第31話:過去の夢

 夢を見ていた。

 とても幼いころ。ザハークに残る記憶の、最も古い時分。

 それは遥か北西の、大きな街。窓から見える景色に、自然の山や森はなかった。あるのは人間と、その住居ばかり。

 五、六階もある大きな建物から、外へ出ることは許されなかった。ザハークだけでなく、他に居る大人の蛇人も、それ以外の獣人たちも。飼い主でない人間も、いくらか居たろう。


「さあ食事だ、ありがたく食えよ」


 飼い主の人間は、幼心にもおかしな格好をしていたと覚えている。やたら大きな宝石で着飾り、貧相な身体が引き摺られていた。

 反対に鍛えた肉体が自慢という者も二人居て、きっと護衛だったのだろう。その三人が食事を与えに来たときは、ザハークは空腹を満たすことが出来なかった。


「ガキで男で蛇人ときたら、いいところがないな」


 奴隷を鎖に繋ぐ大部屋が、四階の大部分を占めていた。その真ん中で、着飾った男が女を組み伏せる。


「男には男のいい部分もあるのですよ」

「お前の嗜好は聞いとらん」

「そうそう。男のほうが好きなのは、お前だけだ」


 三人がそれぞれ、そのときの気分で商品に手を出す。奴隷には男も女もなく、物だ。そして自分は、その奴隷にも劣る。ザハークの価値観は、そんな風に育まれた。

 子どもはザハーク以外になく、誰が親と聞いたこともない。そこに居た蛇人の男女が親と思っていたが、問うこともなかった。何だか聞いてはいけない気がした。

 いつか、何か状況が変わったら聞こう。そう思ううち、その二人が売られていった。


「敵襲だ!」


 ある日、武装した集団に建物が襲われた。後に聞いたところでは、盗賊ギルドが表向きの商売として運営していたらしい。

 黙認してきた騎士団ではなく、商人の雇った賞金稼ぎによって建物は壊滅した。


「お前、逃げないのか」

「行くところがない」

「親は」

「知らない」


 奴隷たちが姿をくらます中、ザハークはどうしていいか分からなかった。どこか別のところへと言われても、自分の棲み処が街なのか山なのか、それとも海なのかさえ知らぬのだから。


「仕方ねえ、雑用係で良ければ俺のとこへ来るか」

「飯があるなら行く」

「そう簡単に、人を信用するな」


 短槍に寄りかかって、酒を喰らう男。伸ばし放題の髭から、滴を垂らす豪快な飲み方だった。

 人間にしては背が高く、あの筋肉自慢の男よりもっと鍛えられた胸板が分厚い。

 信用したわけでなく、選択肢がなかっただけだ。


「山菜の煮込みだ。毒があるかもしれねえ、お前が先に食ってみろ」

「毒が?」

「どうした、怖えのか」

「怖くない」


 男は街を見下ろす丘の上に住んでいた。住居は折り重なった巨岩の下で、寝床は枯れ草だ。


「俺は仕事で疲れてんだ。獣の十頭や二十頭、お前が一人で捕まえてこい」

「一人で?」

「やり方は教えてやったぞ。それでも出来ねえほどグズなのか」

「出来るさ」


 男はもう、四十を超えていたように思う。現役を退き、ときどき気晴らしに依頼を受ける程度だ。


「酒を買ってこい。晩飯までにだ」

「もう陽が暮れそうなんだけど」

「そうか、お前には無理か」

「無理じゃない」


 男はとかく、ザハークに用を言いつけた。意地の悪い人間だと考えたのは、一度や二度でない。


「今日は湯を沸かした、お前が先に入れ」

「俺が先でいいの?」

「俺の入るときに火の番をするんだ。先に入ったら煤が付くし、湯冷めするだろうが」


 ひたすら大きな鍋のような風呂。その下へ直に火を焚き、たっぷりの湯に浸かる。夏の夕暮れに、とても気持ちが良いものだった。

 火の番はたしかに煤が付いたが、温かい土地だったので湯冷めすることはなかった。


「槍を教わりたい?」

「強くなりたいんだ」

「ハッ。そういう細々したことより、一人で生きられるようになれや。話はそれからだ」


 蛇人で奴隷上がりのザハークに、男は短刀を持たせた。他に剣や槍もあって、どれをどう使っても口を出さない。唯一最初に「自分の指を切り落としても知らねえぞ」と言っただけで。

