幕間

第33話:隠れ家の密約

 十三日前。レミル公爵がザハークに、積み荷の護衛を依頼した日。

 貧民街から堤を越え、二千メルテほども進んだ先にセルギンは居た。


「はあ。こうもあっさりと見つけられちゃあ、商売あがったりってもんでさ」


 その辺りは森の濃くなる入り口に当たり、巧みに草葉と一体化させた小屋を設けてある。てんでバラバラに暮らす飛盗たちの、寄合所とでも言おうか。そこに初めて訪れる人物が一人あった。


「これまで見過ごしてやった温情に感謝するがいい」

「そこはまあ、やってみなけりゃ分からないって奴で」


 金属の胸当てに、反り身の長剣。そこかしこへ、雄々しく飛ぶ鳥の姿が彫刻されている。

 ようやく炉があるだけの小さな部屋に、収まらぬ尊大な素振り。まるで自分こそが、この空間の主と言うように。


「ん、やってみるか? こちらはそれでも構わんが」

「へっへっ、言葉の綾ってもんでさ」


 たった一人で荒くれの巣窟にやってきた男は、巨大な鳥を駆る。今も表に黄金のトサカが、じっとこちらを睨みつけた。


「で、本題だが。貴様らにやってもらいたい仕事がある」

「あたしらに?」


 古びたテーブルに、もてなしの茶を出していた。椅子には座った天空の騎士も、さすがに口を付ける気配はない。

 愛想の欠片もなく。むしろ威嚇する気配を、表情にも身のこなしにも纏わせる。


「こちとら逸れ者ばかりでしてねえ、掃除の手伝いには向かないと思いやす。それとも兵士の補充ですかい?」


 セルギンもその仲間も、誰かが憎くて飛盗などやってはいない。食えない者が居るから、余っている者から奪って与える。

 突き詰めればそういうことで、食えない者とは自分たちを含む。だから誰か個人を恨んではなかった。

 もちろん目の前の天敵もだ。


「冗談のつもりだろうが、あながち外れていない」

「へえ?」


 恨んではいないが、誰かに責任を求めるなら。それは国王になるだろう。そんな相手に使われるなど、まっぴらごめんだ。と、遠回しに皮肉った。

 正確に察しているはずの天空の騎士は、気の抜けた返事をするセルギンに威圧の視線を向ける。


「十三日後。南の乗降場から、街へ戻る荷車がある。東回りルートでだ」

「戻る、と言いやしたか?」

「余計な勘繰りはいい、その積み荷を奪え。ただし、誰も殺さずにだ」


 その日程と、街へ戻るという言葉。荷車とは、闇の炎を運ぶ巫女の物と思われた。守る立場の人間が、どうして奪えと頼むのか。気にはなるが、問うても答えはあるまい。


「いやいや騎士さま。積み荷が何か知りやせんがね、護衛が居るでしょうや」

「居る。白い竜に跨った、いけ好かん奴がな」

「そいつぁ無理だ! あたしらの信条がどっちを向いてようと、出来る出来ないってのはその外でさ!」


 思わず声を張ったのは、本心だ。

 あらゆるしがらみを置いて、ザハークと対決するだけを考えても。相手を無傷で残すどころか、こちらが蹂躙されてしまう。

 しかし天空の騎士は、うるさげに眉を寄せただけだった。足元に置いた布包みの一つを持ち上げ、テーブルに載せる。


「何です?」

「皿を出せ」


 今ひとつ会話が成り立っていないのはさておき、言われた通りにした。

 天空の騎士はおもむろに布を解き、現れた白い瓶の栓を抜く。スープを飲めばちょうど良い木皿に傾けると、透明な液体が流れ出た。


「こいつは――」


 瓶を見た時点で、中身の予想はついていた。見たことのないそれ・・が、どんな物か。固唾を呑んで見守る。

 するり、と。

 液体の最後に紛れて見えたのは、小さな黒い塊。最初はただの石にも見えたが、おたまじゃくしのようにぷるぷると震えている。


「どうせ知っているのだろう」

「闇の炎、でさ」


 やがてその黒い塊を核に、炎が上がった。透明な液体が強い酒ででもあるように、ゆらゆらと透き通った闇の色で。

