったのを見届けて、赤髪は長剣を振り下ろす。一撃で首を切り落とさんと、体重を乗せ。

 しかし、希望を叶えてやることは出来ない。無防備となった脇腹へ、ザハークは切りつける。

 蛇人には、瞬間的に眼球を覆う膜がある。砂をかける程度では、何ら被害を受けなかった。


「ぐぅっ――貴様、目が!」

「悪いな。迷うときほど、自分で決めなきゃ気が済まんタチだ」


 鎧の薄い箇所から、血が滲んでいる。思ったより深手を与えたらしく、赤髪は強く押さえて呻いた。

 目潰しの通用せぬ理由を明かしてやるほど、ザハークは律儀でない。


「竜に乗らぬ蛇人ごときに!」


 気丈にも、赤髪は立ち上がった。眉間に皺を寄せるのは、怒りのせいか痛みのせいか。

 力をこめた脇腹から、赤い霧が噴き出す。それにも構わず長剣を正面に構え直し、じりじりと右手方向へ足を滑らせていく。

 ザハークの背後には、銀髪が機会を窺っている。ちょうど良い間合いを取り、一斉に切り込むつもりだろう。


「そりゃあ、お互いさまって話じゃねえか」


 竜に乗らぬ蛇人が無力と言うなら、巨鳥に乗らぬお前たちはどうなのか、と。

 憶測ではあった。貧民街を経由して街を出ることを、酒場の主人には告げた。あの男はおそらく、公認の監視役だ。

 するとやはり、この二人が待ち構えていた。他の騎士や兵士と違い、表情が自然だ。貴族にも見えぬから、天空騎士団に違いあるまい。


「――戯れ言はここまでだ!」


 赤髪の長剣が、風を裂く。ヒュンヒュンと続けざま、右と左の切り下ろしを繰り返す。先の一撃とは異なる、刃の重さだけを使った速度重視の斬撃。

 受け流して反撃するのは、容易に見える。だがそうすれば、銀髪が襲いかかってくるはずだ。ザハークはじりじりと後退って、すんでの距離で避け続ける。


「やってらんねえな!」


 このまま自由を続けさせるわけにもいかなかった。短刀の鍔元で受け、ひと息で弾く。あわよくば、長剣を取り落とさせるほどに力をこめて。

 赤髪は剣を離さぬよう、握り直す。その一瞬は、とどめの一撃を放つのに十分すぎる時間だ。

 しかし、ザハークは斜め前へ飛び退く。ほんの僅か遅れて、銀髪の剣が残像を切り裂いた。


「やるじゃねえか」

「死ね!」


 同じ騎士と呼ばれても、ラエトたちとは比べ物にならない。またそれを軽口に言おうとしたが、銀髪の連撃が許してくれなかった。

 正面を外し、側面へ回り込む。すると赤髪が背後からまた連撃を繰り出す。

 ザハークの避ける方向。体勢を整える位置。それらを正確に読み、手の空いたほうが追撃を受け持つ。一人ずつはザハークに及ばずとも、連携しては恐るべき練度と言える。


「いい加減にしやがれ!」


 同じような繰り返しが、何度続いたろう。体力はともかく、攻め続けられることに嫌気が差す。

 銀髪の刃を押し返すのに、思いきり力をこめた。次の一撃は赤髪に依るものだ、ならば受け流す方法はあると踏んで。


「何っ!?」


 驚愕の声を発したのは、銀髪。ザハークの短刀が長剣の横腹を打ち、砕けた。根元が少し残っただけの剣を捨て、回し蹴りを放つ。

 赤髪は予想通り、剣が遅い。乱れた息を隠そうとするが、足もふらつき始めている。


「ほれ、持ってろ!」


 ザハークは飛空帽を投げつけた。赤髪は避ける素振りを見せたものの、顔面で受ける。

 その隙に、銀髪の振り上げられた脚を掴む。続けざま軸足を蹴り、転倒させた。すかさず短刀を突きつけ、静止を呼びかける。


「動くんじゃねえ!」


 視界を失っていた赤髪は、終わってしまった勝負に「チッ」と舌を鳴らす。

 それで油断したことは否めない。終わってしまった、と考えたのはザハークの誤りだ。組み伏せた銀髪が、まだ自由の利く左腕を振り上げる。

 だが殴られたところで、形勢は変わらない。そう考え、打撃に備えたザハークを嘲笑うように、銀髪の手が突き出される。


「しまった――!」


 銀髪の狙いは、苦し紛れに殴ることでなかった。突きつけられた刃に、自らの手を差し込んでいく。深く、肘の辺りまで。

 骨折の添え木ならば、腕の外に当てるものだ。誰が骨に直接沿わせるのか。

 抜いている暇はない。赤髪の剣がまた、大きく高く振り上げられた。

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