 ――いや、一つだけ条件を付けたか。


「言っとくがな、女には武器を向けるなよ。あれは抱くもんだ」

「敵が女だったらどうするのさ」

「口説けねえ自分の不細工を恨む。で、尻尾を巻いて逃げる」


 獣を狩り、野草を採り、野山を駆け巡るうちにザハークは成長した。ときに「暇だから」と二人して狩りをすることもあった。

 ザハークが獲物を仕留めるには、必死に追いかける必要があった。男は気配を感じさせず近寄り、いとも簡単に息の根を止める。


「悪いな、俺の腹の足しになってくれや」

「何が悪いのさ」

「ああん? 何となくだよ」


 殺した獣に、必ずひと声かける妙な男だった。

 そんな男との毎日は、突然に終わりを迎えた。例によって気まぐれに受けた依頼から、帰ってこなかった。

 ザハークが十六、七のころだ。依頼主を探し、どうなったか顛末を聞いた。


「あの人は盗賊ギルドを目の敵にしててなあ。よくは知らないけど、昔の仲間のことで何かあったらしいや」


 内容は、盗賊ギルドの運営する娼館への潜入。誘拐された女性を助けるというもの。

 これまで受けた他の依頼も、全て盗賊ギルド絡みだったらしい。帰ってこない以上は死んだはずで、遺体も見つからないだろうと。

 ザハークは依頼主に頼んだ。


「その女、もう一度助けに行かないのか? 俺にもやらせてくれ」

「相手も警戒してる。死にに行くようなものだが、それでもいいならな」

「俺はあの人に、何も教わらなかった。だから超えるには、出来なかったことをやるしかねえんだ」


 本当に何も教えてくれない男だ。何をすればいいのか、指図もしてくれない。じっとやり方を見て、真似る毎日だった。


 ――死ぬときくらい、教えてくれたっていいだろうに。

 ザハークは他に依頼を受けた賞金稼ぎ二人と共に、娼館へ向かった。


「蛇人の上に、素人なのか」


 賞金稼ぎの一人は男で、弓を武器にしていた。狭い室内に入るのだから、ナイフも提げている。


「前回は手練れの槍使いさえしくじったの。冗談じゃないわ、足手まといよ」


 もう一人は女。堅く革を重ねた鎧に、小さな手斧。

 二人は顔見知り以上ではないようだった。それでも声を揃え、ザハークに帰れと言う。


「手伝ってくれとは言わない、俺はここで死んでも、一人ででもやる。一緒に行くなら、囮をやってもいい」


 それならと、手斧の女戦士が作戦を立てた。

 弓使いの男は裏へ回り、逃亡する中に目的の女が居ないか見張る。ザハークは表から切りこみ、盗賊を何人か仕留めて逃げる。

 追っ手の出た後を、女戦士と弓使いが捜索するという手筈だ。

 短刀を示し「これでやれるだけはやる」と、ザハークも了承した。


「師匠、行くぜ――」


 娼館の前に立ち、ザハークは呟いた。誰にも届かぬよう、小さく。その一度だけ、世話になった男のことを。自分に取って、何者であったか。


「出てこい盗賊ども! 賞金稼ぎのザハークが、狩りに来たぜ!」

「賞金稼ぎだとぅ!?」


 蛇人が何歳か、人間には区別がつかないらしい。侮られることもなく、用心棒めいた巨漢が十人ほども現れる。

 商売柄、木造の建物内は暗かった。すぐに手燭を持った者も増えたが、戦う手元を照らせはしない。


「こっ、こいつ強え!」

「どうした、こんなんじゃ俺は死ねねえぞ!」


 相手が評価してくれるほど、自分で強がるほど、楽な戦いでない。最初に切り結んでから十を数えるのも足らぬ間に、腕や首すじがチリチリと痛み始めた。致命傷ではないが、どれも間一髪だ。

 それでも包囲されるのを避け、屋内で二人を倒した。頃合いと見て、入り口へ引き返す。


「あら、どこへ行くの」


 扉をくぐった目の前に、手斧の女戦士が居た。悠々と腕を組み、馬鹿にした笑いでザハークを見上げる。


「あんた――段取りが」

「いいえ、段取り通りよ」


 フフッと笑い、女戦士は用心棒に弓を投げ渡す。見張りに向かったはずの、弓使いの物に似ている。


 ――あんたが命を落としたのは、このせいか。

 確証はないが、師匠の死に合点がいった。短刀を向けると、女戦士は意外に反応が遅い。喉元へ、あと数リミに刃を突きつけた。


「やってみれば? そんなことしたって、あんたは逃げられないわ」

「言っただろ、俺は死んでもやり遂げる」


 囲まれていてはどうも出来まいと、高を括っていたに違いない。だとしてもザハークがその気になれば、女戦士の命はない。

 だが、出来なかった。真後ろから羽交い締めにしようとする男へ、振り返りざま切りつける。


「捕まえて!」


 女戦士の命令が、ザハークを助けた。そのつもりはなかっただろうが、盗賊どもは生け捕りにしようとしたからだ。

 致命傷になるはずの攻撃が、二度あった。己の無力に絶望しながら、ザハークは逃げた。弓使いが後詰めするはずだった暗い通路を抜け、どうにか生き延びた。

 それからその街へは近寄らなかった。海沿いを南東に下り、今に至る。

 いつか仇討ちをとも考えていない。師も自分も、迂闊だった。誰が悪いのでもなく、弱かったのだ。


「一人で生きられるようになれ」


 師の教えは、まだ果たされていない。

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