 自意識でも持つのか、炎は皿の真ん中へ留まった。林檎の実ほどの、炎の球に手をかざすと、チリチリと凍てつく感覚がある。


「三つ貸してやる。余ったら返せよ」

「そりゃあ、これがあればザハークの旦那も……」


 セルギンには必要な物だ。これを得る為に、コーダミトラへやってきた。うまくすれば、持ち逃げが出来るだろうか。軽率な妄想が信念をそそのかす。


「分かっているだろうが、他言無用だ。盗んで逃げるようなことがあれば、貴様はもちろん仲間の命もない」

「へっ。へへっ、そりゃあそうです。そんなことは、ええ。考えちゃいませんとも」


 うっかり欲望の沼へ沈むところだった。

 何を為すにせよ、何を犠牲とするにせよ、損得を見極めねばならない。目先の欲に取り憑かれては、この怪しげな依頼者の思う壺だ。

 きちんと考えれば、いくつかのことはすぐに分かる。

 まず巫女の荷車を襲わせるのは、王国にとって不名誉のはずだ。あえてそうする理由は何か。王国を担う者の中に、それで得をする者が居るからだ。

 なぜ闇の炎などという国家の大事を、盗っ人に与えるのか。ザハークの存在がイレギュラーだからだ。それでも殺すなという意図は不明だが。


「引き受けたとして、あたしらに見返りはあるので?」

「今日まで見逃したのだけでも、十分と思うがな」

「ははっ。まあ、温情には感謝しやすがね」


 始終、機嫌の悪そうな表情が変わらない。

 これならよほどザハークのほうが、とっつきやすい。などと考えたのが伝わったわけであるまい。天空の騎士は口許を、嘲笑に歪めた。


「どいつもこいつも、がめつい奴らだ」

「どいつも?」

「実はお前の仲間には、もう話をつけてある。残るはお前の手下だけだ」


 セルギンは飛盗の全員を束ねていなかった。従ってくれる者は三人だけで、一人は先日、巨鳥を失った。

 他はまた、それぞれのリーダーが居る。力量差もあって代表めいた立場にはあるが、あくまで別の集団だ。


「それはそれは。奴ら、何を望みやした?」

「こちらから示したのだがな。王国軍へ士官させてやる」

「士官ですかい――」


 誰も彼も、仲間たちは食うや食わずの立場にあった。守るべき家族がなかった、あるいはなくした。それで奪うしか道が残されていなかった。

 その目の前へ安定した給金をぶら下げれば、飛びつく者も居るだろう。聞く限り、全員のようだが。


「もしも、ですがね。あたしらだけは抜けさせてもらう、そう言ったら」

「構わんよ。近いうち、あの賞金稼ぎと旅へ出ることになろうが。何なら、あのボロ家の連中も一緒にな」


 天空の騎士は佩いたままの剣に手を添えた。気づかれているだろうか、手下の三人が木戸の裏へ隠れていることを。

 仮に四人で切りかかったとして、敵わない。仮に倒したとして、次の報復はどうしようもない。

 提案を呑むしか、道はなかった。


「分かりやした。話はそれだけで?」

「いや、まだ続きがある」


 続きとやらを聞いて、また青褪めた。これぞと見込んだザハークを、死なせてしまうのかと。

 だが伝える術がない。伝えることが、裏切りになってしまう。自分だけでなく、手下だけでなく。貧民街までも丸ごと人質にされては断れない。

 対話に応じてはいけなかったのだ。深く、深く。届くことのない謝罪を、セルギンは胸の内に繰り返した。

 ただ。それならせめて、己の願いを叶えよう。そう考えたことを、誰にも責められはすまい。


「あたしの部下には聞いときやす。でもあたしは別の物が欲しいんでさ」

「別の物とは?」

「この瓶、一つだけいただくわけにはいきやせんかね」


 強力な兵器にもなり得る物と言え、個人が僅かな数を持っても使い途がない。だから想定外であったのだろう。

 天空の騎士は暫し考え、やがて頷いた。一つだけなら構わないと。

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